プリゴジン氏の死亡。ロシアの過去の墜落事故について
2003年のサハリン州知事の墜落事故
墜落事故と聞いて思い出すのは今から20年前に起こった悲劇である。
2003年8月20日、ロシア極東のサハリン州の州知事であるイーゴリ・ファルフトジノフ氏(Игорь Павлович Фархутзинов) が乗ったヘリコプターMi8がカムチャッカ半島で消息を絶った。
ヘリコプターに搭乗していたのは、サハリン州知事のほか、州政府幹部である補佐官をはじめ職員の一行17名と乗務員3名の計20名。
カムチャッカ半島のペトロパブロフスク・カムチャツキー(Петропавловск-Камчатский)を離陸し、千島列島のパラムシル島(幌筵島)のセベロクリリスク(Северо-Курильск)へ向かっていた。
人口2,000人ほどの小さな町であるセベロクリリスクのインフラや極寒の冬を生き抜くために必要な暖房施設の視察のためだった。
消息を絶ってから3日後の8月23日、カムチャッカ半島の南部にあるオパラ火山地区でヘリコプターの残骸が発見され、搭乗者20名全員の死亡が確認された。
日本のニュースでは「事故」であり「事故原因不明」とされている。
ロシアでも「事故」であるとされ、事故原因は丘陵地帯の視界不良のため、気づくのが遅れた。パイロットが急激に高度を上げようとした結果、プロペラのブレードがテールを切断し、1,300mの高さから落下したとされている。
サハリン州政府のトップである知事が「事故死」とは。
ファルフトジノフ知事はどのような人物だったのか?
簡単に書くと2つ
①サハリンプロジェクトを拡大するため日本と欧米の資本を取り込んだ。
②北方領土は還さない「対日強硬派」
サハリンの石油・天然ガスプロジェクトを立ち上げ、サハリン州の発展に大いに貢献した人物である。
サハリン州にドバドバと海外から投資金が入ってくる。
その資金でサハリン州のインフラ整備などをして住民が住みやすい土地にするために知事は州内各地を奔走していた。
外国企業から降り注いでくる多額な資金。
それを欲しがるのはロシア政府(モスクワ)である。
現在、サハリン州と北方領土の色丹島・国後島・択捉島を結ぶ航路に使用されている船の名前は「イーゴリ・ファルフトジノフ号」である。
サハリン州の人々は彼を忘れることはないであろう。
クラスノヤルスク知事も墜落事故
2003年にサハリン州知事がヘリコプターで墜落事故に逢った1年前、2002年の事故も追記する。
2002年4月28日、ロシアのクラスノヤルスク州の州知事アレクサンドル・レベジ氏(Александр Иванович Лебедь)もヘリコプターMi8で事故死している。
レベジ氏は、1996年6月のロシア大統領選挙に立候補し、第3位となった人物である。
政治的野心の強いレベジ氏をロシア政府(モスクワ)がどう思うか。
サハリン州知事ファルフトジノフ氏はクラスノヤルスク工科大学出身である。
同じMi8型ヘリコプターで墜落したのがクラスノヤルスク知事である。
クラスノヤルスクつながり。偶然の一致か、明確な意図があるかは不明だが、興味深い点ではある。
さて、ロシアの人々は「事故」と信じているのだろうか?これらは2002年、2003年の話である。インターネットが普及していたとは言い難い環境下にあったロシアである。何が起こったのか真実を知る術は少なかった。しかし、それでも民衆はロシア政府による暗殺であるということは暗黙の了解としている。このことはロシア人にこっそり話を聞けばすぐに分かることである。
政治家が墜落事故でこの世を去る。
今回のプリゴジン氏の死亡も同様に航空機の墜落事故によるものである。これらの墜落事故が全てロシア政府によるものであるとすれば、航空機事故に偽装した暗殺はかなり手慣れた常套手段だとみることができるだろう。また、航空機事故以外にも毒殺など、多様な手段を用いている。今回の記事はここまでにするが、反響が良ければ殺害方法の使い分けや、より深い実態について考察、調査したいと思う。