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よく分からない日本の競馬文化

 諸外国から見た日本競馬は本当に謎だらけです。中国やロシアからの留学生が私に言いました。なぜ日本ではこんなに競馬が流行っているのですか。非常にビックリさせられました。それもそのはず・・・。

 国内を見渡せば、スポーツ新聞、キオスク、電車内の広告、競馬のテレビCM、ウインズ・エクセル(場外馬券売り場)、競馬場内における大観衆(テレビ画面においても)、ウマ女(という謎の用語)、公園施設や博物館の併設、競走馬のぬいぐるみ、出走馬のボールペンやストラップ、おみやげ販売、(不足しがちな)レーシングプログラム、番号の桁数が多い記念入場券(10万人近い)、勝負服姿の競馬ファン、ファンファーレと手拍子(丸めた新聞紙を叩く)、予想新聞(専門紙)と赤ペン、予想屋(今では少なくなりました)、競馬場内での絶叫(怒号)、地べたに座る人々、屋台や子供向けイベントの多さ、パドックにおける横断幕、よく売れる馬券(勝馬投票券)、JRAが行うさまざまなコラボ企画(ユニーク過ぎる)、開門ダッシュ、土日のテレビ番組(毎週)、インターネットの見出しによく出てくるカタカナの競走馬名。時にはバス・電車・駅等のジャックやパドックにおけるトークショー、漫才、ライブなども・・・。最近では「ウマ娘」も登場してきた。もう探し出したら切りがないです。

 そう、これが世界一の売上を誇る日本の近代競馬、すなわち我が国の大衆競馬文化と呼ばれるものなのです。世界と日本の競馬には明らかに大きな壁があります。お隣の韓国は、我が国が併合した後に「近代競馬」を伝えましたから少し似た側面も見られます。それでも「ギャンブル」の競馬というイメージは根強く、友人の韓国人に聞いても日本と韓国の競馬はまったく異なるそうです。そもそも騎手や馬の取り扱いがまるで違う。基本的に競走馬には日本のような「顔と名前」がありません。騎手は勝てる人間が愛されます。競馬場での野次や怒号は騎手に対するものがほとんどです。馬は記号(番号)となります。我が国でも競走馬は番号の時代がありました。が、それはごく短期間なものでした。番号しかない馬券といえども、日本人は馬をよく愛してきた。そのような歴史がきちんとありました。だいたい明治時代後半から大正時代にかけてこのような文化は徐々に育まれました。「ギャンブル」とは別に。

 日本と最も関係性の深い韓国競馬でさえもこのような状態にあるのですから、日本の競馬が世界的に見てどれほど異質なものかよくお分かりになられたのではないでしょうか。現在でも韓国競馬は我が国と同じ特殊法人の組織体制をとり、組織の略称は韓国馬事会(KRA)と日本を意識したものとなっています。ダートが主流であるのは(おそらく)土地関係の問題とアメリカによる統治の影響が強く残ったからです。ご存知のようにアメリカはダート大国です。最近創設されたコリアカップは日本のジャパンカップをモデルとしています。同じアジア競馬連盟(ARF)に属し、交換競走も多く実施されてきました。まさにアジアの姉妹国といえるでしょう。近年はK-POPアイドルグループ宇宙少女がソウル競馬場でライブを開催したこともありました。
 しかし、それでも日韓の競馬はまったく異なるものです。

 では、他の諸外国と見比べてみるとどうなるでしょうか。世界競馬には歴然としたリアリズム(現実主義)のホースレーシング(=競馬)構造があります。アジアの競馬社会(近代競馬後進国による一致団結)のような理想主義的な国際交流とはなっておりません。それは国際競馬統括機関連盟(IFHA)の構造からも理解できます。これを読まれている皆さんは日本競馬のパートⅠ国入り(2007年)のことをご存知でしょうか。この時期、日本競馬ではJpn(ジーと読む)Ⅰという言葉がよく使われました。あの歴史的な名牝であるウオッカが勝利した日本ダービーもGⅠではなくJpnⅠでした。世界にはワールドサラブレッドランキング、競馬の競走格付け、国際セリ名簿基準委員会(ICSC)といった概念や組織が密かに存在しており、我が国の競馬が世界競馬の仲間入りをしたのはつい最近の出来事です。日本競馬の国際化は1980年代を起点にして2000年前後、そしてパートⅠ国入り付近の2010年頃が大きなターニングポイントとなりました。

