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循環を操るクマ


<10月の生き物 循環を操るクマ>

10月になると森林限界である標高2000m程度の樹木は一気に秋色になる。
そこから少しずつ山を下っていく景色は山好きには堪らない。

クマはそれよりもずっと早く山を下る。
真夏はある程度標高の高い奥山で過ごすことが多いが、
寒さが増すにつれて、下り始め、実りの秋を1日に40km近く歩いて味わう。

人間とクマの遭遇事件はたいてい冬眠明けの春か冬眠前の秋だ。
それはどちらもクマにとってとても重要な季節である。
どんな動物でも食べることは生きることだ。
特に冬の間食べることを諦め、ただひたすら眠るクマにとってはなおさらだ。

里山のカキやクリを食べに長い距離を降りてくるクマは若い雌が多い。
これは着床遅延というクマ科やイタチ科の特殊な繁殖生理のためである。
クマは6月ごろに交尾をするが、受精卵が実際に子宮に着床するのは秋の11月ごろ。
それが成功するかどうかはこの秋にどれだけ栄養を蓄えられるかにかかっている。どんぐりなど堅果類は越冬に備える生き物にとって栄養満点の食糧だ。

クマは食肉目に分類されるように、昔から肉を食べることがある。現在でも事故や雪崩で死んだカモシカや襲った家畜の肉を食べていることがわかっている。最近では駆除されたシカやイノシシをその場で埋めたものを掘り起こして食べることもあるようだ。

その一方で人間と同じように奥歯に臼歯があり、植物の種子をすりつぶして食べることができる。ブナはもちろん、ミズナラやカシ、クルミなどの人間があれこれ工夫してようやく食べられるものを歯だけで砕く。しかし消化器系はまだ肉食に適しているため、植物を大量に摂取しなければならない。とくに草食動物のように食物繊維(セルロース)を消化することはできない。そのため、その場にある食べられるものはどんどん無我夢中で食べていく。霊長類と同様に何度も何度も頻繁に食事をつまんでいくスナックイーターである。

出産の可能性があるクマは本能で本当は会いたくない人間の側まで足を運ぶのである。すべては子孫を残すためだ。
クマなど野生動物には人間のようにどこか遠くから食糧を運ぶこともできなければ、冷凍庫もない。クマにとって越冬期間中の栄養を求めて長距離移動することは生きることそのものである。クマが冬眠する理由は寒いからではなく、冬の食料がないからだと考えられている。人間と同様秋は実りの秋で、食欲の秋だ。

日本のクマには縄張り意識がないことが報告されている。長距離移動をするクマもいれば、あまり移動しないクマもいるという。クマは基本的に夕方と明け方に活動する黎明薄暮型の動物だが、この時期だけは昼間も積極的に動いている。

クマと遭遇するとき、ほとんどのケースがどちらも再接近するまで
お互いの存在に気がついていない。人間もクマも食べ物を探すのに必死なのである。
クマの視覚や聴覚は人間よりは良いが、野生動物からすればそれほど良くない。クマはイヌに近い哺乳類で、嗅覚がイヌやネコよりも非常に鋭く、状況判断を嗅覚に頼っている。クマが時に立ち上がって周囲を確認するとき、同時に匂いを嗅いで情報を集めている。

クマは本来、臆病で慎重な生き物だ。もともと肉食だが積極的に襲うほどの強さを持っていない。だから安全に食べられる植物や昆虫類を中心に食べているのだ。
私が山に入っていて、遭遇するときも決まってクマが先に気がつき、
遠くで大きな音がしたと思ったら一目散に逃げていることがほとんどだ。クマは人間や他の大型動物と遭遇しないように五感を働かせて周囲への警戒を怠らない。むしろ人間側の不注意が事故を引き寄せているように思える。

クマが人間を襲うときは子供と一緒のときと、クマの食糧を取られたと勘違いしたときだ。クマは自身と子の命のために闘う。
しかしそれはあくまでも逃げられないと判断した時だけで、極力闘わないように心がけている。
残念なことに人間はそんなクマの生態を十分に理解していないから、クマに会わないように逃げてもらうように、心がけていない。クマの生態を十分に理解すれば、クマに会うことも会わないことも可能になる。

