立体農業大国・日本の可能性
<立体農業大国・日本の可能性>
現在のコープに代表される協同組合の元を作ったことで世界的に有名な賀川豊彦は農業の専門家でもあった。
彼は江戸時代から続き、地方の村に残る共同防貧の思想と仕組みがこれからの日本ばかりか世界には必要だと考えていた。
その思想は本人が信仰していたキリスト教の世界観で熟成されいくつかの書籍によって後世に残された。そして近年になって欧米を中心に紹介され、そして世界中で協同組合の創設と活動がなされている。
そんな中賀川豊彦は日本の農業が明治以降、西洋の農業の移入によって、少しずつ平面中心の農業に切り替わっていく様子を見て、問題視するようになっていった。
彼にとってこれからの農業は立体農業であると強く訴え、立体農業こそが自然災害や飢饉による対策であり、神から与えられた百姓の務めだと考えていたようだ。
賀川豊彦が訴えてきた立体農業の仕組みは自然農というよりもパーマカルチャーの思想にとても近く、自身のフィールドデザインはもちろんのこと、里山全体、そして日本全体を食べられる森にする上でとても貴重かつ有効的である。
賀川豊彦は生命の樹と知慧の樹という言葉で果樹を分けて考えた。リンゴ、ミカン、ナシ、モモなどは甘いフルーツを実らせる果樹を知慧の樹と呼んだ。「生命に必須な生命の樹を栽培することを忘れ、いくら食っても生命の原料にならないものばかり栽培している労力も面積もいる。」と嘆いている。
それとは別にタンパク質と脂肪、デンプン、ビタミンを含む樹木を生命の樹と呼ぶ。クリ、クルミ、シイ、トチ、カヤ、ドングリ、バナナ、カンラン、アルガローバなど栽培に関する労力は少ないが、加工に労力がかかる。
アイヌ語ではヤマトとはヤム(クリ)、トー(多い)という意味であり、大和国日本はクリの木が非常に多かったのだろう。青森の三内丸山遺跡からクリの巨木で櫓を建設していた跡が発掘されたように、全国にクリの巨木が立ち並んでいたはずだ。ドングリの木の中でもクリはパイオニアプランツに近く、今でも林道の脇によく生えている。
世界的にもタンパク質多く含むクルミ、デンプンの多いクリ、脂肪の多いカシューナッツは栽培されており、日本でもナッツ類の人気は高い。
豊受大明神という神名の「ウケ」の意味は「ナッツ」の穀果を歯で噛んで発酵させて、壺に入れて保存したものをいう。そうすると酒になるのだが、中国地方を始めドングリから作る酒は全国の山間部にあった。この酒を神様に祀る紙ごとも残っており、この発酵の神を豊受大明神といったのかもしれない。
島根県の熊野神社では神事として今でもやっている。島根県には宇芸(ウケ)という群があった。古代日本ではおそらくそういったドングリを酒にしたものがあった。
関西の正月の三宝にはカヤ、勝ち栗、シイを必ず載せるのは縄文時代から続く風習の可能性がある。日本のおとぎ話にはシイを拾いにいったり、クリやカキの話が非常に多い。
また西日本を始め、全国の鎮守の森にドングリの巨木が残っているのも見逃せない。しかし明治に入って鉄道の路線(枕木)のために生命の樹のクリを伐採してしまった。縄文時代から続く伝統的な食糧だったクリはこうして数を減らしてしまったようだ。
クルミも全国の山間地、特に川や沢沿いに自生しているにも関わらず、河川の開発・整備によって切り倒され、コンクリートで埋め尽くされてしまったがために、一部の人だけしか食べなくなってしまった。代わりにアメリカ産のクルミがスーパーに並ぶ。
このように古代日本の主食は間違いなく生命の樹だったはずだ。コメや雑穀などの栽培がはじまったものの、それでも生命の樹は重要な食糧だった。賀川豊彦は穀物ならぬ穀樹として、積極的に立体農業に取り入れることを推奨している。そして「なぜ飢饉が起きるのかといえば田に稲ばかり植えることばかりに専念して、それ以外に土地のことを念頭に置かないから。」という。
日本の面積は世界的にも狭くないが、山岳地方が85%、平地は15%ほどと、平面農業つまり大型農業にはあまり向いていない。
「ただ山を有用に食糧資源に使用していないことが我々の誤謬である。我々の理想は木材と食料と衣服の原料が三つともとれる山にすること。立体農業は平面農業を補完する。」という。
もちろんそれだけではない。立体農業は国土保全つまり自然災害への対策となりうる。樹木があれば洪水でも被害を最小限に抑え、上流から流れてくる肥沃な土を留めることができる。
