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自然農の循環 お礼肥


<自然農の循環 お礼肥>

野菜が育つための完璧な栄養素はホームセンターではなく植物自身にある。だから、自然農は植物つまり周囲に生えている草をマルチとして畝に被せていく。それは江戸時代の農書に出てくる刈敷や草覆いと全く同じ原理である。

農学で学ぶ野菜の三大栄養素であるチッソ、リン酸、カリはそれぞれ、茎葉の種栄養素、花実種子の栄養素、根の栄養素と呼ばれる。ほとんどの農家は「肥料をあげないと育たない」と言うが、実際のところ雑草や森林の草木には誰も肥料を施していないように、育たないことはない。

自然農ではその自然界の摂理を利用して、野菜を育てる。草マルチはチッソと炭素の供給であり、自然栽培で用いられる緑肥もまた同様である。リンも同様に含まれるが、種子をつけさせて大地に還元することや虫たちのフンもまたリンの供給につながる。カリは草刈りや野菜を終える時に根を残して刈ることで大地にそのまま残す。野菜や緑肥が根をたくさん伸ばすような工夫も重要な役目を担う。

自然界ではあらゆる生物の生死によって循環がなされて、夏草の後に春草が生え、春草の後に夏草が生える。夏草は春草の栄養分となり、春草は夏草の栄養分となる。その繰り返しによって蓄積されていった養分が自然遷移を進めていく。その小さな循環を利用し、生まれた蓄積分をいただくのが自然農の循環と営みである。

ヒトは生きるためにどうしてもそこから搾取し、消費しなくてはならない。それは一見すれば破壊に見えるだろう。本来ならヒトの排泄物や死体が大地に還元されることで、自然遷移の原動力となるのだが、公衆衛生の問題や人間の都合によって現代では焼かれて大気へと還元される。

野生の生物たちは本能で足るを知っているからこそ、食べ過ぎないし、溜め込まないし、売買もしないし、焼いたりしない。

もともと堆肥を田畑にやり始めたのは江戸時代で、収穫後のお礼肥としてだった。江戸時代の人口増加問題に対応するためでもあり、田畑から生まれる作物が換金作物としても利用されたためだった。特にワラは生活用品として様々な製品に生まれ変わり、重要な換金作物となった。

そのため田んぼから搾取される栄養分は増えてしまったがために、コモンズの草木は積極的に田んぼに運ばれるか、家畜のエサとなったのちに動物性堆肥となって施肥された。それによって増収となったために、さらに田んぼからの搾取とコモンズからの搾取が進み、江戸時代の都市周辺の里山は禿げ山と商売上手な百姓の立派な家が並んだ。

福岡正信の『わら一本の革命』とはその循環の流れに対しての批判だった。田んぼからワラ一本たりとも持ち出さずにその場に還せば、何も持ち込む必要がない。日本の豊かな生態系によるレジリエンス、つまり自然遷移の法則の力を借りることで、ヒトはせっせと働かなくても生きていけることを訴えた。

知恵や欲を働かしてたくさん田畑に持ち込めば、収量が増えるのではなく、病虫害が増えて、農薬が必要となる。逆に知恵や欲を働かしてたくさん田畑から持ち出せば、その分、田畑に持ち込むものをせっせと運ばなくてはならない。ヒトはただ自然を信じて、必要なものだけを田畑から頂くことだけで十分だと。

自然農に限らず家庭菜園をする人にとって憧れはたくさん収穫して、友達や近所の人と分かち合うことだろう。しかしどんな土地にも限界があり、土地相応がある。田畑が狭くなればなるほど、収量を増やそうと思えば思うほど、堆肥や草マルチといえども量も頻度も増える。

だからこそ、お礼肥については自身の目的と目指す収量に応じてデザインする必要がある。自家製堆肥や自家製育苗用土、緑肥、草マルチや落ち葉マルチなど、自身の身近で手に入る資材と資源を利用し、無理のない労働量で実践していく。