アメリカではクマを守るために国立公園内にベアボックスが設置されている。
ハイカーは必ずそのボックスに食料をしまわなくてはいけない。
クマが人間の食料の味を覚え、人間に慣れ、事故が起きてしまわないようにするために。
事故が起きればそのクマは射殺される運命だからだ。
国立公園の奥にあるウィルダネスエリアに入るには、
クマからは中身が見れないようにできてているベアボックスの携帯が義務付けられている。
そして、テントから必ず離して保管しなくてはならない。
そう、それはあくまでもクマを守るためである。
同じようにリスなどの野生動物への餌付けも罰金対象になっている。

近年、日本でもクマが人間を襲う事件が増えた。
アイヌの伝説のクマ漁師である姉崎等さんが残した話によると昔から人間を襲うクマは確認されていたようだ。しかし、そういったクマが現れると村人総出でそのクマを狩りに行く。アイヌ語でクマは「カムイ」。現在の日本語の「カミ」と非常によく似ているようにアイヌ人にとってクマは神であるが、人を襲うクマは悪い神であり、狩ると同時にクマのための祭りを行う。
クマだけに限らず、古来から日本人は神様も神様の使いも狩猟の対象であり信仰の対象でもある珍しい文化を持っている。

アラスカを旅したカメラマン星野道夫は著書「旅をする木」のなかで
クマと遭遇したとき、どうしたら良いのかというと
「まずは落ち着くこと」だとアラスカ先住民から教わった話を紹介している。
こちらの緊張がクマに移ってしまうからだという。
まるで人間同士の喧嘩のようでもあるが、なぜだか腑に落ちる話だ。

日本ではもともと本州と北海道ならどこの山にもクマは生息していたが
この数十年、九州と四国では確認されていない。
あと数年もすればこの二つの地域では絶滅が宣言される。
(四国では九十年代に数頭のみ発見されている)

他の地域では増えたと考えられている地域もあれば、減ったと考えられる地域もある。
地域によって話がバラバラなのは仕方がない。
なぜならクマは人間のように長距離を移動する生き物だからだ。しかも渡り鳥のように決まった季節に決まった場所にではなく。日本のクマの移動面積は一年で20~40平方kmほどを移動し、排他的な縄張りを持たないようだ。
山の尾根や谷を境に区画を決めて、調査をしたところでクマにはそんなの関係ない。
自然界には境など存在しない。クマが持続的に生息するために必要な個体数から彼らに必要な面積は森林100㎢以上にもなるという。
ひとつの県や市町村で対策を立てても、隣り合った自治体の対策がバラバラではクマの問題には対応できないのは当たり前だ。

野生動物の中でクマほど多種多様な地域に足を運び、食べて、種子を散布する動物はいない。
先に話したように1日に40km近く歩き回ることもある。こういった移動範囲が広い野生動物の生息数を把握するのは難しい。見通しの悪い産地を好む生態がさらに難しくさせる。
新しい生息数を把握する調査方法によって、それまでの2倍以上の数値が出て、絶滅危惧種の指定から外れることもある。

クマは春や夏に種子をうんちとともに標高の低い里山から標高の高い奥山に運びながら移動する。秋になるとその逆をたどるようにどんぐりなどを食べて、山全体に種子と栄養満点のウンチを散布しつづけるのだ。
どうやらクマは夏で過ごす場所を起点に春と秋に出稼ぎで遠くまででかけて、冬に起点周辺に戻り越冬する習性を持つようだ。東北のまたぎたちの報告では積極的に遠出する「渡りグマ」とあまり移動せずに定着して行動する「地グマ」がいるという。

どんぐりを食べるイメージが強いクマだが、実際はもっと幅広く食する。
秋には堅果類だけではなく山葡萄や桜、ミズキといった液果類もタネごと食べる。この液果類もクマにとって重要な食糧である。カキやクリ、みかんなど人間が栽培する果実は特に好む。実は農作物の被害としてはシカ、イノシシの次に多いのがクマである。雑食性の動物だが普段は主に植物を食べる。人間が食べるようなフキ、イラクサ、セリなどの山菜や筍、ブナの新芽や花などは繊維が硬くなる前のタンパク質豊富な春に食べる。この時期もクマと人間の遭遇が多い時期だ。人間もまた同じ目的で山菜を探しに来る。
またキイチゴやクワの実、イチョウの実などもなども好物だ。イチョウは恐竜絶滅後、代わってクマによって種子散布されているようだ。

