ツギハギの永続性
<ツギハギの永続性>
パーマカルチャーデザインは「永続性」というワードをもとに世界中で研究・実践されている。その言葉は近年になって注目を浴びているようだが、その思想や文化というものは決して昔からなかったわけではない。それよりも長い歴史を持つ伝統的な文化の中に、その兆候はあり、パーマカルチャーを実践する上で参考になることばかりだ。
日本が誇る世界最古の木造建造物法隆寺は、建立は607年と言われている。ゆうに1400年以上、その姿を保ち続けている、と思われがちだが、厳密にいえば違う。大きな柱や梁といった重要な骨格は確かに当時からずっと変わらないままなのだが、細かい部材は定期的に交換がなされているのだ。日本のように湿気の多いところでは木材は腐りやすく、虫による被害も遭いやすい。また和釘とはいえ、その耐久性に衰えも見えてくる。
そういった細かいところの修理や補修においてあたらいい木材や釘を使用する。特に外部から見えるような箇所の修復では周りの古い部材と同じような色合いや光沢を表現して、目立たないようにしているが、見えない箇所にはそういった特殊な加工はしていないため、古いものと新しいものがツギハギになっている。この繰り返しが現代の法隆寺であり、1400年以上受け継がれてきた伝統芸術品の姿である。
日本人からの人気も高いスペイン建築家のガウディの代表作サクラダファミリアはいまだに完成していない世界遺産である。植物のツタや花、貝殻などの模様が装飾として見られる。草木などの自然界のデザインからインスピレーションを得たという彼の建築物は多くの人を魅了する。ガウディはそれまでの無機的な建築から自然界の形を模倣した有機的なスタイルかつ鮮やかな色彩を持つ建築を手がけたのだ。
サクラダファミリアは1882年から建設が始まったものの、まだ完成に至っていない。ガウディの死後にも彼の手法と設計図をもとに建設作業は勧められたものの、なかなか完成にはたどり着かない。なぜならば、建設中にいくども過去に完成した箇所に修繕や補修が必要となるからだ。どこかが完成したと思ったら、どこかが壊れる。その繰り返しのせいで、なかなか完成しない。彼の没後100年となる2026年に完成を目指そうと、いま急ピッチで多くの技術者を投入しているが、果たしてどうなるだろうか。
サクラダファミリアは完成した途端、そこから先は補修と修繕だけが行われることになる。建設ではなく保全活動へと切り替わることを意味している。それを良しとしなかった民族が日本人である。
徳川家康を神様として祀った日光東照宮の陽明門にはある仕掛けが施されている。一つの柱が逆向きに使用されているのだ。逆さ柱と呼ばれるこの仕掛けは、あえて未完成をデザインしている。「完成してしまえば、そこからは壊れていくだけ」と考えた人々はあえてずっと未完成のままにして、永遠を表現したという。この陽明門の頭頂部は真北に向いていて、永遠に動かないと考えられていた北極星が位置する。(実際のところ北極星は約2000年ごとに変わって、2万5千年で一回りする)
東洋思想にとって、この宇宙にいる限り、逃れることのできない法則とは「諸行無常」だった。すべてのもには必ず変化することから逃れることはできない、と。特に自然遷移の早い日本においては、サクラの花が散ることに儚い美しさを感じるように、変化そのものを楽しもうと、美しさを見出そうとした。だからこそ、永遠というものを表現するとき、それは未完成であり続けることというアイデアにたどり着いたのかもしれない。
面白いことに西洋科学がたどり着いた答えもほとんど同じだった。それがエントロピーの法則(熱力学第二法則)と呼ばれるものだ。すべての物事は放っておけば必ず乱雑・無秩序・複雑な方へと向かい、自発的に元に戻ることはないことを意味する物理学の用語である。
