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夏の気候 五月雨と夕立と彩り


<夏の気候 五月雨と夕立と彩り>

春の終わりと夏の始まりを告げる鐘がなる。
それが春の嵐、またの名をメイストリームと呼ぶ。これは日本だけがそう呼んでいる。
ちょうどゴールデンウィークが始まる4月の終わりから5月の上旬ごろに、強い風と強い雨が日本列島を襲う。
山間部や北日本では時に雪や霜が降りることもあるくらい冷え込むことがあるため、寒がりの人は炬燵をしまわなくて良かったと思うことだろう。農家はこの八十八夜の忘れ霜にヒヤヒヤしている。
ちょうど立春から八十八夜を迎え、立夏を目前としたこのタイミングはまさに季節の変わり目である。エッジに地球のエネルギーが高まることをよく表している。
この嵐は青い新緑をなびかせるため青嵐(せいらん)ともいう。無事に収穫を終えた一番茶の香りを全国に運ぶ。

シーボルトは日本に初めてやってきた時、長崎港に近づく船から日本列島を見渡してこう述べた。
「前を飾るには緑と深き岡と耕されたる山背とありて、その後ろには青きやまやまのいただき、はっきりと空に隈どられたり」と。
つまり日本の緑の多様性に心打たれたのだ。この緑を生む源こそ、雨である。

新暦5月1日になると気象庁が使う天気図は衣替えをする。
日本列島が四角い枠のやや上側に配置された天気図になる。これは夏の主役小笠原気団の動きを見やすくするためだ。

この春の嵐を機に、沖縄周辺では梅雨入りを迎える。
この雨は麦を潤し、稲を目覚めさせる穀雨と呼ばれたり、春の草木を潤す甘雨と呼ばれる。山笑う季節は一気に万緑の季節へと彩りを変え、山滴るようになる。この時期の草木の緑は力強さとみずみずしい美しさを兼ね備えている。そしてその爽やかな香りを運ぶ風も含めて、自然豊かな日本の季節の美しいワンシーンだろう。

温められた小笠原気団は次第に勢力を増す。それによって黒潮は北上を開始する。春先の海は赤潮によって濁るものの、この黒潮の北上によって新緑のような紺青(こんじょう)の潮が沿岸を覆っていく。これを漁師たちは親しみを込めて青葉潮と呼んだ。沖合から見る海と山の青葉若葉のグラデーションを表す美しい言葉だ。

その新緑でモコモコした山地にある背の高い樹上には南風とともに初夏に渡ってきたハチクマが巣を作る。ハチクマはその名の通りハチを主食とする珍しい鳥で、スズメバチやアシナガバチなどの巣を襲い、幼虫を食べる。また土中に住み着くクロスズメバチやオオスズメバチも捕食対象である。
他の夏鳥とは少し遅れてやってくるカッコウやホトトギス(カッコウ科)は他の鳥の巣に托卵する習性を持つ。もしこの季節にカッコウやホトトギスが高い木や建物で佇んでいたら、それは托卵を企んでいるに違いない。

ホトトギスは昔から勧農鳥と呼ばれ、農耕と深い関係を持っていたようだ。カッコウ科の鳥は毛虫を好んで食べることが関係しているのかもしれない。カッコウは別名豆植え(蒔き)鳥といい、その鳴き声は地域によってさまざまな豆を蒔く合図となっている。

その強い雨を避けるように筍が一気に生えてくる。その様子はニョキニョキとは言い難いほど力強い。雨後の筍とはよく言ったもので、竹は湿気を嫌う。だから、よく晴れた日にたくさん伸びようとするのだ。しかし逆に晴天が続くと筍はあまり出てこないから、雨がひとつのスイッチの役目をしているのだろう。

筍の収穫と同時に麦は黄金色に染まっていく。この季節の麦畑はゴッホの名画を思い浮かべるほどに美しい。麦の鮮やかさを際立たせる雨を麦雨(ばくう)は農家にとっては収穫が遅れるため喜ばしくはないが、その美しさに農家も見とれてしまうほどだ。そんな麦を乾燥させるべく服麦の秋嵐は、農家にとって喜ばしく、穂が揺れる姿は絵にもなる。

日本の夏は雨の夏だ。暦上の夏は新暦の五月から七月いっぱいまでで、その間のほとんど梅雨である。東アジアのモンスーン気候帯独特の気象現象である。
旧暦五月(新暦6月)を皐月、その頃に降る雨を五月雨(さみだれ)という。
つまり、現在私たちが呼ぶ梅雨のことである。「さ」は「田の神様」、「みだれ」は「水垂れ」(雨)のこと。
現代の田植えは早生品種がほとんどのため田植えは4月下旬から5月のゴールデンウィークに行うことが多いが、昔は6月入梅の頃に行うものだった。実際に自然農を実践する人で6月に田植えをする人も多い。水田は説明しなくてもわかるように水が必要で、現代のように灌漑施設が整っていなかった昔はこの時期の雨を非常に喜んだ。田植えの雨は特別な雨だったのだ。水が豊富であれば、雑草を抑えることが容易だった。

