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アイルランドの悲劇と多様性


<アイルランドの悲劇と多様性>

私たち現代人は歴史から多様性の大切さと画一性の危険さを学ぶ必要がある。

ヨーロッパではなかなか広がらなかったジャガイモ栽培はアイルランドの気候とマッチしていたこともあり、17世紀の頃からはじまり18世紀には主食となる程普及していた。このジャガイモのおかげでアイルランドの人口は300万人から800万人ほどまで増えたという。

しかし、1840年に襲ったジャガイモの疫病の大流行によって100万人も及ぶ人々が餓死する悲劇が起きた。

原産地の南アンデス地方では現在でも市場に行くとカラフルな芋が並んでいるのが見ることができる。農家はその見た目の美しさのために多品種を栽培しているわけではない。ジャガイモのようにクローンで増える植物は交配による遺伝子の多様性が生まれにくいから、イモの品種自体を多様にして病虫害はもちろんのこと、その年の天候による個々の収量のばらつきを全体で補っている。そのため、たとえ病気が発生してもぜ全滅することは免れる。ある種が不作でも、他の種が豊作であれば食糧危機には陥らない。カラフルは多様性の象徴だが、食糧危機対策の知恵の証でもある。多様性は重要機能のバックアップに欠かせない。

しかし、ジャガイモをヨーロッパに持ち込んだ人々は収量が多く美味しいという基準に合う1品種だけを選んでしまったがために、疫病が流行してしまい、その被害は歴史に刻まれるほど深刻なものだった。生物多様性の自然界では何か一つの種だけが繁栄することはないから、疫病が大発生するのは自然の摂理だった。たった一つのモノサシで、価値観で選ぶことは自然界では脆さにつながる。

1845年のアイルランドは低温で霧や雨が多い年だった。茎葉が黒く変色し腐り、最終的には枯れていった。ジャガイモの収穫が前年に比べて約30%ほど落ちた。当時はまだ病原菌の仕業という認識がなく、蒸気機関車の噴煙やカトリック教徒への天罰など間違った噂が広まったため対応がさらに遅れた。そのため黒く枯れたジャガイモは畑に放置されてしまったのだ。

ジャガイモの疫病菌はカビやキノコなどの真菌類に似ているが、卵菌と呼ばれるグループ。ただし、カビと同じような環境で繁殖するし、胞子や菌糸を伸ばすため、畑に放置すれば翌年に影響がそのまま出る。そしてさらに畑に広がった疫病により、翌年は約80~97%もの減収となる。それでも原因が解明できないため、1849年まで悲惨な状況が続いた。

残念なことにイギリス政府の対応は冷たかった。アイルランドを属国として扱っていたため、ジャガイモ以外の作物(エンバク、大麦、小麦など)はどんどん本国に輸入させ、イギリス人はパンやエンバクなどを食べていたため影響は全くなかった。イギリス人にとってジャガイモは副食に過ぎなかったから大量に必要ではないにも関わらず、肉食との相性が良いせいで輸出を止めることはなかった。

しかもウシやブタなどの畜産物も同様に飢えに苦しむアイルランド人の腹ではなく、裕福なイギリス人の腹を満たすために海を渡った。その輸出量は大飢饉の前よりもむしろ増えていたという。その対応にアイルランド人が抱いた深い不信感は、その後の独立運動のエネルギー源となる。食べ物の恨みは怖いのは世界共通のようだ。

このように100年近く前から、自然が豊かな地域の農家が食っていけなくなり、自然を排除した都市部の富裕層が食べていけるという自然界では非常識な社会システムが存在していた。こういうところで悲劇は起きる。

飢えに苦しむアイルランドの農夫たちは家畜を売り、家を売り、故郷を出た。一部の人々はアイルランドでの農業を諦め、約100~150万人が新天地アメリカへと渡っていった。船の中も劣悪な環境のため約15%ほどの人は死んでしまったという。この人々はアメリカの工業化において労働者として活躍し、その原動力のおかげでイギリスを超える工業国として大発展する。

しかし、残念なことに「ヒトは学校で歴史を学ぶが、歴史から教訓を学ぶことはない」。

欧米での農薬研究と輪作によってある程度管理できるようになったにも関わらず、1976年に以前までの疫病菌とは違う系統の病原体が潜んでいる種芋が欧米に輸出されてしまった。メキシコはジャガイモの輸出国ではないが、1976年にヨーロッパで起きた干ばつのせいで種芋が大量に不足したことで、積極的に大量に輸出されてしまったのだ。

皮肉なことに1840年のアイルランド飢饉をもたらした疫病も科学者あるいは植物学者が、メキシコの同じ地域から持ち込んだ感染植物あるいは芋から生じたものだった。現在、日本を含め世界中で野菜や穀物の持ち込み持ち出しを禁じているのは、新しい悲劇を生まないためだ。

以前の疫病菌は無性生殖しかしない種であったため、簡単に封じ込めたが、次の疫病菌は有性生殖を行い、土壌の中で何年間も生き続けられる病原菌になってしまっていた。あまり輪作も効果がなく、しかも抗菌剤耐性も獲得してしまった。こうして欧米ではジャガイモ農家の倒産とともに新たな農薬の開発が進むことになる。

生物多様性の自然界にはヒトには「同じ」ように見えても「バラバラ」であることが常識である。ヒトの脳はバラバラが苦手で、「まとまっている」ことが好きなようだ。しかし、ヒトの脳が常に正しいわけではない。

バラバラで困るのは管理したいからであり、人間の都合であり、機械の都合でもある。現代農業では大型機械を使って、効率的に栽培管理し、収穫・出荷するために、バラバラであることは邪魔でしかなかった。そのため、同じように発芽し、同じように成長し、同じように収穫ができるF1種の開発は革命と謳われた。日本の学校教育で似たようなことが行われ始めたのは1960年代の高度経済成長期に機械を扱う人々が必要だったからであり、どの企業もマニュアル通りに動ける人材が必要だったからだ。そのおかげで日本は効率的に経済大国へとのし上がったが、自殺者数も右肩上がりだった。

自然界を生きる生物、特に雑草はバラバラだから生き残ってきた。地球に生命が生まれてから数十億年の間の何度も起きた気候変動に対応してきた。ヒトがこれからも気候変動のなかで生き残るには「バラバラ」と仲良くしていくしかない。

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