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イノシシとブタ


<イノシシとブタ>

「このブタ野郎!」と言えば、それは侮辱であり、決して褒め言葉ではない。しかし実は最大限の賛辞であることを今からお話ししよう。

実はブタは世界に10億匹もおり、家畜としては世界第3位ほどの頭数が生息している。ユダヤ教やイスラム教ではブタ食が禁じられているにも限らず、この多さには驚かされる。

ブタはイノシシを家畜化した動物であり、現在でもイノシシとブタは交配する。日本でもイノシシとブタを掛け合わせてイノブタがイノシシでもなくブタでもないオリジナルの食味から特産品として飼育している地域もある。またブタは野に放すとイノシシと交配しなくても3世代でイノシシに戻る。小笠原諸島では人間が持ち込んだブタが放置され、野生化し、小笠原独特の植生を破壊すると懸念されている。しかし逆に言えば全く違う環境でも生き延びられるほど生命力が高い証とも言えるだろう。

彼らは雑食性だが普段は植物ばかり食べる。植物の根や地下茎、ドングリなどの果実、タケノコ、キノコなどその食事は人間の食事に似ている。このように植物が好きなようだが他の草食動物が食べないようなものばかり食べるのも特徴的なだ。動物質は昆虫やミミズ、沢ガニ、ヘビなども食べ、鳥やイヌなどを食べたという報告もあるようだ。これからも分かるようにイノシシが畑を荒らしに来ているのは野菜を食べにきているわけではなく、畑を掘り起こして昆虫やミミズを狙っているのである。

現代においてはイノシシの害は実に大きく報道されているが、江戸時代からそれは変わらないようだ。地方の山間部にはいたるところに猪垣の跡が残っている。東京を含む武蔵野地域はもともとイノシシの多いところで、幕末に書かれた江戸御鷹匠の日記を見ると現代の東京のど真ん中にもイノシシが出たようである。

その理由はおそらくイノシシがぬたうち回るからだろう。彼らは実は大の清潔好きである。身体についた寄生虫を落とすためにぬた場を作る。現代の若者が美容のために泥パックをするように彼らもその泥の性質を利用して、寄生虫を落とすのである。

体表には多くのダニやノミ、ヒルなどを付着しているので、それらを里山周辺に運んでしまうのは事実だ。とくにマダニが人間に取り付くことで、日本脳炎ウィルスの感染に結びついてしまうこともある。しかし、これもまたぬた場を作りやすい湿地を探しているにも関わらず、多くの田畑に電気柵が設けられ、河川や沼地の四方がコンクリートで埋め尽くされてしまったせいで、ぬたうち回れないからかもしれない。

スコットランドで再野生化をおこなるネップ・テステートの管理者は放し飼いにされたブタを見つけると「泥の中の豚よりも幸せなものはない。」と話す。

ここではブタ(他の生命もまた)の価値はどれだけベーコンが取れるかではなく、生きて提供する生態系サービスによって決まる。年を取ってもブタは変わらず土を掘り返し、泥だらけの沼を作る。こうして生物多様性のホットスポットを作ることに貢献している。

薮化しつつある場所をブタが掘り起こすことで明るく開けた場所ができる。ここでネコヤナギなどが発芽することができ、それを食草とするのが紫の皇帝と呼ばれるイリスコムラサキというイギリスで最も希少な蝶である。イギリスは森林を伐採しすぎただけではなく、ブタを施設に入れてしまったがために紫の皇帝を失いかけていたことがこの楽園で明らかになった。だから森林を守ってもイリスコムラサキの数は増えなかったのである。

イノシシやブタは掘り起こすのが仕事であり、地球にやってきた理由なのかもしれない。掘り起こすことで明るく開けた場所を作り、水が溜まる場所を作るのは農家が愛用する鋤や鍬と同じだ。また、こういった場所には雑草や灌木などパイオニアプランツが生えてくる。それを餌とする野生生物は非常に多く、私たちヒトもまたその恩恵を受ける。

日本においても早春にはクズの根っこやタケノコ、秋にはハギの根やヤマイモを鋤で耕したみたいに地面を掘り返すことが報告されている。これらの植物は人間が管理しないと薮化してむしろ問題視されるものばかりだ。それを彼らが抑え込んでいるようにも見えないだろうか。

彼らの運動能力が非常に高く、人間よりも早く走るし、1mくらいなら飛び越える。その秒速はなんと約11秒。つまり100Mを約9秒で走ることができる。なんと100Mの世界記録保持者ウサインボルトよりも早いのだ。「ブタ野郎!」とは「おまえ、足めっちゃ早いな!」という意味になる。

