【ネタバレ有】舞台「燃ゆる暗闇にて」感想~考察しがいのある最高のストーリー~
なるほど、たしかに…!
ということで、ミュージカル「燃ゆる暗闇にて」の感想です。
(※2024.10.13の千秋楽も観劇し、追記を加えております)
盲学校が舞台のこの作品、とても考えさせられるテーマでした。。。
僕はこの「考える」という行為をとても大切にしていて。何故かと言うと与えられたテーマから何かを受け取り、自分なりに咀嚼する、そうすると自分の考え方、ひいては行動が変わるからです。
つまりある意味で、自分の人生を変えてくれるトリガーになるんですよね。舞台は終わっても、そこから受け取った何かを元に自分は人生を歩んでいける。その体験には大いに価値があると言えます。
そんな訳で、「楽しかった」「面白かった」だけで終わらない、考察しがいのあるストーリーと、それを支える俳優の皆さんの素晴らしい演技や音楽等、まだ千秋楽を迎える前ですが既に最高のミュージカルだったと断言できます。
完全なる余談なんですけど、いつも終わった後はだいたいオタク仲間と打ち上げに行って酒飲みながら談笑するのですが、たいへん珍しいことに、酒が飲みたいだけのオタク達がしっかりとストーリーに関する談義で宴席は大盛り上がりしました。(作品に対する最大の賛辞のつもりです)
さて、そうは言っても1週間以上の長い期間で開催されるミュージカル。
ネタバレ踏みたくない人もいると思って、X(Twitter)は感想をスクショして、センシティブ画像に設定して投稿していたんですよ。
そしたらXってセンシティブ設定すると、「#」つけてもハッシュタグ検索に引っかからなくなるんですってね。
ということで、noteに書くことにしました。
※ネタバレあり
※まだ見てない人は引き返してください
※複数回見るので、アップデートがあれば追記・更新します
観劇1回目の感想~10/5(土)※初回講演~
感想①
組織論として見たという話
今回の舞台は学校という組織の中で起きた出来事だけども、特に仕事など、自分の属する組織においてこんな場面に出くわすことはないだろうか?
例えば遅延が発生したプロジェクトで、納期のために質を下げるか、質のために納期を遅らせるか、みたいな議論。どちらかは決めなきゃ先に進めない。そんな場合どうする?
もう、決着付けるしかないよね。叩き潰すか、自分が折れるかを賭けて。もうやるしかないと決断する瞬間は死ぬほど辛いし、だからこそ自分が討たれる覚悟も持って叩き潰しに行くんだけど、舞台は文字通り「死」という結末になり「うんまあ…それしかないよね…」と自分の中では妙な納得感で締めくくった。
ある程度出来上がっている組織の秩序を維持するには加入するメンバーの見定めが極めて重要で、表面上は誰でもウエルカムな姿勢ではあっても根本的な部分で相容れない人は受け入れない方がいい。
…そんな中でちょっと異質な存在だったのが実はエリサだった気がする。
イグナシオはヤバい奴だと1人だけ最初から見抜いていて、結果その警告は的確だった。そして最後までブレることなく自分自信の考えを貫いたのはエリサ1人だったと思う。
(死人も入れるとイグナシオもだけど)
この辺「見えるのに見なかったのは盲人と同じ」と指摘されたドニャ・ペピータとはかなり対称的に感じた。結局この悲劇の回帰不能点は彼女の警告を無視した所だと思う。
こういう勘が鋭いというか、センスのある人に、自分は妙に惹きつけられる
感想②
外の世界に目線を向けるという話
イグナシオは本人が言う通り「自分の考えを伝えただけ」ではあるんだけど、その考えとは自身の不運を嘆きつつも希望を求めるという純粋なものでもあり、そして外部と隔絶されつつも平和な学園を取り巻く現状へのアンチテーゼでもあるというもの。
否定的な言動って刺激的なスパイスみたいなもので、そこに正論っぽい主張が含まれてると、とにかく人の心に残りやすい(政治とかSNSとかでもよく見るよね)。
