♡Q 女神、憧れの存在
高校の教科書にミロのヴィーナスについての文が載っていた。そして授業でも取り扱われた。
クイズ番組でちょこちょこ登場するから存在は知っていたけど、深くは知らなかったミロのヴィーナス。教科書に載るくらいだから、作られた背景や関連する歴史について触れているんだろうなってパラパラ見ていたら(授業ほっといてさっさと読むタイプだった)予想を遥かに超える、マリアナ海溝の如く深い内容に満ちていた。
受けた授業の中で1番印象に残っていた。それはヴィーナスの魅力なのか、文章の技巧からなのかその正体が曖昧なのがいかにもだなあ。
まずミロのヴィーナスについてご紹介
ミロのヴィーナスは腕がないことで不完全の美しさを表した。ないものを補完して自分の中のヴィーナス像を作り上げて崇め奉る。上手く言葉に出来ないけど素敵。って感覚になったのを覚えている。私の中のヴィーナスはどんな姿をしているのかなボッティチェリのヴィーナスの誕生か、もしくは和風美人みたいに口に手を添えてるのか…って考えたのもいい思い出。
無い情報を補完するってオタク文化が秀でている日本人にとって得意分野じゃないですか。
少ない情報解禁からプリズム効果の如くありとあらゆる解釈を生み出しその中から候補を生み、時折公式も脱帽する説を出したり、時々FBI行った方がいいのでは?ってくらいすごい知識と洞察力を発揮するオタクさんいますよね。私もそれくらいの力発揮してバズってみたいわよ。
最近話題になっている「いのちのかがやき」改「ミャクミャク」なんか名称がはっきりした事で宇宙人から民俗学の怪異扱いですからね。しかも暗黙の了解で「様」ってついてるし。24時間以内に色んなタッチ、テイスト、シチュエーションのイラストが大量に投下されるのもすごい。(みんな普段何してるの?)これだからTwitterやめられない。もっとやってください
女王蜂のヴィーナスという曲の歌詞に登場するもどこか秘密めいた官能が漂っている。
名探偵コナンに登場する黒の組織の重鎮の一人であるベルモットの有名な口癖にも女神の哲学が
日本でも平安時代では貴族の娘は帳越しにでしか外部の人と話せなかった。だから身分のある男は隔たれた幕の向こうにいる美しい娘の事を想像して微笑みから手の感触に至るまで何通りもの想像を巡らせて対面した際の感動について飽き足りないくらい夢見たのだろう。
隠されたり焦らされたりする美学は人の本能に組み込まれているんだなあ。
現代だと、普段真面目そうな人がキックボクシングしてたり、がさつそうな人が料理めっちゃ上手かったり、健全な裏の顔もそうだけど、ちょっと深いとこまで行かないとわからない表情もいいな。その場でしか見れない姿と出会った瞬間の気まずさはその時しか味わえないし。
普段は人間のフリしてるけど、実は…な裏の顔があるだけで無敵になれるので、これからも合法的に暴走します。
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