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冬の気候 霜と雪と草木たち
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<冬の気候 霜と雪と草木たち>
新暦11月1日になると気象庁が使う天気図は衣替えをする。日本列島が四角い枠のほぼ真ん中に配置された天気図になるが、これは冬は北側の大陸に居座る冬将軍の動きを見やすくするためだ。
11月の異名「神無月」に吹く風は神様を出雲へ送るために「神渡し」や「神立つ風」「神送り」「神の旅」という情緒豊かな名前がついている。
その風を目で追うと、遠くの山々は葉を落とし。うっすら白くなるのが見える。高山帯では初雪が観測されると里山にもふと夜寒・朝寒と冬の訪れを感じはじめ、中国北部やモンゴルからマヅルが訪れる。
木枯らしは晩秋から初冬にかけて吹く冷たく強い北風のことで、一時的に西高東低の気圧配置になると発生する。木を吹き枯らすという意味で、冬の季語となっている。
実は気象庁が発表する「木枯らし1号」は東京都と近畿地方だけの地域限定である。もちろん他の地域でも吹いているが発表はない。この木枯し1号の定義は東京都近畿で少し違う。
東京の定義は「10月半ばから11月末に西高東低の気圧配置になって吹く西北西~北の風で、風速は秒速8M以上」。
近畿の定義は「おおむね霜降の10月24日ごろから冬至の12月22日ごろに吹く北寄りの風。気圧配置や風速は東京と同じ」。
ともに期間内に吹かなければ、木枯らし1号は発表されることもない。もちろん期間はヒトが勝手に設けたものなので、地球ではいずれ木枯らしは吹く。
ちょうどこのころ、沖縄には新北風(ミーニシ)と呼ばれる涼しい北風が吹き、長かった夏の終りを告げる。この風は涼しい風をもたらすだけではなく、九州からサシバを連れてくる。サシバ渡しと呼んでも砂質あけがないだろう。
本格的な冬が始まる直前となれば、里山の広葉樹は葉を落とす。すると裸になった冬木立に冬を告げる鳥マヒワが北国からやってきて、群れをなして留まっているのが見える。黒と黄色と黄緑色が縁どるようになす姿は冬の木立を彩ってくれる。
夜になれば冬にしか見ることのできない樹木の梢の凜とした美しさと枝越しに瞬く枯木星を見惚れるだろう。現在ではイルミネーションが流行しているが、地方の里山では枯木星がいまでも見ることができる。
そんな冬の気配と暖かさを感じて人々は冬日和に野菜や果物を干す。
日本では湿気の多さからドライフルーツの習慣があまりないが、干し柿だけは日本伝統のドライフルーツだ。
11月の終わりから12月にかけて全国どこも冷たい乾いた風が吹き、よく晴れる。この冷たい風と日光が美味しい干し柿をつくりだす。柿すだれやつるし柿は風物詩である。ついでに人々は日向ぼっこを楽しむ。
「柿が色づくと医者が青くなる」と言われるほど栄養豊富で、ビタミンCが多く、鼻や喉の粘膜を強化する栄養も豊富で風邪の予防に一役買うのだから、ただの冬の間の保存食でもおやつでもない魅力がある。
もう一つ重要な果樹がリンゴだ。秋の終りから冬にかけて収穫されるリンゴは寒さに強く、雪の下で保管される地域もある。雪リンゴは雪リンゴで寒さに使った分だけ味が深くなる。「1日1個で医者いらず」と呼ばれるほど栄養も豊富だ。
実は日本は冬の果樹が多い。このほぼ全てが照葉樹であり柑橘類である。冬に花を咲かす珍しい樹木であるビワは白くて可憐な華が満開になる。といっても控えめな花だが。
ユズやキンカンなら西日本の山間地でも栽培可能だし、海の近くならミカンやレモンが栽培される。またさまざまな柑橘類が春にかけて次々に実をつけていく。西日本では柑橘の移り変わりが季節の移り変わりを感じさせる。
果実酒やお酢、調味料などにもされるが甘露煮や鍋物、正月料理など幅広く利用されている。
日本の柑橘類で唯一の野生種と言われるダイダイの樹は不老不死の実として記紀にも登場する。西日本では橙を正月の縁起物の飾り物に使う地域がある。新旧「代々」の果実が同一樹上に見ることができることから、ダイダイと呼ばれ、それにちなんで家が代々続くことを祈った。
