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ごちゃ混ぜの多様性
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<ごちゃ混ぜの多様性>
ヒマラヤの山奥にシェルパ族という山岳民族がいる。私は彼らの村に訪れたとき、驚いたことがある。それは伝統的な暮らしに必要な道具や設備があるど真ん中に最先端の家電製品が並んでいたからだ。シェルパ族に限らず、ネパール自体が多民族国家、多宗教国家である。そのため首都のカトマンズにはありとあらゆる寺院・教会が並び、それぞれの顔立ち、民族衣装を着、さまざまな飲食店がある。
しかし、それが綺麗に分離しているわけではないところがネパールの面白いところである。たとえばネパールの伝統的な食事であるダルバートはお店によって使われている食材も味も全然違う。それぞれのお店のシェフによってアレンジされているといってもいい。また同じ料理名なのに地域が変われば、民族が変われば、シェフが変われば全然違うものとなっている。そう、ごちゃ混ぜこそ、ネパールの文化だと言えるかもしれない。まるでダルバートのように。
実は他の文明と衝突や影響を受けなかった民族が持つオリジナルの文化は「永遠不変」だと多くの人たちが思い込んでいる。つまり、文化が外からの接触がなければずっと昔から同じ速度で、同じ方向に進み続け、変化せずにずっと続く、という考え方だ。
しかし、文化人類学者たちはそれを否定するばかりか真逆だという。どの文化にも特徴的な信念や習慣、価値観があるがそれらは絶えずに変化し続けているという。環境の微細な変化に対応して変化することもあれば、気まぐれな近隣の文化との交流では排除するのではなく新鮮味を持って受け入れて自文化に取り入れる。たとえ生態学的に安定した恵まれた環境でも、完全に孤立して存在している文化でさえも、変化からは免れないことが分かっている。それはまるで江戸時代の幕藩体制におけるムラの文化のように。
私たちが使う言葉や文字も変化しないように思えるが、実際は少しずつ変化していってしまう。古文が勉強しないと理解できないように。民族の間で語り継がれる伝説や民話には形がなく、終わりがない。
時代や環境に応じて、姿形を変え、ときには原型を留めていないほど中身が変わる。その物語の中で伝えようとする信念や思想もまた変わり続ける。同じ物語でも子供の頃に聞いた物語と、親になって語る物語では内側に響くものが変わる。一語一句変えることなく言い伝え続ける口伝にも、もちろん価値はある。無常の物語は姿形を変えて、生き残るが、その過程で死んでしまう物語がある。逆に口伝には生まれ変わりもなければ死もない。伝える語り部の死だけはあるが。
確かに言葉は腐らないため、書物に残すことで時空を超えて知識や知恵が伝わっていく。それによってヒトはこれだけ科学を発展させてきたのだ。しかし、そこに多様性が生まれることはないし、むしろ多様性を否定する。同じ単語でも誰が使うかによって意味が大きく異なってしまうと会話にならないだろう。
何よりもヒトは火に関する情報を後世に同志に伝えることで、他の生物が利用できなかったものを積極的に利用し、繁栄してきた。物質の性質を変えることで衣食住に利用できるものを拡大し、生息圏を拡大することに成功したのだ。火の扱いを知ることは「ひじり(聖)」と呼ばれ、特別な存在として扱われてきた。
私たちが石油や石炭、天然ガスを利用できるようになったおかげで、現代の文明があることはもちろんのこと、世界中を旅し、情報交換できるのも事実だ。またほとんどの生物が利用できないそれらの物質を植物たちが利用できる二酸化炭素に変えているのも事実である。
こうしてルカの目論見通り(?)、ヒトは地球の表面のほぼ全てに足を運び、タネを運び、多様性の生態系を作り出そうとしているように見える。人類は地球上にあるものすべてを利用してまで、里山のような多様性ネットワークを作ろうとしているように思える。ルカは自身の分身を地球の隅々まで運ぶことに成功し、このあとの大きな気候変動が起きても生き残ることができるだろう。
ルカにとって「生き残ることがすべて」だ。その言葉を聞くと私はネパール人、そしてシェルパ族のことを思い出す。彼らの歴史は難民の歴史であり、隣のインドや中国から逃れてきた難民が作り出した国であり、そのため多民族国家となった歴史がある。
江戸時代の頃にヒマラヤを越えて逃れてきたシェルパ族は生き残るために、ありとあらゆるものを受けれいれる。彼らが栽培する植物は世界中から集められたもので、その土地の在来種というものはほとんどない。彼らにとって在来か外来かという区別よりも、標高3000~4000Mの世界で栽培できるかどうかのほうがよっぽど大事なのだ。
デビットは言う。「パーマカルチャーはそれ自体、人間の知識や知恵が絶え間なく変化し続けていることを体現するもの。常に全体を見通して考え、短絡的ではなく長期的な持続可能性を描き、何か大きな組織や中央組織に依存するのではなく自立したコミュニティの相互的なネットワークを築き、精神的な豊かさも物理的な豊かさも同時に求め、伝統的な文化も最先端の文化も対等に扱う」と。
