日本の天然資源のひみつ 梅雨
<日本の天然資源のひみつ 梅雨>
日本列島は四方を暖かい海に囲まれ、季節風の影響で世界的に見ても多雨地帯だ。一般的に低緯度は気温が低くて海からの蒸発量が少ないので、雨が少ない。高緯度は逆に蒸発量が多いので雨が多い。日本は決して高緯度帯に位置していないが、夏は南東からの季節風が、冬は北西からの季節風がそれぞれ暖かい海流によって蒸発量が多くなり、列島中央に高い山々が連なるために、一年を通してたくさんの雨雪を降らす。日本の平均雨量は年間約1700mmで、世界平均の2倍にもなる。
もし日本が大陸の西側(つまりヨーロッパ)に位置していれば本州南岸の35度以南から琉球諸島までの地域はステップ気候や砂漠気候となり、また東京あたりから以北、北海道あたりまでは地中海気候になる。このような乾燥地帯の気候では年間降水量は80mm~600mmm多くても800mm程度で、森林は疎林しか発展しない。
日本の雨のほとんどは梅雨と台風シーズン、冬の大雪シーズンに集中しているため水不足に悩まされることも少なくない。降るときは降るが、降らないときは降らない。それが日本の気候である。
日本は山国のため急流河川が多く、天からの恵みを十分に活用することなく、そのまま海へと流れていってしまう。それに国土が狭いので、総雨量では広大な面積を有する国には及ばない。面積が狭いわりに人口が多いので、一人当たりの降水量に換算すると日本は世界平均の4分の1程度しかない。つまり、日本は雨が多いが、使える水の量は決して多くない。いかにして水を獲得して、利用して、循環させるかは古代からの課題の一つだった。
そんな日本を代表する季節が梅雨である。ヨーロッパなどの大陸では雨が全く降らなくなる季節に雨が降り続ける梅雨は中国東南部(長江流域)、朝鮮半島南部(韓国)、日本に特有の現象である。この国に共通しているのが夏に水が必要な稲作文化であることからも納得がいく。さらにこれらは漢字文化圏であるということは興味深い。夏の語源が田に水を引き「泥田(ナヅダ)」を整えることから由来するが、これもこの地域だけしかできない。
日本の周りには4つの性質が違う気団があり、その気団が日本列島の上空で縄張り争いをしている。日本の夏は小笠原気団が強く張り出すため熱帯のように暑く、冬はシベリア気団(冬将軍)が強く張り出すため寒帯のように寒い。世界中の温帯でも日本の四季だけがはっきりしていて、美しいと言われる要因の一つである。
梅雨前線の西側はシベリア気団を押しのけた揚子江気団(春一番の大元)と夏に向けて勢力を拡大し始めた小笠原気団の間にできる。東側はオホーツク海気団と小笠原気団の間にできる。そのため、実は西日本の梅雨と東日本の梅雨では気象の様子が違う。西日本は強い雨と強い日差しの晴れ間が交互に訪れる。6月から7月にかけて土砂崩れや大雨による災害が起きやすい。かわって東日本では弱い雨がしとしとと降り続ける。晴れ間は少なくどんよりとした日が続く。
梅雨前線は小笠原気団の上昇によって次第に北へと抜けていくが、それを後押しするのがトリックスターの台風である。台風はフィリピン海沖をホームとした熱帯モンスーン気団から発生し、太陽光からのエネルギーと太平洋からの水分を受けて勢力を増し、日本列島へとやってくる。台風は沖縄を経由して、西日本へと近づいていく。西日本で勢力を維持していた揚子江気団は台風とぶつかり強い雷雨をもたらし、勢力が衰えて北へとはじき出さる。すると小笠原気団の一人勝ちとなって梅雨が明けるのである。
梅雨前線は7月後半に一気に東北北端まで上昇し、本州のほとんどでは梅雨明けが宣言される。北海道付近ではオホーツク海気団の勢力が強いために、梅雨前線がそれ以上北上できず、秋雨前線となって次第になんかしていく。年によって、オホーツク海気団の勢力が弱いと北海道まで北上して2週間ほどぐずついた天気になることがある。これが蝦夷梅雨と呼ばれる現象だ。しかし、気象庁は蝦夷梅雨を正式に梅雨とは認めていない。
梅雨が明けて小笠原気団の一人勝ちとなっても、日本列島には雨が降る。ひとつは夏の夕方の風物詩・夕立である。小笠原気団から吹く暖かく湿った空気は日本列島の中央に連なる高山にぶつかり、物理的に上空へ持ち上げられると急激に冷やされ、大粒の雨となって大地を潤す。その一連の過程が入道雲の形成で、簡単に観察することができる。
もう一つがこれまたトリックスターの台風である。台風は梅雨明け以降も定期的にやってくると今度は西日本に近づいたのち、息を吹き返した揚子江気団から吹く偏西風に煽られて、東へ進路を変えて日本列島を縦断するように小笠原気団とぶつかって北海道まで向かう。台風シーズンに東日本で土砂崩れや大雨災害が起きるのはこのためだ。度重なる台風の襲撃を受けた小笠原気団は次第に勢力が衰えていき、ついには南へと追いやられて、もう一度揚子江気団と小笠原気団の境界に前線ができる。これが秋雨前線である。
この秋雨前線もまた定期的な台風の到来によってかき乱されると、シベリア気団が南下して、本格的な冬となる。シベリア気団は乾燥しているが、暖かい日本海の海水を吸い込み、湿った空気となり高山にぶつかることで日本海側に大量の雪を降らす。ときに雷を伴う大雪は災害を生むこともあるが農業では恵みとなる。晴れが続き乾燥が強い春先に溶けることで山林と田畑を潤し、稲作を中心とした農業を可能にしてくれるからだ。冬にも乾燥した晴れが続く太平洋側にとって、高山帯で降る大雪は冬のレジャーのためではなく、命の糧となる。
