日本競馬史は後からできた
これから『日本競馬史』第1巻の「発刊のことば」を紹介していきます。ちょっと変なところがあるのでその部分は太字にします。では、参りましょうか。
※ ここがツッコミどころだ!!
①日本競馬会(1936-1948)の時代から計画された。
→ 遅っ!
②たまたま昭和39年(1964)、本会(筆者注:日本中央競馬会のこと)の創立10周年。その記念事業の1つとして・・・
→ たまたま、1964年。あれから数10年。やっぱり遅っ!
③従来馬事に関する歴史書としては、日本馬政史、馬事年史、日本馬術史が刊行されておりますが、いま新たに日本競馬史を加えることができました。
→ 4番目なんか~い!(笑)
④豪奢華麗な演出をもつて行なわれていることを多くの文献は語っております。
→ 特に上野不忍池競馬(博覧会)のことかな。多くの文献?
⑤われわれの祖先たちが馬を愛し、おおらかに競馬を楽しんでいる様が随所に伺われるのはほほえましい限り
→ よく客観視できますね(驚嘆!)
⑥競馬がスポーツの王者であること
→ 競馬はスポーツ(言い切っている)。競馬は「Sports of Kings」と呼ばれているからね。
⑦われわれの祖先たちがこの書で教えてくれているように、私どもも常に正しいルールを忘れることなく、おおらかな競馬を築き上げたい
→ 祖先たちは統一的な競馬史を描くことが出来ず(そのような価値観や暇な時間があまりなく)、後年まとめることになった日本中央競馬会自身が「統一的な競馬史を描くことが出来なかった祖先に学ぶ」、と言っているようにも聞こえる(笑)それは競馬が「ツール」であったから(後述)
では、『日本競馬史』はいつ刊行されたのでしょうか。
日本競馬史編纂委員会編(1966)『日本競馬史』第1巻、日本中央競馬会―――――――――――(1967)『日本競馬史』第2巻、日本中央競馬会
日本中央競馬会総務部調査課編(1968)『日本競馬史』第3巻、日本中央競馬会――――――――――――――(1969)『日本競馬史』第4巻、日本中央競馬会――――――――――――――(1970)『日本競馬史』第5巻、日本中央競馬会――――――――――――――(1972)『日本競馬史』第6巻、日本中央競馬会――――――――――――――(1975)『日本競馬史』第7巻、日本中央競馬会
まさに怒涛の追い込み!
Tegner, F.M., 1912, The Nippon race club: Yokohama race club 1862-1912, Yokohama: Jap- an Gazette.(=1970, 鈴木健夫訳『日本レース・クラブ五十年史 ―日本レース・クラブ小史』日本中央競馬会)。
芝田清吾(1924)『競馬』東文堂
日本競馬会編(1942)『日本の競馬』日本競馬会
ちなみに、地方競馬史全国協会編による『地方競馬史』第1~5巻は1972~2012年に刊行されている。
一応、おまけで紹介しておく(笑)
一体なぜこのようなことが起きてしまったのでしょうか。不思議に思いませんか。ちなみに帝国競馬協会編の『日本馬政史』第1~5巻は1928年。神翁顕彰会編の『続・日本馬政史』第1~3巻は1963年。大友源九郎による『馬事年史』第1~3巻は1947(1948)年。日本乗馬協会編の『日本馬術史』第1~4巻は1940(1941)年。佐久間亮三による『日本騎兵史』(上下)は1963年であったりします。
コナン「あれれ?おじさーん!」
筆者「どうした!コナン君!」
コナン「本当に4番目なのかな?」
筆者「よくぞ気付いてくれたコナン君!実は違うんだ!(5番目以降)」
順番が変な理由を解説:
日本競馬は「ツール」の歴史!