厄介なことに外の世界を知るのは彼だけで、「学校の中のことなら何でも知っている」カルロスでも知る世界が違うものを崩しようがない、反論しにくい状況だった。
外の世界を知らない学校のみんなはイグナシオの我々は間違っているという主張に少しずつ迎合していく、その様は「盲目的だなぁ」と思ってたら、まさにそのセリフも出てきた。
現実世界のあるあるに置き換えると、例えば上司に「お前なんか他の会社で通用しない」みたいな事を言われた時に、外の世界を知らない(見てない)人は、その言葉を信じてずーん…と落ち込むか、怒って反抗するかだと思うけど、外の世界を知ってる人なら、あの上司ダメじゃない?とかで済むなど違う考え方も持てる。
今回の登場人物はイグナシオしか外の世界を見ようとした者はいなかった気がする。例えるなら「GoogleやAppleではこういう働き方をしてる」みたいなことを信じて、実際にその現場に触れることもせずに「ウチの働き方は時代遅れ」みたいなことを吹聴する謎の意識高い系クンみたいな感じの妄信。
誰しも、今自分の生きてる世界もある意味でドン・パプロ盲学校のようにどこか閉鎖的な要素がある(家族とか友人とか地域とか学校とか会社とか国籍とか)と思うのだけど、内部にしか目を向けてなかった人って外部からの変化に弱いよね、っていうのがよく現れてた気がする。ちゃんと外に目を向けたい。
観劇2回目の感想~10/8(火)夜講演~
感想③
2回目で気づいたこと&一次情報に頼らない人間の脆弱さ
1周目の時は特に最初の所はまだ頭が舞台の世界観に馴染んでなくて、あまり印象に残ってなかったんだけど、2周目を見ると強く印象に残る序盤の掛け合いがありました。
物語が始まる直前、カルロスって休暇取って外の世界に行ってたんだ!?
しかも白杖を使いながら。
そしてカルロスは休暇中のできごとをこう振り返っていましたね。
それを踏まえてなんだけど、1回目見た感想で書いてたこれを思い出した。
そう、カルロスは外の世界を理解した上で、ドン・パブロ盲学校という幸せな環境で生きることを「選択」していたんだろうなと。。。
だからこそ、カルロスだけはイグナシオの主張を全て理解していたんじゃないかなと思うのです。
そのうえで、それを受け入れたら自分の選択を否定することになるし、絶対に相容れる訳にもいかなかった。やっぱりイグナシオを受け入れた以上、結末はあれしかなかった気がします。
皆さんご存じ、ジャンプ漫画の”BLEACH”に「憧れは理解から最も遠い感情だよ」という藍染隊長の名台詞がありますよね。ミゲリンをはじめ、イグナシオに傾倒していった生徒たちって全員この「憧れ」の範疇を抜けられていなくて、「理解」には程遠かったんじゃないかと思います。
(だからこそ、イグナシオの死後はみんな薄っぺらい反応)
カルロスとミゲリン達、何がこの差を分けたのかというと、もう答えは感想②で言っちゃってるんですけど「一次情報に触れたか」という、シンプルにそこだと思います。
一次情報とは簡単に言うと「人手を介した情報」ではない情報のことです。
つまり、人から聞いた話、新聞で読んだ話、雑誌で見た話、テレビのニュースで見た話、ネットで見た話、などなど。これらは全て二次情報です。
①「なんか現場で問題が起こってるらしいぞ」
②「じゃあ自分、ちょっと現場行って確認してくるっす!」
こういう②みたいなので得たものが一次情報にあたります。
要は、じゃあ自分で行って確認してきなよ、外の世界にさ、というのをカルロス以外誰もやってなかったんですよね。
カルロスはイグナシオとの対決時「お前には勇気がないんだ!」としきりに挑発していましたが、その言葉を真に向けるべき相手はミゲリンだったり、他の生徒だったような気がします。。。
感想④
2回見てますます分からないドニャ・ペピータ
2周してより分からないんだけど、ドニャ・ペピータって結局何がしたかったんだろう?
