立体農業のススメ 食べられる里山
<立体農業のススメ 食べられる里山>
耕作放棄地の増加や農家の減少によって田畑は少しずつ失われていっている。「田畑を潰すのではなく、コメ・ムギ中心の平面農業から立体農業(樹木、有畜農法)を考慮に入れなければ日本の人口をまかない、国家を支えることができない。」と賀川豊彦は言う。
現代の政府による農政の多くは大規模農業の推進と発展を推し進めているように思える。そのため耕作放棄地と離農の問題は一つ一つの田畑の面積が小さくあk着られている中山間地域に集中している。
高度経済成長期以降、日本の平面農業では数ヶ月から長くても1年で収穫を得て、換金できる作物ばかりが栽培されてきた。果樹のように時間のかかる作物は一部の地域を除けば、ほとんど栽培されてこなかった。
地方には放棄された果樹林や桑畑がある。そこには毎年毎年誰も手入れをしていないにも関わらず、大量の実を提供してくれる。ナッツ・堅果類を植えておけば、初めはなかなか収穫がないが、いずれ田畑よりも樹木作物からの収入の方が多くなり、収入源が複数できる。
樹木作物を基礎にすれば、ムギの長梅雨とイネの台風を心配することが減る。また干ばつにも強ければ、洪水、冷害、雪害、霜害などに対して耐久力を持っている。しかし鉱毒、噴火、地滑り、地震、高潮、虫害に対して苦しむことは平面農業と変わらない。
江戸時代の農政学者は田んぼの畔にハンノキやウツギを植えさせた。どちらもチッソ固定をするおかげで、肥料が買えないような貧乏な農家でも十分に収量を得ることができた。上から与えるのではなく、植物が根から地下を通して与える。
里山の河川敷や堀端には必ずヤナギ、クヌギ、ハンノキを植えて土が埋まることを防いだ。それがまた薪炭資源となった。洪水が出た場合に家や家財の流失を止め、堤防が切れた場合、材木の流入を食い止め、土砂が田畑に乱入することを止めてくれる。
江戸時代の里山では築堤法では竹林を作らせ、薪炭林をその上に繁盛させた。何も植わっていない堤防は増水に加えて、風速が増し、流木が堤防に衝突してくることを防げない。もし竹藪があり、防風林があれば、急流はこれによって緩くなり、流水はこれによって受け止められる。さらに土嚢を食い止める「しがらみ」の代用にもなる。
「山の木を切り、野の木を切り、堤防の木・竹を切り、防風林を薪炭のために切り倒し、河底は農家の屋根より高くなり、防風時に堤防が切れる恐れが加わった場合、一体何をもって、農家を守り、堤防を守るのか?私は樹木作物による立体農法に転換するほか、防風を食い止める方策はないと思っている。」と賀川豊彦は強く断言する。
コメ中心では「日光の遮るものは切り倒せ」となり、肥料を買い、薪炭を買い、水路が浅くなることを顧みないことになった。そして、一旦防風が来ればイネは倒れ、土砂は田畑に流入することになった。
微量元素(鉄、モリブデン、コバルト、銅、亜鉛など)は雨によって地下深くに流れていってしまうが、江戸時代に普及した深耕はこれを地表面に持ち上げる効果があった。深い根を持つ緑肥や雑草、樹木にひきあげてもらうことができる。草木灰の役割はそれの微量元素の供給が目的だった。
立体農業が日本において適正技術となりうるのは山間地、つまり傾斜地が多いという点である。賀川豊彦は樹木農業の様式として、いくつかポイントを挙げている。緯度によって地域が限定されるも、標高2200mくらいまで、つまり森林限界地点まで可能だと考えていてた。
また農業の基本であるように地質を選び、地質に適した樹木作物および牧畜と養鶏、養魚の研究が必要だ。また陰山(かげやま)と日向山による樹木作物の選定つまり陰山は林業を中心とし、日向山には堅果作物中心を提言している。
困難点としては土壌の保全に非常な努力がいること、山間部での水の貯蔵に困難すること、機械の使用による農業ができないこと、田畑に使用されていない地域には岩石砂礫が多すぎることを挙げている。