仏教という宗教もごちゃ混ぜの多様性を体現している。インド・ネパールから始まったとされる仏教とチベット・中国仏教、そして日本の仏教ではまるで違う宗教のように見える。シェルパ族が信仰するチベット仏教や日本仏教の中にもさらにさまざまな宗派が存在し、それぞれの価値観のもと人々の救済を目的に活動している。
またカレーという食文化も地域によってびっくりするぐらい多様性に満ちている。食材も違えば、使うスパイスも違う。日本の味噌汁に代表される家庭料理もまた同様だし、日本語のカタカナ語のように外国の言葉をまるで日本語のようにして扱うのも同じごちゃ混ぜの文化である。
私たちヒトの遺伝子も実はごちゃ混ぜである。ネアンデールタール人の遺伝子も混ざっていれば、ウィルス由来の遺伝子の存在も確認されている。遺伝子は変異するばかりかどこかの過程で入り込み、ごちゃ混ぜとなって進化していくのだ。しかも生まれてからずっと同じ遺伝子情報を保っているわけではなく、ところどころ書き換えられていく。生まれたときと死ぬ時のDNAは部分的に違っていて、特に脳はかなり変化をすることが分かっている。私たちの存在もまたごちゃまぜのつぎはぎだらけのようだ。
自然と文化の多様性を尊ぶ気持ちは、大半の伝統社会に共通する知恵の一つである。多様性は過剰な排除を諌め、寛大な心で受け入れてきた。あらゆる多様性を思いやり、尊重する精神を忘れなければ、パーマカルチャーデザインだけではなく、どんな社会でも生きやすくなるだろう。
生き過ぎたグローバル化によって失われてきた多様性の復活のためには今ある豊かさを利用することで、不確実な未来に対応する。実際の作業では、先人の知恵を借りてもっとも適応しやすく、有効であると考えられるものを採用する。しかし、もともと不確実な地球でどうなるのか分からないのだから、生物多様性を手当たりに増やしてみることも、失敗する率が高いとは言え、やってみる価値はあるだろう。
現代社会で特に強調される「不確実性」は地球の歴史を見れば、いつでもどこにでも存在する普遍的なものだということがわかる。現代人は情報不足のせいだと勘違いしてただけで、新しい情報(科学的知見)が増えたことで、不確実性は異常ではなく通常となった。循環しながら進化し、踊るように新しい自然へと向かう。ヒトだけが時間と空間を切り離し、その場を維持しようとしていることはやめたほうが楽しめる。植生の変化も生態系の変化も異常ではなく通常である。
そして、それに対応し続けてきたのが伝統的な文化であり、身の回りの生物たちだった。つまり伝統的文化と生物学の知見は、この不確実性の地球で生きる上での一つの応えであり、重大なヒントだったのだ。ルカ同様地球で生きている生物たちはいつも「生き残ることがすべて」で不確実性もそれによる変化も受け入れてごちゃ混ぜになって生きてきた。江戸時代の養子縁組制度は家の存続や家業の存続のためだったように。
1960年代の高度経済成長と公害問題に疑問を抱いた都会人は「自然に還るために」悠々自適な田舎暮らしを求めて都市を後にした。はじめは変わり者というレッテルを貼られたり、村社会特有の困難もあっただろうが、現在の地方移住のブームにおいて重要な役割を担っている。
田舎の人々が思いつかなかった視点から起業したり、古民家の改装で注目を浴びたり、芸術家や職人として新たな産業を生み、カフェやパン屋などの都会人が求める観光業をはじめたり、自然食品店やオルタナティブ教育や代替医療など新しい文化を吹き込んだ。彼ら無くして現代の移住ブームは起きなかっただろうし、定着率も低かっただろう。
パイオニアプランツが次の遷移植物のために環境を整えるように、先輩たちの努力と困難は次世代に受け継がれていく。阪神淡路大震災、東日本大震災、そしてコロナ禍によって移住ブームはさらに勢いを増しているように思える。
ここにいくつか共通点がある。たとえば、パイオニア世代は国内政治や資本主義に対しての疑問や反抗精神が強かったが、新たな世代は自給自足や社会的な絆、安心安全な食糧、子供の教育環境、そして地域おこしへの貢献などだ。そこには山奥でのひっそりとした暮らしというよりも都会と田舎の間にすみ、仕事や旅行などでどちらも楽しもうという考えもある。また国内政治への不信感や資本主義経済への否定はそれほど強くない。それが良いかどうかはここで論じないが、パイオニア世代とは一味違った興味・関心が移住ブームの全国への普及に貢献している。それはまた田舎に住む人々が若者を多く呼び込みたいという思いと合致しているようにも思える。
本来、日本の「和」というのは違うものを持つもの同士がお互いに遣り合いながら、それでもなんとかやっていくということである。お互いに変人だと思いながら、同じ人間として同じコミュニティを維持すること。生き残ることが村の存在目的だった。それはルカと同じである。
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