イグナシオ、カルロス双方にペール・ギュントの話を吹き込んでいましたよね。
※ボタン職人:善人でも悪人でもない平凡な人生を送ってきた人間を溶かしてボタンにする死神
で、こんな結末は望んでなかったと。なるほど、、、?わからんぞ…???
登場人物中でただ1人全盲ではない見える人だから、生きている世界が違うんだから分からないよね!というメタファーなのかな??
(求むみんなの考察)
ところでドニャ・ペピータのボタン職人の件でイグナシオに説いた「自分の人生とは、自分自身を殺すこと」って、こうして結末を見たあと文字に起こしてみると恐ろしいですよね…苦笑
実際に色々な意味が込められてそうだけど、自分の主義主張を時には抑えないと、死ぬよ?って意味なのかな。
ちなみにイグナシオは本当に自死だったのか論争について、
ペール・ギュントになぞらえると、ボタン職人(死神)ってたしか結局手を下した訳ではなかったような気がします。
平凡な人間を溶かしてボタンにする死神に向かって「誰かに善人悪人どちらかに該当するような意味のある人生だったことを証明してもらう」と言って、健気に自分を待っていてくれた大昔に自分が捨てた女の所へ行ってそこで安らかな最後を迎えたはずなので。
どうなんでしょうね、ホアナは何か知ってそうでしたけど。
観劇3回目の感想~10/13(日)千秋楽~
感想⑤
イグナシオが入学してから短期間でみんなが混乱した理由に関する考察
エリサ役の高槻さん、視覚障碍者の役作りをする一環で「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」というのに参加されていたらしいんですよ。
それで思い出したんですけど、そういや僕も似たような体験したなと。
今年の春に家族で長野の善光寺に行きましてですね。
善光寺にも「お戒壇巡り【おかいだんめぐり】」っていうのがあるんです。
この下に空間が広がっているんですけど、本当に何も見えないです。
壁伝いに、手探りで歩いて行くだけなんですが、いつもと違う感覚が開かれる気がしました。
でも善光寺って日本有数の観光名所ですし、常にたくさんのお客さんが来ています。当然一人じゃないので、目は使い物にならないけど、耳の感覚はかなり使いました。
つまり、周りの人の声です。
先行く人の「あっ、ここ曲がる」「うわっ」みたいな声でも、何かあるな、と身構えたりはできます。
それを思い出しながら見ていたんですが、カルロスが言う「友情」って単に仲良しアピールをするだけのものではなくて、相互に声を出し合うという助け合いも含まれていたんじゃないかなと。
互いに声を出し合うことでドン・パブロ盲学校という空間の中でのことを相互に認識しあえる。人の声を聴いて空間を認識し合う、イルカやコウモリの音波みたいな役目もあったんじゃないでしょうか。
その点、「杖」ってどうなんですかね?
コツコツと床をつつく音は出るけど、それを誰が発している音なのかは示されないし、杖の先の感覚で異変に気付いても、自己解決するだけで周りに異変を知らせるようなものじゃないですよね。
最初はイグナシオ一人だから特定できたんでしょうけど、ミゲリンが染まった、ミゲリンが染まったことでエリサも姿を見なくなった、情報源になる音を発する人間が徐々に減っていく訳です。
実際、イグナシオって最後まで「探されて」ましたよね。自分が存在していることを終始自分から周りに発信しない、そんな彼の姿が印象的でした。
感想⑥
イグナシオのダブルキャストについて
この作品はイグナシオがWキャストになっていて、
イグナシオ役が佐奈宏紀さんか、坪倉康晴さんかが、公演回によって変わっていました。自分は1回目と2回目が佐奈さん、3回目が坪倉さんだったんですけど。
…え、こんな違う???ダブルキャストってこんなに深くて面白いの???いやぁ、とても斬新な体験でした。。。
結論、どちらも素晴らしかったです。
イグナシオって心の中に純粋さと激情を同時に秘めたようなキャラクターで、人を惹きつけていくカリスマ性があるんですけど、佐奈さんのイグナシオからは激情の芯にあるものが怒り、坪倉さんのイグナシオからは哀しみ、なように見えました。
細かい所の違いなんですけど、一連の騒動でドニャ・ペピータに呼び出された時の態度。
佐奈さんのイグナシオは白杖を折り畳んで聴いているのに対し、坪倉さんのイグナシオは白杖を畳まずそのまま所持して聴いているんですよね。
あとはホアナから「あなたに言った言葉、全部出まかせよ」と言われた時。
佐奈さんのイグナシオは、最初のホアナの言葉をそもそも信頼していなかったように見えたのに対して、坪倉さんのイグナシオは、ホアナに裏切られたことに対する大きなショックを受けているように見えました。
物語の核となる所は守りつつ、解釈が分かれそうな部分を随所に生み出していて、これがまた大変面白いです。ていうか、どっちもあと2回くらい見たいんですけど。。。あの、円盤化してくれませんか???