彼らは視覚は悪いものの、嗅覚や聴覚が非情に鋭い。鼻先を使って地面を掘って食糧を探すのだが、その嗅覚は犬よりも鋭く、ヨーロッパでは森の中からトリュフを探すのは人間でもイヌでもなくブタの仕事である。どうやらトリュフの成分がオスブタのフェロモンに似ているそうで、メスブタはオスを探しているだけに過ぎないようだ。ということは「オスブタ野郎!」という言葉の意味は「トリュフみたいなやつだ!」というこことになる。しかし残念なことに麻薬探知ブタとしての実験は大失敗に終わったようだ。

彼らは類人猿くらい好奇心が豊富で知能が高く、記憶力も高い。そのため近くに住んでいる人々や家畜を覚えている可能性が高い。もちろん、どこに食糧となるものがあるのかもしれない。

彼らは食欲旺盛のイメージが強いが実はそれほど太っているわけでもない。実はブタの体脂肪率は15%ほどで一般的な成人女性が20~30%であり、女性モデルと同じくらいである。「ブタ野郎!」とはなんと「モデルさんみたいにスレンディーですね!」となる。

しかし彼らはモデルとは違って足は短い。それでも泳ぎは得意で、川どころか海も渡る。実際に何キロも泳げることが報告されている。日本では北海道を除く全地域に生息しているが、これは彼らが冬を苦手としていることと関係しているだろう。その短い足では雪が何Mも積もってしまうと動けなくなり、食糧に辿りうつけずに息絶えてしまうのだ。そのため厳冬の年が明けた後は一気に頭数を減らし、農作物への被害が減る。そのため本来なら日本列島の南の方にしかいなかっただ、積雪量が減ってきた近年は今まで生息していなかった山間部や東北地方にまで生息するようになった。

肉食がほとんどなかったと言われている江戸時代においてもイノシシは狩猟対象だった。仏教は無駄な殺生を禁じ、四足動物の肉食も禁じたが、江戸時代は世界的にも地球寒冷期でありたびたび飢饉が訪れたため、生きるために狩猟が黙認されていた事情がある。イノシシを山鯨と呼び、魚(クジラは哺乳類だが)扱いしていたのはそんとためである。

しかし現代のように温暖な時期には藩をあげてイノシシを駆除した地域が各地にある。農民を総動員して勢子として地域一帯のイノシシを追い出し、狩をした。一日で数百から千頭以上仕留めた記録もある。農作物被害に苦しむ農民からの要請で、武士にとっては軍事演習を兼ねていた。

特に対馬藩は完全駆除して、イノシシが絶滅してしまった。1700年から9年がかりで行われた「猪鹿追詰」作戦によって8万頭以上を捕獲しイノシシを絶滅に追い込んでしまったのだ。シカも同様に狩猟対象となったが、少しだけ生き残ったようだ。この時代はなんと徳川綱吉が生類憐みの令が出ていた時期である。この事例からも分かるように江戸時代の人々には「自然と共生」とか「野生動物と共生」とかそういう概念がなかった。

現在の家畜のブタはほとんどが明治以降に移入された海外原産だが、彼らほど家畜に向いている動物はいないかもしれない。

彼らは子育ての時に血縁同士で群れを作り、子だくさんなので、チャンスがあればどんどん子供を産む。田舎に住んでいれば、子連れの大家族イノシシを見かけたことがあるだ王。ウリ坊はキツネやタカに狙われ、大人になるまで生き延びるのは約半数しかいないという。実は彼らは狙われる側なのである。子供の時に体毛に縞模様があってシマウリに似ていることから瓜坊と呼ぶように、百姓は彼らの可愛さを愛でていたようだ。

彼らは百姓にとって農作物を荒らす害獣として、貴重な狩猟対象として、最適な家畜としての姿を持っているが、神様の使いでもあった。実はぬた場には山の神がいると考えていたのだ。ここに日本の文化の面白さがある。

日本神話の中でヤマトタケルは白いイノシシの怒りに触れて命を落とすが、この白いイノシシこそ山の神様が動物の姿になったもの。牙は魔除けのお守りとして狩猟民族たちは身につけていた。イノシシの牙は金網も破壊できる。イノシシを100頭獲ったら供養しなくては、祟りが当たると言われていた。「もののけ姫の森」に出てくる乙事主がイノシシのイメージで描かれているのはその影響だろう。

足腰の強さと何でも掘り起こす力が強いことから和気清麻呂がイノシシに救われた伝説から足の怪我や病気の治療に御利益がある動物とされていた。京都御所にほど近い護王神社ではイノシシが神様の使いとして、狛犬ならぬ狛イノシシとして鎮座している。この神社の御利益は何と言ってもイノシシのような足腰の強さにあやかることができることだ。百姓にとって、いや現代人にとっても丈夫な足腰は健康な暮らしに不可欠なことだ。


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