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第36話:URAとJRA(本編)
URAはUma-musume Racing Associationの略称である。
ウマ娘、競馬、組織
一方でJRAはJapan Racing Associationの略である。
日本、競馬、組織
もともとは、NCKと呼ばれていた。
日本、中央、競馬(地方に対する)
JRAは80年代以降における「競馬の国際化」が非常に意識された言葉となっている。
1987年にJRAという言葉が誕生した。
(ロゴも作られた)
ちなみに韓国馬事会の略称はKRAである。
(だから)ウマ娘のURAがUCKとなっていた可能性も十分にあり得たのだ。
JRAは1954年に誕生した特殊法人である。
行革(特殊法人整理)を経て未だに唯一残っている特殊法人(公営競技)・・・
これは中央競馬の存在意義の重要性を物語っている。
ゲーム「ウマ娘 プリティーダービー」はJRAの影響を強く受けている。
トゥインクル・シリーズというゲームシステムがJRAのレース体系と一致する。
重賞レースも2021年以降の現代版となっている。
シンボリルドルフやスペシャルウィークが「大阪杯(GⅠ)」を走ることができる。
例えば、URAファイナルズは同ゲームの重要コンテンツのひとつであろう。
①URAファイナルズ、②アオハル杯(輝け、チームの絆)、③Make a new track!!(クライマックス開幕)、④(つなげ、照らせ、ひ(U)かれ。)私たちのグランドライブ
それぞれ『URAファイナルズ』、『アオハル杯』、『トゥインクルスタークライマックス』、『グランドライブ』と呼ばれる育成モードであるが、
初期においては『URAファイナルズ』(配信時)のみであった。
JRAとURAどちらを先に知ったのか・・・
古参の競馬ファンにとっては信じがたいことかもしれないが、
URAを先に知り、後にJRAを知った若者たちは多い。
さて、JRA(日本中央競馬会)がウマ娘に至る道筋を作ったことは①馬や競馬の概念(や観念)、②日本アイドル史、③美少女アイドル育成シミュレーションゲームの流れ等とは
別路線であったことは疑いようのない事実である。
とりわけ①の分野における「アイドルホース」の可視化に「JRA」が与えた影響は大きい。
そこから90年前後以降、JRAの成長と比例して漫画における馬の見た目(大衆文化、情報、メディア)も大きく変化した。
1980年代の競馬界で何かが起きた・・・
実は「ウマ娘」に至る道筋はJRAの諸改革によって生まれたのであった。
もし、JRAによる1980年代の諸改革がなければ(おそらく)「ウマ娘」は誕生しなかった。
もっと言えば、「風のシルフィード」、「みどりのマキバオー」、「優駿の門」、「ウイニング・チケット」は生まれなかった。
「名馬」のイメージも現在とはまったく違ったものとなっていたであろう。
皇帝シンボリルドルフ(ウマ娘の会長)、エアグルーヴ(副会長)、
チーム<スピカ>、オグリキャップ、タマモクロス、ライスシャワーなど・・・
いずれもがこの諸改革に大きな影響を受けている。
一般的に第2次競馬ブームは1990年前後と言われているが、
これを起こしたのがJRAだった。
本章では、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のように
過去にタイムスリップしていく。
そう。
(主に)NCK時代の競馬に・・・
参考画像:
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*ウマ娘知らない人向け
(2022.12.26)