会社員だった時から対価の位置付けが変わってきた
雪が降った後にやってきた、気持ちの良い青空が広がる休日。
子ども達が雪で遊べる!と喜んで、雪だるまを4つも作っていた。
なんだか「かさじぞう」に見えてくるのは、私だけだろうか?
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今日は「ザ・ボランティア・デー」とでも言おうか、午前中は会計業務を手伝っている留学生サポートの公益財団法人の総会と部会に参加し、午後からは町内の子ども会役員で打ち合わせや引継ぎをした。
会計業務は完全無給、そして、子ども会の仕事も当然ながら無給。
会社員の時、自分の仕事には必ず対価がつくと当たり前に思っていた。そしてそれに関わる経費(例えば移動費など)も当たり前に会社が負担してくれるものだと思っていた。
会社員を辞めたばかりの頃、自分の用事のために車で移動するとなんだか損した気持ちになっていた。それまでは会社から支給される交通費の一部でプライベートのガソリン代も賄えていたから。
残業や休日出勤があっても、まぁどうせ時間外手当つくからいっか、と割り切っていた。
対価が出るから、経費でもってもらえるから、よしとする。
逆に、対価が出ない、経費もってもらえないとか、あり得ない。
そんな方程式だったのかもしれない。
そんな自分が今、よく完全無給の活動に勤しんでいるなぁと不思議になる。
多分そこには、お金という対価とは別の恩恵があると感じているからでは?と思う。
自分の得意なことで役に立てている感覚とか、メンバーと協力して物事を動かすことで得られる一体感なんかが、それに該当する。
会計業務は、これまでの事務職で培った「効率化」「改善力」を鍛える場になってるし、様々な留学生やホストファミリーに対応してきたメンタル強めな(笑)ベテランスタッフさんとの交流もとても勉強になっている。
子ども会は、夏祭りの制作物を一緒に作ったり、あと今は、6年生の送別会のビンゴのプレゼント決めをしているのだけれど、予算を多くとれるとあって12歳児のテンションが上がるプレゼントが用意できそうなので、送別会がめちゃくちゃ盛り上がりそうだね!って役員みんなで楽しく準備している。
そして何より、その活動に参加したことがきっかけで新たな出会いや繋がりが生まれ、そこでの交流が純粋に楽しいということも大きい。
オンラインで人と繋がることが多いけど、対面で繋がれる人が増えたのは間違いなくボランティア関連のおかげ。
前職の職場の人たちは表向きは良かったけれど、仕事の分担とか負担量を巡って「あの人は昼間ダラダラ仕事して残業代を稼いでいる」とか「この上司は全然管理の仕事をしないのに役職報酬をもらっている」とか、何かと誰かの文句を言っていたものだった。
お金が絡むと、人間は心から交われないものなのだろうか。
そういうのが、今参加しているそれらの集まりの中では全然感じられないから、業務は大変で無給でも、まぁこれはこれでよしとして楽しくやれているのかもしれない。
対価がもらえないから、経費で賄ってくれないから、という理由でイヤイヤやっていると、きっと全然楽しくない。
考え方が打算的になっていくし、それがお金以外の何かを受け取る器のキャパを狭めていく。
(補足:私は決してお金がよくないものだとは思っていない。むしろ好き。だけどお金に振り回されて肝心なものを見失うのは嫌だと思ってる。お金は道具でしかない)
小学校の絵本読み聞かせやPTAボランティアもそうだけど、想いが近い人たちが集まっているコミュニティの中で自分のできる範囲のことを提供するスタンスなので、ストレスがない。
私は今、お金をがっぽがっぽ手に入れられるような仕事はしていないけれど、お金とは違う対価を手に入れているんだなぁと気付いたのだった。
まさに、風の時代の無形の財産。
最後までお読みいただきありがとうございました。