樹木作物でまずはじめに考えなくていけないのは寒地と暖地の差である。暖地ならば樹木の種類も多いが、寒地はその反対となる。寒地(高地や高原)の樹木作物は害虫が少ない代わりに防風・防雪・防霜などを取り入れたい。
南面した傾斜地はイチゴでも素早く収穫することができる。それだけ表山は気候が温い。その暖かさを利用して、生命の樹も知恵の樹も積極的に栽培ができる。しかし、日本海のごように暖流が沿岸近くまで北に発達してくるところでは考えを変える必要がある。それは北方に行くほど逆になる。
中央山脈の北側に当たる地方が必ずしも寒くない。佐渡は暖流に囲まれて温い。津軽半島と下北半島ではその差がよく分かる。この暖流に乗ってニシンやイワシが北上するのだ。それで海岸地帯だけは樹木作物も暖地のものが栽培できる。標高の高いとろこでもオニグルミは生えているが、谷川に近い日当たりが良く、温度の高いところを好む。
寒地でも立体農業は可能だ。むしろ害虫の少なさゆえにやりやすいかもしれない。また家畜類との共生も積極的に取り入れたい。ヤシャブシ、アカシア、サイカチなどを植えて葉も実も動物の飼料とする工夫をしておく必要がある。また全部をアズキやダイズにしないで防風防雪のためにマメ科樹木を植え、その間に寒さを耐えうるヒエやアワ類を植えるのも可能だ。
防雪林にクルミ、サイカチ、エンジュ、イナゴ豆、カヤのようなハシバミ類の低木を二列に植え付けることがオススメだ。マメ科などの植物が肥料木としてハシバミの育成を助け、農家の収入をも助けのみならず、防雪をも徹底してくれるまたハシバミを植えるにしても、松柏類を用いて防雪防風林を作らなければ、強風のために収穫が難しくなる。
日本は500ha以上の火山灰土で覆われた高原がある。少し前までは放牧か観光しか選択肢がなかったが、ここでも樹木を植えることで食糧を生産しながら、放牧または観光を続けることができる。
この地に適するマツを栽培するならば、木材資源とともに、食料資源として豊富なる源泉をつかむことができる。マツは火山灰に適する、岩地にも生える、肥料はいらぬ、水をほしがならぬ、松林帯を作る、高山にも低地にも育つ(マツは極地にも熱帯にも生える)、量産に適する、種実は栄養分が充実している。この地には他にもクルミも栽培が可能だ。クルミとマツが高原の樹木作物の重要産物となる。
陰山や建築物の裏手では果樹の栽培が難しい分、建築材や防風林をうまく生かしたい。秒速20メートル以上の防風だと板塀やレンガ塀は何の役にも立たない。ところが根が生えているワカギ、カシ、マキなどは防風林の役目を果たす。
昔から関東ではカシ、関西ではマキの木が防風林に使用されている。東海道の農家はマキ、沖縄は防風・防火としてフクギとマサキ、北陸地方では地方によってスギ、マツ、ヒノキ。宮崎県ではサザンカなど地域によって様々である。
背が高く、粘りのある樹木なら建築材としても災害対策としても有効だ。また一年中木陰を生むことで、家畜類の夏の休み所にもなるし、シイタケなどのキノコ栽培地となる。また暖かいところと涼しいところを家の表と裏に作り出せば、一日中風が家の中に入ってくるだろう。
「日本には資源がないと日本人の多くは決めている。しかし、私から見れば日本には資源はいくらでもある。日本人がそれを発明、発見の力で生かそうとしていない。」と賀川豊彦が述べるように、日本の再生は里山の再生、百姓の復活から始まるだろう。
「土より金を愛し、神を無視して世を愛し、国より自己を愛するものはその国土を砂漠化するのであろう。」と100年近く前から見越していることは驚きだ。まさに日本の都市部のみならず、里山まで砂漠化している。
しかしまだまだ日本は再生できる。自然遷移の法則が味方となる。再生力のない動物が滅んできたように、人間社会もその例外ではあり得ない。再生力は想像力のさらに込み入った力だ。
賀川豊彦はまた「自然愛は私の本能である。」と言い、「農村にとどまるのではなく、進んで農村を愛する心は自然を愛するものだけに与えられた境地である。」と農民たちを強く鼓舞している。