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【コラム】関東の水事情|江戸時代から始まる首都機能の大型アプデ

日本は水の国である。それは地理的な要因が大きい。太平洋は遮蔽物がないため、太陽光線が海面を熱して蒸発させる。蒸発した太平洋上の湿気は風に吹かれて日本に運ばれる。山岳地帯の多い日本では、風に運ばれた湿気は、山にぶつかり上昇すると気温が下がり雨となるのだ。

このサイクルが頻繁に現れるのが梅雨だ。大気中の水蒸気量が増えてくると、雨となって水分が地上に落ちてくる頻度が「たまに」から「頻繁に」へ変わる。太平洋上で蒸発した湿気はどんどん日本へ運ばれ、その過程で蒸発しきれなくなり、雨が降り続けてしまうのだ。

国土の67%が森林である日本は、雨が多く降ることでたくさんの水分が山に蓄えられる。やがて、蓄えられた水分は山が天然のろ過装置となり、人が飲める状態で水が湧きでてくる。飲み水が際限なく確保できる国は限られているので、水の確保が難しい国からしたら眉唾だ。

自然環境がつくりだした日本人にとってありがたいお水事情は、安価に利用できる生命線である一方、台風などの猛威となって形をかえて人を困らせる。上流で雨が降り続くと川の水位が増し、氾濫の災害となりうる。田畑や農園に浸水されると甚大な損害になってしまう。

荒ぶる川の名にふさわしい荒川は、過去に何度か限界水量を突破され堤防から水が溢れだし、周辺地域へ被害を出している。異常気象という言葉が近年ではフランクに使われているが、今に始まったことではなく、江戸時代から記録があることから、もともとがそういう川なのだ。

荒川の水源は甲武信ヶ岳だ。この山は、甲斐(山梨)・武蔵(埼玉)・信濃(長野)の三県をまたぎ、千曲川・荒川・笛吹川の水源でもある。甲武信ヶ岳に蓄えられた水が、一滴ずつしみ出し、ちょろちょろと流れはじめ、さらに水が増していき川になる。まさに大河の一滴だ。

関東の川は、徳川家康が征夷大将軍になり江戸城に入城してからデザインされた。 江戸城の東部分にあたる、現在の東京駅がある場所は、かつて海だった。今ではその片鱗すら感じられない。関東を流れる利根川の治水や、埋め立てを含めたプロジェクトが本気で行われた。

利根川を柱とした治水工事は、荒川・江戸川・隅田川などの他の河川にも影響を与え、現在の地図でみられるような在りかたに落ちついている。浅草を流れる隅田川は、北区付近を流れる荒川の岩淵水門から始まっていて、水門で東京湾までの川の流れを制御している。

東京の地下には洪水を防ぐための手段として、首都圏外郭放水路が用意されている。梅雨の台風ラッシュなどで洪水の可能性があるときなどは、意図的に川の水を首都圏外郭放水路へ逃がせるのだ。平常時は数千円を支払えば見学が可能だ。

このように、東京を含め関東は川に対して400年前から取り組んでいる。徳川幕府以降の首都圏の治水レベルはかなり高く、非常事態に対するさらなる備えとして地下にも洪水対策が施された。都内の内陸部に水に関わる神社があるのもうなずける。


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