慣行栽培といえども、地球の循環の仕組みから逃れているわけではない。天然ガス、リン鉱石、カリ鉱石は遡れは数億年前の植物や動物が起源である。それを植物が利用できるように加工している。そのおかげでこれほど多くの人口を、少ない農家で賄うことができている。ただし、それらの資源はヒトには作ることはできないし、自然任せでは数億年もの歳月が必要で、有限資源であり、加工するには多くのエネルギーを消費している。ヒトがこれからも多くの人口を少ない農家と田畑で賄っていくには生ゴミや排泄物をうまく循環の輪に入れるデザインが必要となる。

地球の循環システムを田畑に組み込むとき、田畑は田畑だけでできているわけではないことがよくわかるだろう。あらゆる生物が形を変えて巡っていっているだけである。だから、百姓は田畑だけではなく里山全体の手入れを欠かさない。つまり里山生態系を育むことが巡り巡って田畑を育み、家族を養うことを経験として理解していたのだ。

自然農でもパーマカルチャーでも生態系全てをコミュニティをして捉えることが必須である。だからこそ、必然的に百姓という生業になっていく。

慣行栽培では化成肥料でも農薬でもどうしても他の生物を排除していってしまう。暴力や破壊が無くして成り立たない仕組みであり、現代の日本では原材料を海外に依存している。野菜を作って売るたびに地球生態系は破壊されてい。そのため経済的な豊かさと地球生態系の破壊はイコールになる。

代わって自然農やパーマカルチャーでは自分が豊かになることと地球が豊かになることがイコールとなる。土作りは微生物の多様性を、タネ作りは遺伝子の多様性を、コンパニプンプランツは植物と昆虫の多様性を、緑肥や草刈り場の維持は生物の多様性を、里山作りは生態系の豊かさを育んでいく。そして人づくりはそんな調和した暮らしの熟成と継承を促す。

自然農やパーマカルチャーの田畑から得られる収穫物は確かに慣行栽培の田畑から得られる収穫物と比べれば少ないだろう。しかし結果の収量ではなく過程で育まれる多様性と豊かさを見れば、どちらがこれからの時代に必要なものなのかは火を見るよりも明らかだろう。

地球の生物ピラミッドは決して優劣ではなく、量と多様性を示した図だ。上層の生物が増えても下層の生物が減ってしまえばひっくり返るだけである。そうなる前に下層の量と多様性を増やすことがヒトがこれからも生きるために必要なことである。

有機農法の父、ハワードは「すべての生物は生まれながらにして健康である。この摂理は土壌・植物・動物・人間を一つの鎖の環で結ぶ法則に支配されている」とし、「土壌(最初の環)」の弱体は「植物(第二の環)」に影響し、「動物(第三の環)」を侵し、「人間(第四の環)」にまで至ると考えた。土壌の健康を作り出すことこそ、植物の、動物の、そして人間の健康を保つことにつながる循環のモデルを明らかにした。

ヒトほど多種多様な動植物を利用して生きている生物はいない。それは単細胞から多細胞生物へ、太古の生物から現代の生物への進化の過程で生きるために必要なことをアウトソーシングしてきたことによって、衣食住において他生物の利用・共生関係が多くなったためである。現代の地球の進化の結果は「つながりが多い生き物がレジリエンスが強く、繁栄し、生き残る」ということだ。

地球にしたことは巡り巡って帰ってくる。時間がかかるがこれが結局のところ一番早く豊かになるのである。自然農もパーマカルチャーもいかにして事前資源をいかに増やし、多くの生物と共存共生できるかにかかっている。たいてい下層の生物たちは私たちヒトには見えていないし、営みにも気づいていない。

お礼肥とはまさにその見えない、気づいていない下層の生物たちへに「おかげさまで」と声をかけて頭を下げているのだ。そして野良仕事とはまさにヒトとのつながりが強い生き物たちのために野を良くしているのである。

アイヌ民族の子育てでは子供たちが食べ物を落としたり、食べこぼしたときにこう言う。「きっと神様が食べたかったんだね」と。そして、その食料を畑に返してあげる。チベットの土着宗教ボン教では高位なスピリチュアルな存在のほかに下位の存在を認め、彼らに対してムギやマメなどの穀物を供えるために家の周囲にまく。これらは宗教儀式の一例だが、お礼肥の精神にも通じるだろう。


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