目からビーム!4 北方領土まで泳いだ男に会いに沖縄へ(前編)
2月もあっという間に終わってしまった。実は僕は2月の生まれ、みずがめ座である。そういえば、紀元節は2月11日だから、日本の国もみずがめ座ということになるか。そうそう2月にはふたつの領土の日がある。2月7日の「北方領土の日」と2月22日の「竹島の日」だ。こうみると28日しかない2月だけれど、結構中身は詰まっている。
こじつけになってしまうが、僕が初めて沖縄を訪れたのは去年の2月だった。目的のひとつは、ある人と会うためだ。網走五郎――どう見ても芸名かペンネームである。それもそのはず、名づけ親は寺山修司だという。五郎さんは寺山修司の演劇実験室・天井桟敷の初期メンバーなのであった。
天井桟敷を退団後、五郎さんは中古のバンをねぐらに日本放浪の旅に出る。列島を南下し、海洋博開催を前ににぎわう沖縄に落ち着き、海洋博会場の直轄警備隊員となった。本連載の第一回で、海洋博開会式での両陛下(当時は皇太子ご夫妻)のお人柄やご様子について書いたが、それは五郎さんから伺ったものだ。
海洋博が終われば、直轄警備隊も解散となる。五郎さんは再び気ままな住所不定者となって日本一周の旅に出た。北海道の納沙布岬から遠く北方領土を眺めているとき、五郎さんの胸にこんな思いが去来したという。
「日本の領土なのに日本人が往来できないなんておかしな話だ。日本でありながら日本からはじかれた北方領土。それは無宿者の今の俺に似ている」
五郎さんはある決心を胸に再び沖縄に向けてバンを走らせた。
その決心とは……北方領土に泳いで渡り、日の丸の旗を立てる、という途方もない計画だった。
そのためには体を鍛えなければいけない。実は五郎さん、それまで50メートルしか泳いだことがなかった。本部半島にバンを停め、毎日8時間沖縄の海につかり泳ぎの特訓を続けた。その甲斐あって、3か月後には1万メートル泳げるようになったという。
よいところで字数が来てしまった。続きは次回で。
初出・八重山日報
(追記)掲載号の日付を見ると、2018年3月2日となっている。ということは、もう6年以上前ということになる。連載もそれだけ続いているわけだ。最近では、「目からビーム!読んでます」と声をかけられることもあります。沖縄の方か。網走五郎さんもますますお元気で、那覇で頑張っていらっしゃいます。
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