七高僧:龍樹
龍樹
龍樹が出家するまで
龍樹とは、あらゆる宗派から祖師と尊敬されている高僧である。また七高僧の一人として親鸞聖人が一番最初にあげて尊敬している人物である。
龍樹は「小釈迦」とも呼ばれ、悟りの41段目まで自力でのぼりつめた人物である。これは釈迦の53段目に次いで人類で二番目である。
幼いころから賢い人物であり、すべての物事を知り尽くしたと感じていた龍樹は次に満たす欲は…と考えたところ友だちと一緒に王室に忍び込み、王室の女の人と遊ぶことを繰り返していた。
ある日忍び込んでいることが見つかり、一緒に居た友だちは殺されてしまう。龍樹は助かったものの、そこで死と無常、罪悪について現実を突きつけられ、出家した。
龍樹の教え
ある日、龍樹に軟心の菩薩から
「諸久堕の三難があり、進めません、早く助かる方法はありますか」と質問があった。
これに対し、そんなことを望むなど甘い!と龍樹は仏法の大きさや重さを強く伝えた。
諸久堕の三難とは、阿弥陀様の本願が信じられず、長年やっていても本当に救われるのかと時間が無駄に思えてしまい、いつか地獄へ落ちてしまうのではないかと思うことである。
その三難を考えるよりも、阿弥陀様の本願を憶念することが救いにつながるのだということを龍樹は伝えた。
憶念とは井戸水のようなもので、地下水があるからこそ井戸水が湧き出てくる。この地下水が”憶”であり、でてきた井戸水が”念”である。
つまりは阿弥陀様の本願をずっと心にとどめておかなければ、救いという”念”は湧き出てこないのだということである。
「空」とは
龍樹の有名な教えとして「空」の思想がある。
空とは「因果」の道理として説かれている。
この世のすべてのものは”因”(原因)と”縁”(分岐点、材料)によって”果”(結果)があるということだ。
例えば、車を想像してみよう。
車は様々なパーツが必要である、エンジンやタイヤ、ボディ数えきれないほどのものが合わさって車になる。またその部品を組み立てる整備士の力もあり車ができる。
ではこの中のパーツや整備の一つでも欠けてしまったら車はできるだろうか。
つまり、すべてのものは永遠にはない、何かひとつでも欠けてしまったら存在がなくなってしまうものであると説いた。
この考えを浄土教では、「すべてのものが空であるのならば、みな平等である」と説いている。
空の理論を知ると今ここに居ることや存在するものすべてを大切にしたいと思う気持ちが出てくる。
龍樹の教えのなかの一つとしてこのことを伝えたかったのではないかと感じる。
まとめ・感想
七高僧の中の一人、龍樹について調べていく中で仏教の大きさや難しさを感じるとともに、人間としての在り方を考えされられた。
因果を考えると今ここに居る自分はどれだけの縁をいただいて存在しているのだろうかと思うと頭が痛くなってくる。
それほど多くの縁があって自分が存在している有難みに気づく。
源信や龍樹と七高僧について学ぶと誰もが失敗をして学びを得ているのだと分かり、どんなに賢い人でも失敗をするがそこから何を学ぶかが肝であることを心に刻みながら日々を過ごしていきたいと強く感じた。