実は旧暦10月のことを小春といって、新暦の11月か12月上旬を指すのだが、この時期に寒さの合間にいきなり暖かくなることがある。そういった日のことを小春日和といった。小春日和という言葉は本来は11月と12月だけに使う。
この小春日和に秋冬野菜は光合成を盛んにして茎葉を一気に増やす重要な日。もちろん、虫を少しばかり活動を再開するが朝晩の冷えのおかげで虫害はほとんど心配がいらない。ときに金木犀が再び咲くこともある。
寒さが強くなるとダイコンが美味しくなる。十分に太ったダイコンもまた干されて乳酸菌たっぷりの沢庵漬けとなり、一年分の保存食となる。ダイコンが葉ごと干されている風景もまた干し柿とともに冬の名物である。
12月に入り、次第に雲は雪曇りと呼ばれる重たい灰色の雲が多く現れる。いよいよ日本海側の里にも雪が降ると同時に雷が轟く。冬季雷と呼ばれるこの季節の雷は日本海側に特有の雷だ。夏の雷は「落雷」というだけあって上空から地表に落ちるが、冬季雷は地表から雷雲に向かって放電することが多く、落雷することは少ない。被害は少ないが夏の落雷とは比較にならないくらい強力なエネルギーを持っているという。
雪が降るタイミングを「雪虫が舞うこと」、クモもしくはクモの糸のみが空中に舞う「雪迎え」など地域によって見抜き、マキリの卵を産み付ける高さや遠くに見える山に降る雪で、その年の雪の量を推測した、昔から観察眼の優れた百姓によってさまざまな自然の観察を通して、気象を察し、言い伝えが受け継がれていたのだ。
晩秋ごろからよく晴れるため、しんしんと冷え込む夜には霜が降りる
雲の動きや山の雪の残り具合などを見て、よく天気の予測をしていた。
落葉樹の葉の落ち具合やタイミング、野菜や野草の葉の大きさなどが雪や寒さの目安になった。
降雪地帯の庭園では雪の重みで木の枝が折れないように雪吊りを行う。また樹木の幹に藁やムシロなどをくくりつけて冬に備える。この中にはさまざまな虫が冬越えのためにやってくる。その虫には害虫と呼ばれる虫もいるが、益虫も分け隔てなく迎え入れる。
秋に里山まで降りてきていたクマも山奥へと戻り、穴に籠る頃だ。
冬至にもなれば西高東低の気圧配置が天気予報で何度も姿を表す。
雪国の人々は覚悟を決めて、冬の暮らしに没頭しはじめる。一年で一番昼が短く夜が長い冬至を過ぎれば、少しずつ昼間が増えていくというのに寒さは増していく。ユーラシア大陸の北側で発達するシベリア気団がはっきりと天気図から読み取れるようになれば、本格的な冬が始まったといえる。
西高東低の気圧配置は大雪だけではなく、強い風を伴う雪風巻(ゆきしまき)を起こす。つまり猛吹雪のこと。盆栽には冬至梅と呼ばれる品種がある。これは冬至のころに一重咲きの白い花を咲かす梅。この寒さ極まる季節にすでに春を感じたいというのもヒトの心なのだろう。
また冬至には「ん」がつく食べ物を食べると運気があがるといい、冬瓜やカボチャ(ナンキン)などを食べる人が多い。どちらもビタミンCが豊富なので風邪の予防に良さそうだ。
この季節になれば鍋が美味しい。もともと、日本人の食事は一年中鍋や煮物が中心だったと考えられている。鍋こそ、伝統的な和食といっていいほど暮らしに根づいているし、あらゆる食材が利用できる。全国各地に地域性があるばかりか、鍋奉行と呼ばれる人がいるほどこだわりの食べ方がある。さらに明治以降、すき焼きやキムチ鍋、トマトにチーズ、豆乳や牛乳、カレーなど世界中の食材すら取り込んでしまった。寒い日に家族や親戚、友達が鍋を囲む姿は日本の伝統的な和の景色だろう。
数回ほど、冬の大将軍が訪れるとクリスマス寒波を越え、ついに大晦日を迎える。正月に雪がちらつくこともある。
正月の雑煮にはさまざまな食材が地域ごとに選ばれているが、江戸庶民の雑煮といえばコマツナだった。コマツナは霜が降りるたびに甘みが増し、葉が柔らかくなることから冬の野菜として人気があったようだ。
正月も早々に、百姓たちは寒だめしでその年の天候を占った。
「耕作噺」(青森の農書)によると「寒三十日の刻積(こくづもり)」といい、寒の入りから寒明けまでの間に天気や雲の様子、雨や雪の降り具合、風や温度を調べて1年の天気を占うようだ。