そのため西洋では創造と破壊を繰り返すことが美しさの根源として考えられる。そして資源に乏しい西洋では古くから残るものを大切にする風潮もあり、リノベーションはその象徴的な文化だ。築数百年の伝統建築物にショッピングセンターや銀行、レストランが入っていることも珍しくない。ヨーロッパで現代的なビルやマンションが立ち並ぶエリアは間違いなく世界大戦で激戦地となったエリアである。ヨーロッパという国を旅行してみるとそのツギハギ具合に面白さと美しさを感じるものだ。
里山に残る古民家もまた同じようにツギハギで受け継がれてきた。茅葺き、土壁、畳、障子と数年から数十年置きに家族総出で、村人総出で修繕してきた。現代では和室から洋室への変更や最先端のキッチンの導入などさらにツギハギの家らしくなってきた。
創造と破壊もまた永続性を生み出すデザインが宿っている。日本の伊勢神宮や出雲大社は数十年おきに行われる式年遷宮によって、神様が住まう住居を建て替える。本来なら法隆寺のように一千年以上保つことができるはずの建築技法を使用せずに、あえてそれよりも昔からある建築技法を使用するため、土に直接触れる柱が朽ちてしまうからだ。
この話を初めて知ったとき、私は否定的な考えを持った。どうしてそんな木材の無駄遣いをするのかと。千年とは言わず、里山に残るような数百年単位で式年遷宮をしてもいいではないか、と。
しかしこの文化に隠された永続性のデザインは奥が深い。数十年単位で建て替えるおかげで、その技術は師匠から弟子へと確実に伝えることができるのだ。まず新入りはその技術を見て学び、数十年後に実際に手を動かして学び、さらに数十年後に弟子を引き連れて関わり、さらに数十年後に師匠として現場で指示を出す。こうして確実に技術は受け継がれていく。それは大木を切り出し、運ぶ技術者たちにも言える。
しかし、たとえ森林大国であり、自然遷移の早い日本においても木材資源の枯渇は数百年前から起きていた。伊勢神宮の建築材は1300年ごろには長野県木曽郡から運ばれてくるようになった。このときすでに伊勢周辺の山に柱材として使用できる大木がなくなっていたのである。そして、これにたいして危機感を感じた伊勢神宮宮域林の林業家たちは大正時代(1923年)から木材を供給することを目標に育林を始めた。そして2005年からはじまった第62回式年遷宮に樹齢八十年の間伐材が約700年ぶりに宮域林から搬出されるようになった。
式年遷宮で取り壊される木材は神様が住んだものとしていろんな道具や家具、木材として姿を変えて、そのご利益を特権階級だけではなく、神様の国に住まう人々へと分かち合っていく。このように資源も同様に後世に残すためにデザインが動き出したことのはとても興味深い。
どうやら現代にまで残っている建築物には「変える」ことを大切にしてるように思える。どうしようもなく変わっていってしまうこの宇宙において、永続可能なデザインとは「永遠に変わり続けることができるデザイン」なのではないだろうか。永遠とは不変ではなく、変わり続けることなのだ。「変える」ことを祭りとしてまで楽しんでいる日本人はやはり面白い民族である。
パーマカルチャーの実践において建築物や道具、設備をDIYもしくはセミセルフで行う理由はここにある。自分で作れるものは自分で直すことができる。
適正技術とはその土地で手に入る資源を利用し、その土地に住む人々が改良できる技術であることが必須だ。誰かに頼んで、誰かに作ってもらい、誰かに修理して持っている以上、適正技術にはならない。そこに永続性のデザインは宿らないだろう。
ツギハギは一見すると不器用で不完全なものに見えるかもしれない。しかし、古いものを尊重し、新しいものを吹き込み、今までにはなかった味を出す。そして、その繰り返しが資源を無駄にせず、活用しながらも、変化し続ける宇宙の中で生き残っていく。
それこそが私たち生命そのものなのかもしれない。なぜなら私たち生命もまた古くなった細胞を自ら壊し、外から取り込んだ新しい栄養から細胞を作り出し、歳をとっていく。決してエントロピーの法則で壊れた細胞を交換するのではなく、その前に自ら細胞を壊し、新しいものに作り変えているのである。