 世界の競馬社会には明確な「序列」があります。それは「馬券売上」とは別のものです。いくら日本競馬が発展し、世界一の売上を誇り、有馬記念の売上がギネス記録を作り、日本調教馬が強くなったとしてもこの構造に変わりはありません。今後なくなる見込みもないです。これには近代競馬、否、近代スポーツの発展、つまりは世界史上の「普遍的な」価値があるのです。どうあがいても覆せない競馬の壁が存在します。特に英国という超大型巨人の力には絶大なものがあります。この国は産業革命を経て、資本主義、議会制度を確立し、近代スポーツを誕生させました。そして、現在世界にある多くのスポーツを創造し、またルールも制度化して、帝国主義の名のもと、世界に近代スポーツ文化(一部ギャンブル)を伝えました。王侯・貴族からジェントルマン(紳士)の娯楽であった競馬文化(近代スポーツ)もヨーロッパの周辺国や植民地に波及されたのです。

 現在、世界競馬の超一等国はイギリス。次いで、アイルランド、アメリカ、カナダ、ドイツ、フランスの計6カ国です(近年、イタリアはパートⅠ国から格下げとなりました)。ただし、ジェントルマンの競馬の変容という意味では大きな化学反応が起こりました。アメリカは大衆競馬の道を突き進み、州競馬に力があります。また先ほど述べたようにダート大国です。アイルランドはイギリスの隣国ですがゲーリック・ゲームズの伝統に見られるように少し母国の競馬と異なります。ドイツ・フランスはジェントルマンの文化と大衆競馬の中間点に位置する特殊地域です。戦前は娯楽よりも軍馬育成に力を注いできました(ただし、現在のドイツの売上はあまり高くありません)。フランスの凱旋門賞は日本競馬よりイギリスのアスコット競馬(王室競馬)に近い雰囲気を残しています。また最近日本人騎手の活躍著しいカナダはアメリカ・イギリス両国の影響を受けて近代競馬が催されています。

 世界競馬の二等国はアルゼンチン、オーストラリア、チリ、ニュージーランド、ブラジル、ペルー、南アフリカ共和国の計7カ国です(この中でブラジルは少し落ちます)。このグループはICSCの格付けで欧米の競馬先進国(1981年認定)に続いて認定された第2集団です。1985年に認定されました。これらの諸国は植民地の経験を有する国家群で特にイギリス競馬(一部アメリカ)の影響を強く受けています。我が国でも馴染みの深いアラブ首長国連邦(UAE)は2003年、日本は2007年、香港は2016年にパートⅠ国に認定されました。ドバイは王族が主体、香港は英国の植民地でしたからイギリスの影響下にあります。ジョッキーズクラブ運営です。またオーストラリアで生産された競走馬と強い繋がりがあります。香港競馬は騸馬(去勢された馬)のイメージが強いです。これは現代社会における植民地型生産の形の1つです。競馬大国の種牡馬が他国に流れるといった構造です(我が国も輸出しています。競馬先進国のヨーロッパから広く世界全体にまで)。競馬のパートⅡ、Ⅲ国は発展途上の国になります。しかし、中国では競馬文化はまったく育ちませんでした(JRAが支援してもまるで競馬文化が広がりません)。ちなみにICSCは障害競走を行う国を別途パートⅣ国として指定しています。日本はパートⅠ、Ⅳ国にあたります。

 次はレースについてです。世界の代表的なレースと言えば、フランスの凱旋門賞やイギリスのキングジョージ、アメリカのブリダーズCなどですが、最近では香港、ドバイ、サウジアラビアなどアジアの中でも台頭著しい国も出てきました。かつて日本は香港やドバイの競馬に先行しており、国際的な格付けは別としてイギリス、アイルランド、フランス、ドイツ、イタリア、アメリカ、カナダとは異端の力を誇示してきました。しかし、近年では近隣諸国の追い上げが凄まじく、(場合によっては)日本の国内GⅠを捨てる調教師も出てきました。というのも国際レーティングにおいて日本調教馬の価値が上がりやすいことが原因です(他国の強い馬も参加してくる。日本調教馬が勝てる)。今まさに世界レベルの競馬競争が加速しつつあります。大体これは2000年頃から活発になりました。