「ただ、人間が大自然を自分の枠にはめようとするその瞬間に、大自然が人間の枠からはみ出すのだ。」というように山の斜面はもちろんのこと、段々畑や棚田にも樹木があることで災害対策になる。平面農業のために日当たりを良くしようとして伐採し過ぎたことが、地球温暖化においてはかえって高温障害を生み出している。
立体農業は山間地を食糧資源の宝庫とし、洪水被害を減らし、美観は増す。「山に樹がなければ川や海にも魚は集まりません。」というように海岸線の魚付き林にも立体農業ができれば、海で不作でもやっていける。
伝統的な焼畑でもこういった穀樹は保護され、それ以外の地域でも冷害に備えるために切らなかった(留木という)。コメ・ムギを中心とした農業では数年に一度の自然災害(不作)には対応しきれないのだから、樹木作物で欠点を補う必要がある。
現代では林業と農業が明確に区別され、山岳が林業、平地が農業の世界となって分断してしまっている。しかし立体農業では山岳地・平地をともに水源の確保、人類の居住確保、食糧生産、魚類の繁栄、自然災害対策と対応と多機能性を生み出すことができる
とくに賀川豊彦は「山岳地方の樹木をかり倒せば早害と水害が交互にやってくることは常識である。」と述べるように災害対策について強く訴えている。
樹木は雨水を13倍貯蔵するばかりか、土留めとしての機能が高いことは知られている。アメリカの治水管理者(TVA)はダムと谷に生命の樹つまりペカンやヒッコリーなどを植えた。日本でも江戸時代と戦後にサクラを植えたが、穀樹を植える手もあっただろう。
穀樹となる木には台風や津波などの大きな自然災害にも強い。特に大型の台風が直撃するような地域に残る昔ながらの古民家には必ずといっていいほど防風林が残っている。
数十年前までの沖縄では家の周りにフクギや家のやなと同じくらいの高さの屋敷林が植わってあり、強い風から家族を守っていた。また琉球王国時代から積極的にサトウキビ畑が開かれたが、それまでは果樹を中心とした暮らしだったはずだ。熱帯や亜熱帯ほど樹木(果樹)にとって成長しやすい気候はない。
賀川豊彦は「熱帯での平面農業は必ず失敗する。」と断言する。ブラジルではクリ、ドバラ、ブラジルナッツの三本があったら孫子三代食えるという教えがあるという。
「熱帯農業というものは樹木農業でなければダメ。熱帯地方では麦や米や粟やヒエ類では害虫にやられてとてもダメ」というように、本来は草類は乾燥し、寒い地域を好む。
果樹栽培において天敵のとなる虫や病気の数は多くなる。木村秋則さんが無農薬無肥料で栽培したリンゴが「奇跡のリンゴ」と呼ばれるのは、その天敵の多さゆえである。
そこで賀川豊彦は「立体農業の協力者として小鳥を招く。小鳥に見捨てられる日、日本は立体農業を永続することはできない。立体農業をやるものにとって鳥は恩人でもある。」と提案する。沖縄をはじめ、日本全国どこでも渡り鳥や留鳥が多いことは立体農業において最大のメリットだろう。
立体農業は決して現代社会や技術を否定しているわけではない。むしろうまく溶け込み、お互いに補完し合う可能性が高い。
裸の山は木の生えている山に比べて13倍の洪水を出す危険率が多いから、少しの雨にもすぐ洪水になる。山の木を切ってしまえば、いくら水力電気のダムを作ってもすぐに土砂で埋まってしまい、余計なコストと労力が必要となる。またダムが決壊したときに、溜まった流木と土砂が被害を大きくしてしまう。
土壌保全のための山岳地帯で樹木農業をすることができれば、その下に広がる平面農業にもメリットは大きい。角度13度以上の傾斜地の樹木を切り倒すと土壌が流失して、有用バクテリアがいなくなってしまう。そのために肥料木は役に立ち、草木や落ち葉はその斜面を利用して田畑に堆肥として供給することができる。
ドングリを生産するカシ類を昔から「水木」と呼んだ。生のカシ類は燃えにくいためで、山林にもシイやカシ類を配置して、火災による害を防ぐことができる。度重なる江戸の大火でも樫の木によって救われた家は多かった。
また穀樹は食糧ばかりではなく、油分が豊富なため油脂原料、プラスティック原料として研究開発が進むだろう。また香料、薬品原料、工業用材料としても考えられる。
賀川豊彦が生きた時代にはすでに環境問題と人口問題が話題に上がっていた。そのため「地球の平静な温度を維持し、暴風や洪水を避けることから考えれば、立体農業は地球生成史に順応した最も良い農業政策であり、人口問題を解決しうる唯一の鍵である。」と述べる。
