森繁久彌~異国の初夜
森繁久彌にこんなエピソードがある。
とある劇場のこけら落としに呼ばれ、挨拶に立った森繁御大、緞帳が下りるのを待って隣にいる杉村春子に一言、「さて、つかぬことをお聞きしますが、私、あなたと寝たことありましたっけ?」。次の瞬間、特大のビンタの音が劇場中に響いたという。
傑作だけど、この手の話というのは、多少尾ひれがついたものと考えたほうが無難か。もっとも、「森繁ならさもありなん」「森繁なら許されそう」という前提がなければ、笑い話としても成立しようがないわけである。
実際、森繁久彌はかなりの艶福家として知られていた。とはいっても、この人の場合、芸能界での地位を笠に着て、若手女優を食い物にするとかの陰湿な話は一切聞いたことがない。上手くいってもフラれて終わるにしても、どこかカラっとしていて尾を引かない。そこはかとないおかしみさえある。そう、御贔屓のマダムとの熱海旅行をすんでのところで邪魔されてしまう社長シリーズの森繁そのままに。
勝新太郎によれば、「シゲさんはイカモノ好き」なのだそうだ。みんなで女郎屋に繰り出しても、誰も見向きもしないような、たとえば、百貫デブ子とか、コタツというあだ名のついた四角い顔の大女なんかを好んで相方に選ぶらしい。それに対して、当の森繁は、「人間、特に役者は、冒険心を失くしたらいけませんね。女性を求めに行くにしても探検隊のような気分で出かけないと」と涼しい顔である。ブスに優しい森繁先生は、だからこそ女性にモテるのである。
戦時中、満映のアナウンス部にいたときの話である。土地の中国人有力者と親しくなり、現地妻を紹介された。その若い女性はなんと纏足をしていたという。彼女との床入れの儀式は、纏足の包帯を解くことから始まる。解くけども解けども包帯ばかりで、小一時間かかってどうにか、変形した彼女の生身の足とご対面ができた。包帯にしみこませた香と長年たまった垢や汗が混じった足は何とも形容しがたい臭いがしたという。今度は、若妻の求めるまま纏足の足を舐める。指の間から踵までくまなく舐めていると、女の方も感じてきて声が上がる。最初は、奇異に感じていた森繁御大もだんだんと興奮してくる。脚裏の垢まできれいに舐め取り、いよいよ真ん中にあるものへと舌を伸ばそうとすると、若妻はもう片方の足を御大の顔の前にニュウと突き出してきたという。
「夜はまだ長い。アタシの足、二本あるネ」。
このとき、御大は、さすが大陸四千年の閨房術、日本の四畳半「チョンの間」感覚のセックスとはスケールも味わいも大違うだと感激しきりだったようだ。
このエピソード、吉行淳之介や久世光彦などとの多くの対談で語っていることなので、森繁ファンの間では有名な話らしい。また、森繁から直接聞かされたという人も知っている。決まって、「私の友人の話ですが」で始まり、当初は三人称で「彼」だったのが、舐めのクライマックスあたりで、「そのとき、私はね」と一人称になるのだという。
「なんだ、お友達の話でなく、森繁先生の体験談だったんですね」と言われ、「あ、そうでしたね」と正直に認めてしまう。そういう可愛らしさが、スケベでありながらいやらしさがなく、人々から愛される森繁御大の人徳?なのだろうか。
初出・「週刊実話ザ・タブー」2024年8月号