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東京ブレンバスター 12 ミツ荒川とオッペンハイマー
パールハーバーからヒロシマへ
50~70年代に活躍したハワイ出身の日系レスラーにミツ荒川がいた。
「故郷広島の原爆で、目の前で両親を焼き殺され、その復讐のために海を渡ってやってきた」という触れこみで売ったヒールである。われわれ純粋な日本人からすれば、ずいぶんと不謹慎なギミックといえるが、観客に与える恐怖という意味のインパクトでは充分効果はあったようだ。あの生傷男ディック・ザ・ブルーザーを破ってWWA世界ヘビー級王座についたこともあるというから、実力のほども申し分ない。ちなみに、そのブルーザーが得意としていた踏みつぶし技が、アトミックボムズ・アウェイ(原爆投下)であった。
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プロレスは“差別”を戯画化したエンタティーメント・スポーツであるというのが僕の持論だ。少なくとも昭和時代のプロレスはそうだった。アメリカのマット界では、「ナチの亡霊」や、冷戦を象徴する「ロシアの怪人」の全盛期でもあった。むろん、彼らはヒールであり、最終的には地元の英雄であるベビーフェイスを引き立てるのが仕事だ。
日系ヒールは、グレート東郷に代表される「卑怯なジャップ」という役柄に長く甘んじていた。リング上で意味なくお辞儀をし、四股を踏み、細い目でニタニタ笑う不気味な東洋人。ベビーフェイスの背後から突然ゲタで殴りつけるだけのセコイ反則も彼らが使うと「パール・ハーバー・アタック」という名の立派な技になるのだ。
大戦の記憶が遠ざかり、ジャップ型ヒールが飽きられ始めたのを見計るように、被爆ギミックを売りにした新しいタイプの日系ヒールとして登場したのが、ミツ荒川だったのである。ミツのデビューがサンフランシスコ講和条約の翌々年の1953年であることも無縁ではないだろう。
パールハーバーからヒロシマへ、アメリカの立場が被害者から加害者にすり替わっているのが興味深い。ミツ荒川のキャラクターの成功は、一般のアメリカ人の原爆投下に対する複雑な思い――潜在的な贖罪感と日本人の報復に対する漠然とした恐怖が存在することの証明でもあった。これは必ずしも良心に根差したものだけではないだろう。日本人が祟りを恐れる感覚に近いのかもしれない。
報復権という考え方
元公安調査官である菅沼光弘氏によれば、アメリカには報復権という概念があるという。開拓民を襲うインディアンを殺すことは報復という正当行為であり、真珠湾奇襲に対する報復が日本本土への空爆と原爆だというのだ。それを裏返せば、日本に核をもたせれば、いつかは報復としてアメリカに核攻撃を仕掛けてくるのではないかという恐怖となる、ゆえに日本にだけは絶対、核保有を認めることはないと菅沼氏はいう。われわれには、荒唐無稽な話にも聞こえるが、恐怖というものは理屈では割り切れないものなのかもしれない。まして、戦時中、日本の陸海軍がそれぞれ原子爆弾の研究を進め、机上では完成の域にあったことを知ればなおさらだろう。ミツ荒川誕生の精神的土壌は、すでにあったのだ。
余談ついでにひとつ。WWAというプロレス団体は過去複数存在しており、ミツ荒川が奪取した王座は一般にインディアナポリス版と呼ばれているもの。広島に投下されたリトルボーイをテニアン島の基地まで運んだ米海軍の巡洋艦の名前がインディアナポリスだったというのは偶然にしても面白い。そのインディアナポリス艦は、テニアン島からの帰り、フィリピン沖で日本海軍の魚雷によって撃沈されている。
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原爆と踊るアメリカ
Atomic bombは、アメリカにとっての強さの象徴であり「WWⅡを終結させた」正義の象徴だった。建国120年に満たぬ新興国アメリカは、この2発の原子爆弾によって、文字通りの世界一の軍事大国に躍り出たのである。エノラ・ゲイはメイフラワーと並ぶアメリカの誇りといってもよかった。
1951年、ネヴァダ砂漠に大型核実験場が完成するとアメリカは原爆ブームに沸く。
地元ラスベガスでは原爆パレードが行われ、キャンペーンガールはミス・アトミックボムと呼ばれた。ホテルは特別料金を取って核実験の閃光とキノコ雲を鑑賞させるためラウンジを解放した。同実験場では、これまで900回以上の核実験が行われている。
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しかし、その裏でアメリカを震撼させる出来事も起っている。1943年にすでに原爆の開発を終えたソヴィエト連邦が、1953年、水素爆弾の実験をも成功させたのである。核爆弾は「アメリカの強さの象徴」から、「世界滅亡を導くボタン戦争の脅威」へと変わっていく。このときのアメリカの狼狽ぶりはドキュメント映画『アトミック・カフェ』にくわしい。翌54年、アメリカもまたビキニ環礁での水爆実験でソ連に対抗している。以後、冷戦は本格化し、地球は東西に境界線が引かれるのである。
1950年、FBIは、ソ連に原子爆弾製造を売ったという容疑でジュリアスとエセルのローゼンバーグ夫妻を逮捕している。アメリカ最大のスパイ事件といわれるローゼンバーグ事件である。先に逮捕された原爆工場勤務のエセルの弟の自白によるものだった。名前から判るとおり、この夫婦はユダヤ人である。「ユダヤ人(アインシュタイン)が研究し、ユダヤ人(オッペンハイマー)が作り、ユダヤ人(ローゼンバーグ)が敵に売った原子爆弾」といわれる所以だ。51年、夫妻に死刑判決が下る。サルトル、コクトーなど世界の名だたる知識人の助命運動も空しく、53年6月、夫妻は電気椅子の人となり、処刑の様子はアナウンサーによりラジオ中継された。さらに悪趣味なことに、ジャーナリズムは、両親の死刑1日前を伝える新聞をのぞき込む二人の息子の写真を全米に向け配信した。アメリカ政府の夫妻に対する憎しみのほどがよくわかる。
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『ジャパン・ホロコースト』の意味
人類初の原爆投下から80年が経とうとしている。いうまもなく、当時、核をもち世界の生殺与奪を握っていたのはアメリカ一国だった。21世紀の現在、核保有国は、「?」つきのイスラエルも加えて9カ国に上っている。今やアメリカは世界最強の国どころではなく、内政の混乱から分裂の危機にさえ瀕している。
今年度(2024年)のアカデミー賞を総なめにした映画『オッペンハイマー』、ブライアン・マーク・リッグの反日偽書『ジャパニーズ・ホロコースト』のベストセラー入りは、アメリカが世界最強だった時代への懐古であるとともに、分裂しかかった国を再びまとめ上げるための力の象徴の再認識を意味する。
特に『ホロコースト』は、日本軍がアジアで行った300万人虐殺という根拠のない数字を挙げて、広島長崎を正当化している。まるで、アメリカが正義の原爆でもってアジアの報復権を代行してやったのだといわんばかりに。中国や韓国だけでなく、アメリカもまた内政につまづくと利用するのは反日である。
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忘れてならないのは、アメリカ人の意識の中には、オッペンハイマーとともにミツ荒川もいるということだ。
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初出・『表現者クライテリオン』2024年7月号
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(おまけ)
但馬オサム講演『原爆と踊ったアメリカ』
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