わが青春、自販機江口本の世界⑪
ヌードの局部修正に関しては自販機本ではヒッカキという手法が採られていた。製版フィルムのその部分を鉄筆でじかに引っ掻くのである。当然ながら、引っ掻き傷の本数が少なく、一本一本の線が細い方が読者には喜ばれる。コンマ何ミリ単位の線を絶妙な間隔で引っ掻くのは、高度なテクニックがいる。マッさんはそんなヒッカキのプロだった。「マッさん、お願いします」と製版フィルムを持っていくと、ものの2分でモデルのワレ👀を引っ掻いてくれる。まさに職人ワザだ。下の名前は失念したが、本名は増田。群雄社の営業課長である。長身色黒のギョロ目、半端な長髪に派手なネクタイといった、いでたちは水商売のマネージャー風だったが、群雄社の中では一番カタギの匂いがする人だった。
当時の江口本界には妙な伝説があって、5月、11月はK察もヒマなので江口本の摘発が厳しくなるから、該当月は表紙の写真やコピーも表現をソフトにしろというものだ。そういえば、マッさんのヒッカキの線も5月、11月には密度が高かったような気がする。
マッさんが水商売風なら、彼の上司、営業部長の森藤吉は、大柄な体躯にパンチヘアー、金縁の色眼鏡、金のロレックスと、いかにも”そのスジの人”風だった。どんな無理難題でも、「ワシや森や~」のドスの効いた声で通してしまう、その押しの強さはある意味、営業向きだったかもしれない。彼は明石賢生社長の従弟でもあった。
妙な商才の持ち主で、群雄社時代から怪しげなサイドビジネスに手を染めていた。僕は、新発売の精力剤だということで「コブラの卵の焼酎漬け」を無理やり試食させられた記憶がある。正直気持ち悪くなってトイレに走った。他に、ヒスイの骨壺なんかも扱っていた。小金持ちの年寄りに売りつけるのだろう。般若心経をプリントした風呂敷は桐の箱入りである。「これ、風呂敷より箱の方が原価高いで」と得意顔だった。一歩間違えれば、今流行りの霊感商法だが、本人は神仏など信じない徹底的なリアリストなのである。後年、遮光器土偶を模したマスコットの販売でひと山当てたと風の便りに聞いている。
初出・東京スポーツ
(追記)修正に関しては、当時既に東洋現像所(現イマジカ)が、レスポンスと呼ばれるデジタル処理を開発していたが、いかんせんラボに頼むと高くつくので江口本には向かなかった。ベタ塗は論外である。
初期の美ニ本は、下着からケが透けて見えただけでも衝撃的だったのか出せばバンバン売れたが、やがてそれもダメになる。ケは性器の一部であり、猥褻物にあたるという警察解釈である。実際、検挙された例もある。となれば、出版社はケの部分全体を修正しなければいけない。露出を売りにしてきた業界としては死活問題である。そこで、ある業界人がひらめいた。なら邪魔なケを剃っちまおう。さすれば、縦スジ一本の修正で済むのでないかと。美ニ本モデルが一応にツルツルだったのはそれゆえである。
90年代に入り、篠山紀信+樋口可南子が先鞭をつける形で、ヘアヌード写真集ブームが起こった。「ケがあるから猥褻」から「ケがあるからゲージュツ」に、一夜にして評価が変わったのである。正直、江口本に関わってきた人間として、「なんだかなあ」という思いもあった。
(さらに追記)三鷹の中華そば江ぐちが閉店したと聞いて久しい。アングラ劇団「黄金劇場」の稽古場に通っていたころは、毎日のように通っていた。ここのラーメンは、うまいというよりも癖になる味。特徴的なのは、蕎麦っぽい緬だろう。それに安かった。たまに奮発して、チャーシューワンタンメン卵いりを頼んでも500円行くかいかないかだったと記憶している。カウンターだけの小さな店で、兄弟で経営していた。10年ほど前に、ここの味を受け継ぐ後継店が同じ三鷹にオープンしたという。まだ行ったことがないが、今度ぜひ寄ってみたいと思う。
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