もしかしたら、近年里山にクマがよく出没するのは山全体に種子と養分を散布するためなのかもしれない。クマが食べた液果は綺麗に果肉が外れた状態で、ウンチと一緒に大地に散布される。それを目当てにするネズミもいるのだが、フンコロガシがどこからともなく現れて、種子とウンチを大地の中に隠してしまう。ウンチはフンコロガシの幼虫の餌となり、余った種子は発芽のタイミングを伺う。こうして二重に散布され、守られた種子は無事に発芽し、森林の新陳代謝、動的平衡は保たれる。

日本の山には昔から、森の恵みをいただき、最大限に生かしてきた民族が住んでいた。
地域によって、森の民だとか山窩だとか呼ばれた人々は森の生物多様性を生かしながら、生かされていた。
その中にクマも間違いなく含まれていたのだろう。
そして戦後の拡大造林の単一植林によって人々もクマも山を降り始めたのだろう。
クマは山の中に取り残された集落にある果樹類に依存し始め、人間との衝突が増えたと考えられている。

しかし、昔の民話や農書を読む限り、クマは奥山の生き物ではなく里山でよく目撃される生き物ようだ。もともと東日本の山々のように、人間がほとんど立ち入らない奥山エリアが少ない西日本ではとくにその傾向強い。
それを裏付けるかのように昔からクマは民話の中でたくさん登場する。
山に住むおじいちゃんおばあちゃんたちもまた、クマをそれほど遠い存在としても怖い存在としても扱っていないのが分かる。むしろクマに逢ったことがない人ほど怖がり憎んでいる。
私たちが勝手にクマを遠い存在にしただけで、昔からクマは私たちとともに生きていると思っているのかもしれない。

実際、明治時代に捕獲されたクマの骨の調査から当時は動物性タンパク質が食料の半分以上とっていたことが分かっているが、現代のクマの骨からはベジタリアンのように植物性のものが90%以上を占めていることが分かっている。明治時代までクマは人間の墓を荒らして死肉を食べていたことも記録に残っているし、火葬が当たり前になった現代では里山の近くの植物、特に農産物も食べている。
クマは昔から里山まで降りてきて、果樹だけではなく、トウモロコシやスイカ、またイネも食べることがある。また放牧中のウシや鶏を襲ったという例が報告されている。

時にクマは木に登り、枝を折って、座布団を作ることがある。クマ棚と呼ばれるもので桜類やミズキ、オニグルミの木などに作る。そこで食事をとり、ときにはそのまま寝てしまうという。人間がハンモックでのんびりするように。
そのおかげで森林内に日が差す場所が生まれ、あらたな樹木が育つ。
こういった小さな撹乱は植生遷移を促し、生命のバトンリレーを仲介する。そして、自分のウンチから新しい樹木の芽が空に向かって伸びる。クマは森林の世代交代を促しているようだ。クマが進化した時代こそ、被子植物が急速に多様化した時代だから、クマと被子植物は共進化してきたのだろう。

森林内を歩いていると、クマが樹木に傷をつけたあとを見ることがある。
樹木の内部に潜んでいるアリなどの虫を食べていると考えられており、
近年の山の食料不足が原因なのではないか、とも言われているが本当のところはよく分かっていない。

ただ、樹木に傷をつけることがクマにとってありがたい多様性を生む。
傷がついた樹木はそこから樹液を出す。
その樹液を求めてさまざまな昆虫が集まる。
そう、森のレストランのオープンだ。

さらには内部に侵入しやすくなった樹木に卵を産み付け、幼虫が外敵から身を守りながら樹木自体を食料とする。
そうして、その樹木には樹洞と呼ばれる大きな穴ができる。
その穴のサイズによって鳥やリスなどが棲みつく。
大きな穴となればそこには野生のニホンミツバチが巣を作る。