戦前の日本競馬はおおよそ5期に分かれる。日本競馬会の誕生はその5期目に該当する。まず日本近代競馬創成期は1860年から1900年頃までの欧米先進国との社交・外交目的の競馬であり、「文明のハシゴ段」(鶴見 2001: 12)としての西洋文化の模倣、文明人の嗜みとしての新しいギャンブルの受容が主な課題であった。東京や横浜を中心にして行われた初期の競馬は近代国家日本の進展を国内に伝えると同時に対外的には西洋列強との不平等条約改正を目的とする競馬事業だった。その後、日清・日露戦争を契機に劣悪な日本馬が露呈すると、「天皇の勅諚」が発表され、馬政局設置による軍馬育成計画が動き出した。1905年前後からの競馬のことである。この馬政計画は1905年から1935年にかけての馬政第一次計画(前半部)と1936年から1945年にかけての馬政第二次計画(後半部)に区別される。前半部は政府によって馬券が黙認されていた1905年(競馬開催の実施は1906年)から1908年にかけての馬券黙許時代と新刑法公布によって馬券発売が禁止され、政府による補助金によって競馬が営まれた補助金競馬時代を大きく含んでいる。一方、後半部分はちょうど日本競馬会が誕生し、実際に単一の競馬組織によって運営されていた時期と重なる。このように軍馬育成分野において我が国は40年近くの蓄積があった。
戦前の日本競馬は初期の社交競馬(1860-1900)を第1期、馬券黙許時代の競馬(1905-1908)を第2期、補助金競馬時代の競馬(1908-1923)を第3期、競馬法制定から日本競馬会誕生までの期間の競馬(1923-1936)を第4期、日本競馬会時代の競馬(1936-1945)を第5期と位置付けることが出来る。また日本近代競馬事業史の観点から見れば、第1期は黎明期、第2期から第3期までは動乱期、第4期は安定期、第5期は確立期と捉えることも可能である。ここで述べたいことは日本の競馬事業には3つないしは4つの大きな切れ目があったということである。黎明期は社交、動乱期は軍馬、安定期以降は財源に至る道筋がそれぞれ展開されたと考えると非常に分かり易いのかもしれない。
ちなみに筆者による第6期は国営競馬時代(1948年から1954年の農林省時代に行われたもの)。そして第7期が現在の特殊法人・日本中央競馬会(NCK、1987年からはJRA)の運営となる。
以上は、高橋(2021)より引用(一部加筆)。
筆者「分かったかい?コナン君!だからまとまった日本競馬史を作る目的や時間がなかったんだよ。それに「ツール」としての競馬は主に外交目的の社交→馬事思想の普及、軍馬育成増殖(1923年制定の旧競馬法にも明記)→馬事思想の普及、軍馬育成増殖、国家財源(関東大震災と戦争が契機)→国家財源(主に戦後)と移り変わっているんだよ。で、ね。今では畜産振興、レジャー目的の競馬とされているんだ!」
コナン「ふ~ん。だから日本競馬史を定義することが難しかったんだね。基本的に戦前は軍馬育成のための競馬事業だったんだね。それじゃあ競馬史を描く意義や目的。それを作る時間なんかなかなかとれないや。きっと日本競馬会時代は陸軍の圧力も強かったんだろうね!」
筆者「そうなんだよ。だから、戦後になってから軍馬育成に変わる競馬の新目的を探すことになった。でも、財源としての競馬が残ったからギャンブルである競馬は特別法によって保護されたんだ。そして、今や多くの公営競技はその競馬をモデルにして誕生している。サッカーくじ(TOTO)もそうであるし、最近はバスケットボールも話題になっているね」
コナン「今はスマホで馬券が買えて、コンビニでTOTOも買える。すごい時代だよね。何だか続きも知りたくなってきたよ!」
筆者「実はね、戦後はもっと凄いことになっているんだよ!」
コナン「え~~!!!」
そう。日本競馬史は日本中央競馬会(JRA)が簡単に設計できる(塗り替えられる)時代に突入していく。そして、知らず知らずの内に私たち競馬ファンはそれに染まっているのだ。戦前も「主催者(天皇や政府高官・各省の目論見・競馬倶楽部・陸軍・日本競馬会)競馬史観」が色濃く残る日本競馬であったが、それが競馬の国際化の発展を受けてますます加速していくのである。
参考文献:
日本中央競馬会編(2005)『日本中央競馬会50年史』日本中央競馬会
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/262892/1/soc.sys_24_1.pdf
追記)
馬、競馬文化には色々な「壁」があった。
イギリスの場合は基本的に競馬史=レジャー史になります。
(2022.4.15)