俳優業で最も成功した元プロレスラーは?
フランスの名優リノ・ヴァンチュラ。Flic=刑事(デカ)という言葉がこれ以上似合う男はおるまい。フィルム・ノワールには欠かせない顔である。
このヴァンチュラ、実は元プロレスラーでヨーロッパ・ミドル級のチャンピオンだった。
1950年3月31日、アンリ・コーガンの挑戦を受けた試合で、コーガンの投げたパイプ椅子を右足に受けて骨折(いかにもプロレス的な話だが、骨折の直接の原因については諸説あり)、事実上、選手生命を絶たれることになる。
負傷、休場中のリノはアルバイトのつもりで映画に端役出演。これが御大ジャン・ギャバンの目に止まった。「お前さんさえその気になれば、こっちの世界(俳優)でもチャンピオンになれるぜ」とギャバンは太鼓判を押した。もう一人、リノの素質を見抜いていた男がいた。ギャバンの次回作で、敵役のギャングのボスを演じる凄みのあるイタリア人俳優を探していたジャック・ベッケル監督である。作品の題名は『現金(げんなま)に手を出すな』(Thouchez pas au Grisbi)(1954年)である。リノはふたりの期待に見事に応え、めでたくギャバン・ファミリーに迎え入れられるのである。
▲リノ・ヴァンチュラを語る。リノの選手生命を奪った運命のコーガン戦の一部が収録されている(コーガンの娘が解説)。これを観る限り、骨折の原因は、後方に投げられたときの着地の失敗のようだが。僕の知る限り、リノのレスラー現役時代の試合を唯一視聴可能な動画だ。リノの夫人や娘や息子、それに友人としてミレーユ・ダルク(コメディエンヌと紹介されている。それにしても、すっかり肝っ玉母ちゃんになりました)も証言。
(おまけ)
フランスではプロレスをle catch、レスラーをcatcheurといいます。リノが活躍していたころの名物カードといえば、ジルベール・ルデュクと赤覆面のブロー・ド・ベテューン)(ベテューンの処刑人)。▼処刑人、なかなかの実力者と見た。試合後の観客のブーイングは、ヒールである処刑人に向けられたものか、それともルデュクのふがいなさに対してか。ストマック・ブロックで、ここまで悶絶するのはどうかと思うぞ。
梶原一騎の劇画のおかげで、パリにはマフィア経営の地下プロレスがあるとすっかり信じてい子供時代。あらゆる娯楽に飽きたブルジョア回想が高額を払って、殺人すれすれの残酷ショーを見にくる…想像を書き立てられたなあ。
リノ・ヴァンチュラがリングを去ったあと、入れ替わるようにデビューしたのが「マットの魔術師」エドワード・カーペンティア(エドワール・カルパンティエ)。そのカーペンティアにスカウトされ、ジャン・フィレ(アンドレ・ザ・ジャイアント)が63年にデビュー。赤狩りでアメリカを追われた「岩石男」ジョージ・ゴーディエンコがカナダを経てフランス・マット界に定着するのが、やはりこのころ。やはり、le catchの全盛は60年代と見るべきか。
▲ジャン・フェレ時代のアンドレ・ザ・ジャイアントの貴重な試合動画。
▼ジャン・フェレ特集。インタビューアーの「食べるのも沢山でしょ」’というのだけ聞き取れた。コントにも登場するアンドレ。母国では、こんなに気さくでジェントルなキャラ。
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