また「立体農業は砂漠を楽園に回復し、海洋を養魚場にかえ、山岳を堅果と酪農の資源地と化してくれる。立体農業は生物にその適地を与え、気候を温順ならしめ、災害、虫害を緩和し、自然平衡を取り戻す最も科学的な方法である。自然をあなどるべきでない。我らは大自然の教えるところに順応するべきである。」と自然から学び、自然を真似し、自然と調和した農業を、生き方を強く訴える。
平面農業の主役であるイネ・ムギなどの穀物栽培によって栄えた古代文明は樹木を伐採し、森林を田畑に切り開いていった。そのおかげで栽培面積と収量を増やし、人口を増やした。その結果、自然災害によって滅びていった。賀川豊彦はその惨事が現代文明にも近く訪れると考えたのだろう。
そして、それを防ぐことができるのは政治家ではなく農家だと考えていたようだ。彼は農家への激励を著書の随所に残す。「魂を開墾することなくして山野を開墾することはできない。」「農業生産の低調を防ぐために国家だけがいくら救済の手を伸ばしても、農民自身が目を覚まさねければダメである。」
~立体農業・七つの使命~by賀川豊彦
①天災防止:洪水、旱魃、雪、霜、雹、冷害、地震、山津波などによる表土の流失を防ぎ、地力を保存する。
②都市生活防衛:100年おきに皆伐するような林業をやれば、都市部に洪水が押し寄せる。水力ダムも止まる。樹齢数百年から千年に及ぶ樹木作物を中心とする高級林業に移行する必要がある。貯水池は永久に保存され、都市の井戸水は絶えない。
③漁業の魚付き林:土佐の野中兼山は四百年前にすでに土佐湾の海岸百里に魚付き林を植樹している。木のないところにプランクトンはわかず、プランクトンがわかないところに魚はいない。
④牧樹による有畜農:動物飼料としてヤシャブシ類やマメ科植物を立体的に生産する。火山の多い地帯では安山岩地帯にむくアカシヤなどの樹木を植える。ドングリを集めてブタを飼い、ブナを集めてニワトリやウサギを飼う。
⑤国土美化:戦前750種類もいた渡り鳥を戦争中に約250種類も食べてしまった。
⑥土壌を保存、⑦食糧を増産する
<防災になる木>
防風
暖地:クロマツ、コウヨウザン、マダケ、モウソウチク。アラカシ、ウラジロガシ、イチイガシ、アカガシ、シイノキ、クスノキ、タブノキ、ヤブニッケイ、ヤブツバキ、マサキ
暖温帯:モミ、ツガ、アカマツ、コウヤマキ、アスナロ
冷温帯:スギ、ヒノキ、サワラ、ウラジロモミ、ヒノキアスナロ
生垣に使用される樹種
キンモクセイ、イヌマキ、シラカシ、サンゴシュ
常緑樹の果樹
柑橘類、オリーブ、フェイジョア、グァバ
内陸防風林
スギ、ヒノキ、カラマツ、クロマツ、アカマツ、サワラ、モミ、エゾマツ、トドマツ、トウヒ、ナラ、カシワ、ニセアカシア、ポプラ、ドロノキ、ハンノキ、ヤチダモ、アカダモ、イタヤカエデ、ヤナギ、ケヤキ、カシ、シイ、ツバキ、マサキ、モクマオウ、フクギ、ソウシジュ、イヌマキ、リュウキュウマツ
海岸防風林
クロマツ、カシ、タブ、ツバキ、モクマオウ、カシワ、ナラ、ヤナギ、ヤシャブシ、アカマツ、マサキ、ニセアカシア、グミ、タケ、テリハボク、フクギ
水害防備林
マタケ、モウソウチク、スギ、アカマツ、クロマツ、ケヤキ、エノキ、クスノキ、ニセアカシア、ヤナギ、ドロノキ、クルミ、ヤチダモ、ハンノキ
防霧林
トドマツ、エゾマツ、ナラ、カラマツ、カシワ、ヤチダモ、ハンノキ、カンバ、クロマツ
防雪林
スギ、ヒノキ、アカマツ、カラマツ、トドマツ、エゾマツ、トウヒ、ニセアカシア、カシワ、ナラ、ヤチダモ、ハンノキ
雪崩防止林
トネリコ、カシワ、カンバ、クリ、ミズナラ、コナラ、ニセアカシア、ヤマハンノキ、ケヤキ、カエデ、カラマツ、スギ、モミ、エゾマツ、トドマツ、ヒメコマツ、トウヒ
防火林
サンゴジュ、カシワ、ナラ、クヌギ、イチョウ、カシ、シイ、シュロ、カラマツ、スズカケノキ、ユリノキ、ミズキ、アオギリ、カエデ、ユズリハ、ヤツデ、モッコク、イチイ、タブノキ、サザンカ、ネズミモチ、コウヤマキ、ドロノキ、ポプラ
防煙林
カヤ、イヌガヤ、イチョウ、オオシマザクラ、ネムノキ、サイカチ、ニセアカシア、ヤシャブシ、カシワ、ナラ、ミズキ、エノキ、トチノキ、シオジ、トネリコ、ツバキ、ヒサカキ、アオキ、ヤツデ、サカキ、クス、カシ、シイ、アセビ、フウ、ポプラ、キョウチクトウ、スズカケノキ