夏に限らず、一年を通して多くの雨をもたらすこの気候帯は多くの命を育む。私たち動物はもちろんのこと、植物や微生物など陸上に生息する生物にとって、水はなくてはならないものだ。海で誕生した生命にとって水に覆われていないことは死を意味する。地球の水の循環同様、大型生物ほど体内で水を循環させて常に潤し、水を通して生命維持の化学反応を起こすからだ。土から離れて生きていけない生物はいるが、水から離れて生きることはできる生物はいない。
イギリスは四方を暖かい海に囲まれているにも限らず、日本ほど生物多様性に恵まれていない。その大きな違いが山である。山は天気が変わりやすいというが、正しくは山から天気が変わるのだ。大陸と海からやってきた大気がぶつかることで雨が降る。そのため日本では雨が山ほどよく降る。イギリスでは高い山々がないため、雲がひたすら通り過ぎるだけで、ときどき冷たい雨をシトシトと降らせるだけである。
日本列島の中央に山々が連なるのは、大陸プレートと海洋プレートがぶつかって隆起することによって起きる。日本では4つのプレートが重なりあい、今も私たちの下で動いている。テーブルクロスを四方から中央に寄せるとシワシワになる様子が見て取れるように、日本列島の地形図を見ると複雑に山と谷と平野が折り重なり連なり、小さな河川が葉脈のように毛細血管のように流れていることが分かる。日本列島は東西南北に花綵のように細長く、そこには本物の花綵のように微気候とエッジの宝庫が生み出す生物多様性が宿る。梅雨とはいえ、日本は地形の多様性のおかげで全国全てが雨ということはない。世界で一番多彩な気候と豊かな気候に恵まれていると言っても差支えがないだろう。世界中の山々を旅してきた私にとってそれは知識ではなく経験で断言できる。
雨が多ければ岩石はどんどん風化していくのだが、逆にそれによって土壌も形成されやすい。それによって日本の土は世界的にも肥沃な土壌を形成していることも忘れてはいけない。定期的に起こる火山の噴火からも大地に新しいミネラルが供給される。
大気の主要成分は実は水蒸気である。しかし主要成分として扱わないのは水蒸気の量が時と場所にとって大きく変動するためだ。日本のように湿潤な気候の土地では水蒸気量は体積比で1%を超える。
雨を降らせる本質的な条件は水蒸気が存在すること、それが凝結すること。凝結するためには核となる細かいチリがないと難しい。海水のしぶきが水分を失ってできる海塩粒子、土壌粒子、火山灰粒子、人為的に発生したダストや硫酸ミストなどがその役目を果たしている。
その水蒸気は決して海からやってくるとは限らない。大地に落ちる雨のうち3分の1は河川や湖沼、そして海へと流れ着く。3分の1は土中内に吸収される。残りの3分の1は
福岡正信は「雨は天から降るのでも、地から湧くものでもありません。森と草の緑が雨をもたらしてくれるのです。」というのはそういうことである。すぐに流れていってしまう雨水を小さな循環で巡らすことが森林生態系の再生・維持の秘訣だった。自然農はそれを真似しているだけである。
団粒化した土は水を多く溜め込むことができると同時に、余分な水を地下へと流すが、現象によっていつでも地下深くから供給することができる。地下水は地上の水の流れよりも圧倒的にゆっくりと流れ、3000mの山から海までつながっているからだ。団粒化していないと水食や風食の影響を大きく受けてしまい、土砂流失し、土砂崩れなどの災害につながりやすい。
縄文時代から急須のような土器(注口土器)があるように、日本人は古くからこの豊富な雨水と地上の水を利用してきた。梅雨がある地域は昔からさまざまな植物からお茶を煮出して楽しんできた。代わりにヨーロッパでは水は貴重なもので貴族や王族の中だけで紅茶が楽しまれてきた。そのため果実を絞ったジュースやそれを発酵させたワインが普及していた。
「金を湯水のごとく使う」という表現は水が豊富な日本ならではの表現である。水が貴重な砂漠の国ではドケチを表す言葉になるだろう。
蛇口から出てくる水はあなたが集めたものでも、水道会社が集めたものでもない。日本国土全体で蓄えているものだ。
しかし、雨がよく降るとしても大切なことは利用できるかどうかだ。砂漠では降ってもすぐにどんどん蒸発していってしまうため資源になり得ない。逆に日本ではすぐに蒸発しないほどの温暖な気候で、森林や田畑、河川や湖沼に留まるため資源となる。その点でビニールマルチやアスファルト、ソーラーパネルは生物資源には不都合である。
砂漠土とは1年間のうち9ヶ月以上雨が降らず植物が成長できない土をまとめていうが「東京砂漠」は比喩ではなく、案外正しい。アメリカにも砂漠土がたくさんあり、なぜか必ずと言っていいほどカジノがある。有名なのはラスベガス周辺だ。世界には農業ができない土壌が存在し、そこにもなぜか金がたくさんある。
乾燥地帯でも文明が栄えた場所には必ず大河がある。エジプト文明やメソポタミア文明を生んだ三日月地帯にはナイル川、チグリス川、ユーフラテス川が潤した。中国文明は黄河と長江が。古代文明からつい最近まで日光と雨水に依存する資源が富の資源の特徴だった。しかもそれは流れ続けて、巡り続けるものだった。いつの間にかヒトの世界だけではお金が流れ込んで蓄積するところが富の象徴なった。
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