日本のアグロフォレストリー 里山のいきもの
<日本のアグロフォレストリー 里山のいきもの 世界重要農業遺産③>
~和歌山 みなべ・田辺地域の梅システム~
みなべ・田辺地域では昔から「薪炭林を残すために、山全体を梅林にしない」という教えがある。
この地域は日本でも雨量が非常に多い地域だが、養分に乏しい礫質土壌の傾斜地のため、棚田も段々畑でも農業に適していない地域だ。そういった土壌でもよく育つのがウメで、山腹には梅林が広がる。春の開花の季節に訪れると、その薄ピンク色の山腹とそれを山頂から取り囲むように濃い緑の山林との美しいコントラストが見ることができる。
この濃い緑の山林は薪炭林として利用される照葉樹林である。この薪炭林には野生のニホンミツバチが生息し、自家受粉しにくいウメの受粉を手助けしてくれる。ウメの開花は他の植物がまだ開花していない早春のため、ニホンミツバチにとってもありがたい存在だ。また薪炭林にはニホンミツバチが巣を作れる大きな樹洞を持つ古い木が多く残されていて、信仰の対象ともなり、その豊かな森林には多くのタカが生息し、生態系のバランスが整っている。
この地域は海のすぐ近くまで山が伸び、農耕に適した平地がなく、さらに礫質土壌は排水性が良く、表土が浅く崩れやすい性質がある。薪炭林はその雨水と土壌養分を保持しつつ、落ち葉で養分の還元もしてくれる。また梅林では下草を適度に生やしておくことで土壌流失を防ぎ、適度な草刈りで土に還されてウメの養分となる草生栽培が行われている。
そんな山間地にも谷など水が溜まりやすところには溜池が設置され、用水路を敷き、水田や生活用水として利用される。水が貴重な地域であるためにこういったエリアには水を好む植物や動物が多く生息し、生物多様性のバランスを生み出している。溜池に貯められた水はゆっくりと大地を潤しながら、数少ない平地の田畑を潤し、そして海へと注がれる。そのおかげで本州では珍しいアカウミガメの重要な産卵地を守ることにつながった。
温暖で水が多い紀伊半島での極相林は照葉樹林となる。この地域ではウバメガシなどのカシ類やネジキ、カナメモチなどが自生し、木炭の原料となる。ウバメガシは最高級の紀州備長炭として名高く、ウナギの調理や浄水・脱臭の効果、風鈴などのインテリアにも利用されている。
照葉樹林の開花は春から夏にかけてのためニホンミツバチの重要な蜜源ともなる。森を生かしながら、木を選んで伐採する択伐の技術は製炭を生業にする人々によって受け継がれ、匠の技と森林が共生してきた。
またミカンやカキなど温暖な気候を生かした果樹栽培や野菜の露地栽培も盛んで、一年中実りの多い里山を作り出す。日本で最も雨量が多く崩れやすい土質で斜面が多い地域にも関わらず、生態系を尊重した巧みな人々のデザインは豊かさをもたらすことに成功した。
~新潟県 トキと共生する佐渡の里山~
日本海に囲まれた小さな島に山々が並ぶこの地域では約1700年前から米作りが行われてきた歴史があり、江戸時代に金銀山の繁栄から多くの人が移り住み、暮らしと産業を支えるために多くの棚田と溜池が築かれてきた。
風土を守りながらの開発は日本の里山開発の特徴だが、そのおかげで小さな島でも多くの人口を養うことができた。日本全土にいた野生のトキの最終生息地となったのは、金銀山の閉山と過疎化によって大型の開発が免れたからだろう。
トキを守るために、農業を通じながらトキの暮らしやすい環境を整え、餌となるドジョウなどの水生生物を守る活動が実り、2008年にトキの野生復帰、2011年に野生での繁殖が実現した。
佐渡は暖流と寒流が混ざる日本海に浮かぶ日本最大の離島で、北部に標高1772mの金北山、南部に標高645mの小佐渡丘陵、その間に国中平野と起伏に富んだ地形。その地形の微気候を活かしコメやマメ類、野菜、イモ類、ソバ、果樹と多種多様な農業が営われてきた。
平野部の広い水田地帯と山間部の棚田の二つのコメ作りがそれぞれに多機能性を果たしている。平野部の水田には「江」と呼ばれる水路が設置され、田んぼを乾かす時期にも水が残ることで、ドジョウやカエル、水生昆虫たちの逃げ場となっていた。水田と江をつなぐ水田魚道はそれら水生生物の通り道で、緑の回廊ならぬ水の回廊となっている。そして古くから行われてきた冬期湛水によって日本海の厳しい冬を水生生物とトキなどの渡り鳥が生き残る支えを果たす。水生生物たちは貴重な栄養分を田んぼに返し、多くの人口を養うことに貢献してくれる。トキの恩返しとも言えるだろう。
山間部の棚田には休耕田に水を張ってビオトープを作り出し、同じように水生生物の越冬場所として、早春にはカエルの産卵場所として機能し、河川と溜池、水田をつなぐ役割、そして生物多様性を生み出す役割を担っている。また山間部全てを棚田にするわけではなく、周りに棚田を囲むように雑木林を残し、大規模な災害を防ぐ。金銀の採掘現場で地下水を取り除くために開発された水上輪と呼ばれる揚水ポンプは水の獲得が難しい棚田では河川やため池から田んぼに水を引くために活躍した。
佐渡の各地域には農民が主体となって演じ、受け継がれてき能が多く残っている。日本の伝統芸能である能が農民主体となって行われてきたことで、古くからの伝統をそのまま保持するだけではなく、地域によって少しずつ特徴が生まれる多様な能の流派を生んだ。佐渡には36もの能舞台が現在も残り、江戸時代には特権階級だけの楽しみだったものが島民たちの娯楽でもあり芸能でもあり祭りでもある能へと変貌を遂げた。佐渡の能には女性も参加するほど盛んで、現在では島外海外からの参加者を受け入れる能合宿によって新たなスタイルの能を生み出し続けている。特権階級が持ち込んだ文化が、武士へ百姓へと広がるにつれて、その人々の文化と融合すると、そこに多様なスタイルが生まれていく。そしてそのおかげで伝統文化は生き残る可能性が高まる良い例だ。
佐渡の伝統的な祭りには鬼太鼓と呼ばれるものがある。鬼太鼓は厄払いや豊作を願う行事で、集落ごとに鬼の衣装や踊り、太鼓の叩き方が違う現在では100以上もある祭り。鬼太鼓では子供の頃から役割を与えられ参加し、老若男女が準備から本番までをともに築いていく。そのため、この祭りは集落の人々の共通言語や話題として機能し、絆を強め、地域への愛情が深まっていく大切な行事だ。