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目からビーム!5 北方領土まで泳いだ男(後編)~旧ソ連は四島を返す気でいた?

 はるかにかすむ歯舞島を目指して、網走五郎は納沙布の海に飛び込んだ。昭和52年7月26日早朝のことである。夏とはいえオホーツクの海は慣れ親しんだ沖縄とは比べものにならないほど冷たい。雨も降ってきた。とりあえず貝殻島に上陸して休んでいると、頃合いよくソ連の警備艇が見えた。ウエットスーツから日の丸を取り出し大きく振った。むろん、上陸してきたソ連兵に抗議文を手渡すことを忘れなかった。
 こうして五郎さんのソ連抑留生活が始まった。毎日の取り調べはわりと紳士的に行われたという。実は貝殻島で捕まったとき、近くに日本の巡視艇がいた。もしそれがなければ躊躇なく撃ち殺していたと言われたときはさすがにぞっとした。閉口したのは収容所の食事のまずさだった。特に固い黒パンは食べられたものではなかったという。
「実はわれわれ(ソ連)は1967年までに北方領土を返還するつもりだった。しかし、在留米軍が撤廃しないことが明らかになったので予定を変更したのだ」。嘘かまことか、そんなことも言われた。
 次に収容された刑務所では、戦前の樺太で育ち戦後もこの地に取り残された山本さんという老人と同じ房にいたこともある。出所までの半年で、ロシア人囚人や看守に教えてもらったロシア語でジョークもいえるようになったという。
 しかし、釈放され帰国した五郎さんを待っていたのは、「日の丸男」「越境男」といったマスコミの興味本位な報道と「出入国管理法違反」という罪名だった(書類送検)。
「記者会見で『モスクワ行ってみたかったですか』と聞かれ、軽い気持ちで『そうですね』と答えたら、モスクワを目指して密入国ということにされた。ひっかけです。外交上、波風立てないための苦肉の策なのでしょう。姑息なことを。一体、日本政府は領土というものを何と認識しているのか、大いに失望したものです」
 現在、奥竹山ボクシング会館で無報酬のボクシグ指導員として過ごす五郎さんは寂しそうに笑う。同会館は帰国後、五郎さんが神主として勤めた沖縄県護国神社と同じ奥武山公園内にある。
 網走五郎さんについてはまだまだ書きたいことがいっぱいある。いずれまたこのコラムに登場してもらおうと思う。

初出・八重山日報

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