そして、クマはその蜜を巣ごといただきに戻るのだ。
クマは蜂蜜ばかりではなく、巣まるごとも食べる。
それは土の中に巣を作る蜂や人間にとっての天敵であるスズメバチも食べてしまう。スズメバチの成虫や幼虫、さなぎも食べてしまう。スズメバチが人間の家の高い軒下に巣を作るのはクマに襲われないところだからだ。人間にとって猛毒のスズメバチの攻撃はどうやらクマには効かないらしい。
また昆虫食の定番クロスズメバチの幼虫もクマも好物である。人間と同様に地中にある巣をさぐりあてて、器用に掘り起こす。

樹洞はさらに昆虫類や微生物類、コケ類や地衣類などによって少しずつ侵食されて大きくなっていく。

さらに大きくなりすぎた樹洞はクマの越冬場所となる。
クマにとって樹木を傷つける行為は環境破壊であると同時に環境整備である。
しかもそれはクマだけにとって都合の良い正義ではなく、結果的には多様性を育むことにつながっている。
私たち人間は自然を破壊せずには生きられない生き物だからこそ、見習いたいものだ。

いずれその樹木は内部に溜め込んだ養分を出し尽くすと大地に倒れる。
その幹や枝にある傷から侵入した菌が残った養分を分解し始め、秋にはキノコが顔を出す。数十年前にクマが傷をつけたおかげで人間は努力なしでキノコをいただける。
そのキノコは人間ばかりではなく森林に住む様々な生物を育んでいく。
樹木が体内に溜め込んだ栄養分はこうしてさまざまな生物に分配されていく。

こうして大きな樹木が倒れた隙間に陽が差し込むとまた新たな樹木が芽を出し、どんどん成長する。栄養源はあらゆる生命がその場に落とした排泄物(分解物)だ。
樹木は最初の数十年が一番空気中の二酸化炭素を吸収する。
そして、その二酸化炭素を内部に溜め込むことで強度を増し、様々な形で人間は利用する。

人間が細胞を少しずつ入れ替えて、命を維持している仕組みを動的平衡と言うが、
森林も同じように様々な生物が、それぞれのストーリーを織り込みながら動的平衡を繰り広げていく。
クマはそのなかで重要な役割を担っている。
それが環境破壊という環境整備である。
つくづく森林は森林で成り立っていることが美しいと思う。そしてそのデザインが各々がただ生きているだけで成り立っていることに感動する。

これは私たち人間がやっと理解した奥深い森林のストーリーの一部だろう。
私たちが山に入るとき、山菜を採るとき、木を切るとき、そのストーリーの一部を担っていることを忘れてはいけない。
そして、私たちの行いが他の生物にどう影響しているのか、注意深く観察したい。人類にどうフィードバックされるのかにも。
クマを含む山の生き物は決して都会から遠く離れた、隔絶された生き物ではない。
そこに境はなく、昔から今も変わらず繋がっているひとつの生態系である。

クマの最大の天敵はヒトだという科学者もいるが、それは生物学からすればおかしな話だ。ヒトはクマを食べなくても生きていけるし、ヒトはクマを見かけたら猟師でない限り捕獲しようとは思わない。むしろ逃げることを選ぶし、逢わないことを願う。お互いの食料だって、現代人からすれば競争相手にもならない。
私からすれば現代人がクマを理解し、尊重し、信じていないだけのように思える。

マタギたちは「クマは授かりもの」で「逃したクマは追うな」と言う。「孕みグマを殺せば七代祟る」「子連れグマを取ると天災が来る」と繁殖中の雌グマを捕獲することへの禁忌がある。こうした信仰がクマの乱獲を防ぎ、狩猟資源の保持と森林の保持を可能にした。
アイヌ民族はクマを神様と考えたし、アラスカの先住民は人間の一部はクマから生まれ変わったものだと考えている。

クマと人間はそう遠くない存在であると同時に、非常に強く繋がって里山を維持している関係性であることを多くの人に気がついてもらいたい。私たちの間に明確な境界線はない。

私たちがその境を取っ払うことができたとき、人間とクマは同じ生態系コミュニティとして共生できるのだろう。クマの問題は人間の問題であり、里山の問題であり、多様性の問題である。そこには境など昔から存在しないのだ。


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