現代の暦は太陽を中心に考えたグレゴリオ暦(太陽暦)であるため、入梅は太陽の黄経80度に達する日でだいたい6月11日前後となる。この時期には栗の白い花が咲き、甘い香りを里山中に漂わせる。
この季節の風はさまざまに薫る。風薫るという表現は目では捉えきれない風をいきに表現している。そして、その栗の花を落とす雨が降ることから「栗花落(ついり)」とも呼ぶ。

東日本と西日本では梅雨の雨の様子が違う。
西日本の梅雨は乾いた揚子江気団と湿った小笠原気団の狭間に全然が伸びる。そのため雨と晴れがはっきりとしている。
西日本は降るときは強い雨が降り災害を起こすこともあるが、夏のように晴れる日も多い。西日本では嵐のような風を強く伴う雨が多い。その新緑の上をびゅうっと強く吹く風のことを青嵐と呼ぶ。

対して東日本の梅雨はともに湿ったオホーツク海気団と小笠原気団の間に前線が伸びる形となって現れる。つまりずっと湿った空気が上空を覆う。
東日本はシトシトと弱い雨がずっと続くため、晴れる日が少ない。青々とした新緑の葉からポタポタと落ちてくる水滴を青時雨と呼ぶ。雨の降りかたが違えば、景色もまた違う。これもまた4つの気団のエッジに並ぶ日本列島という特異な環境が作り出す景観だ。

こうして小笠原気団が勢力を増したり、弱めたりする過程で梅雨前線が北上したり南下したりする。最終的には小笠原気団が一人勝ちして梅雨明け、真夏の到来となる。梅雨が明けるときは西日本も東日本も激しい雷雨となる。

梅雨明けごろに吹く生暖かい風を白南風(しろはえ)と呼ぶ。この風を運んでくるのはもちろん夏の代名詞、小笠原気団である。
夏至の前後はたっぷりの雨と暖かい空気のおかげで雑草も農作物もどんどん成長していく。
しかし、東北地方の東部では逆に冷たい山背が吹く。
山背とは偏東風のひとつでこの地域独特の季節風である。この山背との戦いがこの地域の歴史でもある。

凶作は東北地方に限った話ではなく、寒気団が強く張り出すと「梅雨寒」と呼ばれる寒い雨が降ることがある。これが長引けば冷夏となり農作物は収量を減らしてしまう。

梅雨明けとともに夏の土用入りとなる。一年で一番暑い期間の始まりだ。土用の丑の日に精のつく食べ物、餅や卵などを食べて乗り切ろう。小暑、大暑と続くこの季節には夏野菜が一番よく実る。旬の夏野菜とそうめんはこの季節の代表的な日本食である。風鈴のチリンチリンと鳴る音を聞きながら縁側で過ごすのも気持ちが良い。風鈴は音霊による魔を祓う道具。その音が届く範囲は正常さを保ち、病気を防いでくれる。

梅雨時に降った雨の多くは土中に染み込んでいくがその流れは緩やかで、土の表面や草木の表面に残ることもある。また草木にとって梅雨明け以降の暑さを乗り切るために葉の表面から水を蒸発させて熱を逃がす。
こうしてそれらの水が梅雨明けとともに天へと舞い上がっていくため、この時期はまだまだ蒸し暑い。この湿気が多くて暑いさまを溽暑(じょくしょ)という。江戸時代には夏バテを防ぐために甘酒が流行ったが、この湿気と暑さが麹作りも甘酒作りにも適している。

この水分のいくつかが小笠原気団からの暖かく湿った空気と合流し、上昇して入道雲となり、夕立となってまた私たちの元へ、地中へと戻ってくる。福岡正信さんが「雨は大地から降る」と言ったのもあながち間違っていない。狐の嫁入りと呼ばれる天気雨もこの時期に多く、七色の虹もまた私たちを楽しませてくれる。

近年では入道雲はゲリラ雷雨の前兆として恐るべき存在だが、その山々の峰のようにそびえ立つ雄大な雲の峰は関東では「坂東太郎」、関西では「丹波太郎」と親しみを込めて呼ばれていた。これはきっと夕立が夏の暑さを和らげてくれるとともに、作物を潤す役目を担っていたからだろう。その役目をエアコンが、スプリンクラーが担う最近では誰も親しみを持つことが無くなってしまったようだ。この雨こそ自然農を実現できる恵みの雨なのにも関わらず。そもそも人が多く住む都会に土がないことが、そうさせてしまったのだろう。

この夏の多彩な雨が日本を世界でも稀な生命豊かな国にしている主役である。しかし、結局のところ雨が多すぎても少なすぎても困る。雨は恵みをもたらす神でもあり災害の神でもある。

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