 他に競馬を人類学的視点で見渡せば、民族の伝統文化として行われている国もたくさんあります。それは近代競馬の枠組みとは異なる広義の競馬(古式競馬)が世界中で今なお愛されていることに他なりません。例えば、モンゴルの伝統的な競馬行事であるナーダムは漫画「みどりのマキバオー」の途中で登場してきます。

 余談になりますが、「クイーンエリザベス」という名を持つレースが世界の競馬を席捲しているという事実があります。それは現在でも変わりません。他方で当地の国王や大統領、軍人、博士の名が付けられたレースも数多く存在しています。我が国の天皇賞、安田記念、有馬記念、高松宮記念などがこれに該当します。ちなみに、エリザベス女王杯は日本の「クイーンエリザベス」です。英語名に変えるとよく分かります。もともとはビクトリアカップという名前でしたが京都へのエリザベス女王訪日を記念して名前が変わりました。

 とにかく日本の大衆競馬が世界の競馬と比べて異質であることは間違いありません。一体どうしてこのようなことになったのでしょうか。それが本書で最も伝えたいことです。


追記:

 4ヶ国連絡委員会(英・米・仏・愛)の発足(1961年)を母体に1967年に仏国馬種改良奨励協会の提案により「第1回パリ国際会議」が開催されました。これを皮切りに1993年に名称が国際競馬統括機関連盟(IFHA)となりました。我が国は1973年の第7回大会から参加しています。
 また競走馬の能力を数値的に表すレーティングもこの連盟の下部組織である国際サラブレッドランキング諮問委員会で行われています。もちろん我が国も加盟しています。
 さらに、血統と馬の記録に関する議題は、1976年に設立された国際血統書会議(現・国際血統書委員会)で個別に協議され、我が国は1978年から参加しています。

 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)はIFHAの下部組織として1981年に誕生しました。ICSCは国際サラブレッド競売人協会(SITA)と共に国際セリ名簿基準書(ICSブック)を作成し、加盟国に「ブラックタイプ」を与えます。要するに太文字で格付けをするわけです。これによって競馬はパートⅠ~Ⅳ国に分類されることになりました。
 また2003年には国際格付け番組企画諮問委員会(IRPAC)が設立されました。これにはアジア競馬連盟の加盟国も参加しています。

 アジア競馬連盟(ARF)は1960年にアジアの競馬開催国の相互交流を目的に設立されたアジア競馬会議(ARC)を前身としています。ARCは日本とビルマ(ミャンマー)のラングーンターフクラブの提唱により創設されました。第1回アジア競馬会議は1960年に東京で開催され、第28回バンコク大会(2001年)において、名称がARCからARFと改称。ARC自体はその機関会議となりました。

 つまり我が国は世界競馬の一員であると同時にアジア競馬のリーダーでもあるのです。

 ところで、国際競馬統括機関連盟に対してロンジン(スイスの時計メーカー)の力は非常に大きなものがあります。世界の競馬(フランス、イギリス、ドバイ、香港などのレーシングプログラム)を見るとワイン、ホテル、車、ゴルフ、高級リゾート、ライブ(コンサート)などスポンサーは彩り豊かです。これが「世界基準」です。日本はロンジンとの関わりにおいて香港より出遅れました。 
 また、世界のメディアに対するアピールも未だに世界基準になっていません。香港ではハリウッドスターさながらのモデル(男女)を用いた英国式の高級感漂う豪華なイベントとK-POPアイドルに送る声援さながらの日本型大衆競馬の雰囲気の両面を持ち合わせています。まさにアジアとヨーロッパの中間点に位置する国です。
 
 ドバイは馬券のかわりに豪華な景品が用意されています。特にドバイワールドカップデーの式典の素晴らしさには目を見張る方も多いでしょう。日本調教馬のルーラーシップが花火に驚いて動揺し、暴走してしまったことは記憶に新しい出来事です(笑)

(2022.4.14)

※これも参考文献つけたいなあ・・・

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