1日に4回の観測。肌着1枚になって外に出て、寒さを体感するのだがら、気の入れようが違う。寒だめしは北陸や東北、山陰などで広く行われていたようだ。
江戸時代には地域や人によってさまざまな天気予測法編み出されていたようだ。そのため全国各地にさまざまな占いがあり、神社によってもさまざまな生き物の力を借りて占いをするが、農家にとって気象庁や科学者の権威よりも当たるかどうかのほうが重要だ。
三が日に降る雨や雪は「御降り(みさがり)」と呼ばれる豊作のしるしで、そのお正月は「富正月」と呼び喜ばれた。
三が日に限らず昔から「大雪は豊年のしるし」「雪は五穀の精」「豊の雪」というように大雪は有り難い存在でもあった。
寒いはずの冬がしっかり寒いならば、暑いはずの夏も暑くなるはず。要するに気候が正常である証。また大雪は農業用水をたくわえることができるし、冬の雷がチッソを多く固定して蓄えてくれることも関係あるだろう。さらに土の中で越冬する害虫が減ると考えられていた。
正月の行事も終えると、次第に人々はいつもの暮らしに戻っていく。
いよいよ寒さが極まる小寒を迎える。ここから立春までの約1ヶ月間が寒の内で、小寒は寒の入り。夜の寒さは特に強まるが、夜空は澄み渡り、星星が瞬く。
寒入りから九日目に雨が降ると豊作の吉凶とされる寒九の雨がある。
七十二侯のひとつに「水泉動く」といい、大地の下で凍っていた水脈が溶け、動き出すという。寒さの厳しさとともに春の兆しを見出す人々にとって、この時期の雨は春の兆しを感じ取るのだろう。
この時季に汲まれる水を「寒の水」といい、一年で最も冷たく澄み切った清らかな水。この水を使って日本酒や醤油、味噌を仕込むことを「寒仕込み」という。この時季は雑菌が沸きづらいため、発酵が進みやすく、次第に暖かくになるにつれて、菌たちも勢いを増していく。菌の発酵具合と季節の進み具合がともに変化してく様子はともに生きている感覚になる。全国の酒造や醤油、味噌づくりの人々は一年で一番忙しい季節を迎える。
「しじま」という美しい言葉がある。これはただの静寂ではなく寂寥感の漂う静けさのこと。
草木が枯れ、生き物たちが冬ごもりし静かになる季節にぴったりの言葉
で山の中は眠ったように静かになる。そんな夜のしじまの雰囲気を「霜の声」といい、耳をすませば霜を結ぶ音さえ聞こえてきそうな深い静寂の世界。足元にできる霜の美しさを霜花、草木に降りる霜の美しさを霜の花とたたえた。
よく晴れた朝に霜柱を踏む楽しさを子供と共に味わうことができる。実は霜柱が見られる地域は限られていて、西日本よりも東日本の方ができやすい。霜柱の形成には土中の空気量が、つまり隙間が多い土壌のほうができやすく、地中の水分が地表面まで持ち上がって凍る現象のこと。霜は空気中の水蒸気が凍ったもので、別ん現象である。
そのため霜は全国どこでも見られるが、霜柱は隙間が多い火山灰土がある東日本や西日本の九州南部でよく見られる現象である。世界的にも火山灰土があり寒くなる地域限定であり、非常に限られている。
1月の後半から2月にかけて太平洋側でも年に数回しかない積雪のチャンスが訪れる。南岸低気圧と呼ばれるミニ台風が日本列島の南側で発達し北上すると、日本列島近くで強い冬将軍とぶつかることで関東にも雪となることがある。冬晴れの青空から暗くて重い雪催いの空が広がる。太平洋側の暖かい地域では気温が氷点下まで下がりやすい夜更けにみぞれから雪へと変わる。
夜中にしんしんと雪が降り、辺り一面が白くなれば、朝の明るさで雲を通過してきた太陽光が反射して屋内に入ってくるので、いつもより窓越しの朝が明るくなる。そのちょっとした違いに子供たちは気づき、カーテンを開ける。さぁ、雪遊びだ!
大人たちは昔からこの真っ白な世界を雪見として楽しんだ。雪見酒に雪見障子、雪見灯篭などは現在でも雪を楽しむために受け継がれている。晩御飯には雪見鍋として大根おろしたっぷりの鍋を楽しみたい。(少ないとみぞれ鍋という)これもまた豊の雪だろう。
ふと梅の梢の先端にピンク色の蕾が映えているのに気がつく。足元にはなよやかな野草がおもむろに姿を現す。こうして立春を過ぎれば三寒四温の中で春を隣に感じる。
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