感想⑦
キャストさんの演技など
高槻さんが千秋楽後のカーテンコールで「私はミュージカルの舞台に立つのは初めてなので」と言っていましたよね。
それはつまり、高槻さんのファンである自分もほぼ見た事ないということです!(どーん)
という訳で。。。めっちゃ素人目線の感想です。
そもそも全員素晴らしかったと思いますよ。
実力不足を省みるキャストさんもいらっしゃいましたが、え?どこが???という感じ。
自分がミュージカル観劇素人だし、全員分語ると長くなるしで、特に印象に残った所を薄っぺらく書くに止めますが、名前がないからと言ってダメだったということでは全くないですので、その点よろしくお願いします。
・ドニャ・ペピータ(壮一帆さん)の登場5秒で思う「この人絶対、元タカラジェンヌでしょ?」⇒その通りでした!
素人にもわかるくらいオーラが溢れ出てました、、、流石です、、、鉄の精神はめっちゃインパクトに残る歌声でした。
・イグナシオの死後に涙するカルロス(渡辺碧斗さん)
涙を流す演技で震えたんですけど、まず涙が秒で出る。だけじゃなくて、”ポタ…ポタ…”と地面に落ちるんですよね、涙が。テレビだと泣いてるってすぐ分かるんだけど、至近距離で見る訳じゃないミュージカルで、地面に落ちる水滴でこの人泣いてる…と気付かされる。。。これは凄かった。。。
・熊谷彩春さんという超一流のミュージカルスター
さすがというか、、、歌唱も演技も度肝を抜かれましてですね。。。特にみんなが喋ってるけどホアナだけ喋ってない時のような場面が凄くて。表情や仕草だけで色々な情報が伝わってくるので、観劇2回目以後は物語のヒントを彼女の演技から得るようになった気がします。イグナシオの死後なんかは、無言のままで複雑な心情を吐露されていたように思います。
・全員:視覚障碍者の演技がすごい
目線の動きとか、相手に触れて確かめてから会話が始まる所とか、全員この辺を徹底していたのが素晴らしい演技だったと思います
・スタッフさん含め全員:このセットいつ置いたの?いつ登場したの?
前から5列目以内で2回見たんですけど、画面が暗転して何も見えないわずかな時間で、無音でセットが置かれていたり、キャストさんが登場していたりします。ドニャ・ペピータの机とか、え、いつ置いた???って感じです。
完全に画面が暗転して何も見えない演出があるんですけど、そこでも正確に立ち位置を変えていて、どんな魔法を使ったんだ!?とびっくりしました。
さてさて、だいぶ長くなってしまったので、感想レポはこの辺で終わりたいと思います。
本当に、考察を通じて学びや気付きのある素晴らしい作品でした。
冒頭述べたことの繰り返しになりますが、「楽しかった」「面白かった」だけで終わらない、考察しがいのあるストーリーと、それを支える俳優の皆さんの素晴らしい演技や音楽等、千秋楽を迎え、改めて最高のミュージカルだったと思います。
この舞台から受け取ったものは必ず自分の人生の糧になると確信しております。
そのことを断言して、感想レポを締めくくりたいと思います。
長らくお付き合いいただき、ありがとうございました。
ではでは~。
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