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新年最初の投稿、自他共楽にこだわる理由

自他共楽、自他共楽、とまるで呪文のように唱えているこの言葉。

なぜ、僕がそこまでこの言葉にこだわるのかについて考えてみた。

言葉の意味などについては、以下の記事を参照

あるとき、少林寺拳法の修練をしているとき、「自分なりの自他共楽を目指して練習しているんだ!」と感じながら修練をしていると、いつもより集中できることに気が付いた。

ホントに!?笑

と思うかもしれないけれど、ある程度時間の経った今でもその気持ちは変わらない。

おそらく、自分がなぜ練習しているのか、自分のアイデンティティの部分に気が付いたからなんだと思う。

僕はきっと物事の本質みたいなものに触れると落ち着ける人なんだと思う。

「VIA」や「ストレングスファインダー」という自分の強み診断ツールを使うと、VIAでは「スピリチュアリティ」が、ストレングスファインダーでは「信念」が一番強かった。

または、「自分の信念に基づいた意義深い人生を送る人」と言い換えることができるのかもしれない。

少林寺拳士としてのアイデンティティを持つことで、自分なりの自他共楽というビジョンを持つことで修練をより集中して楽しめることができる。

更に、「自分なりの自他共楽」というビジョンは少林寺拳法以外のことにも応用できる。

今のところ、自分の考えている「自分なりの自他共楽」とは「楽しむこと」とも言い換えることができて、遊んでいるとき、自分はなぜ遊んでいるのかを理解できると、遊びが更に楽しくなる。

遊んだことを発信して、そこで学んだことを深めて、より楽しむことができる。そこに、自分なりの自他共楽があると感じる。

拳士というアイデンティティーを持つことで自分なりの自他共楽という信念を形成することができる。

少林寺拳法の修練を更に楽しむことができる。

遊びを拳士というアイデンティティーの中で更に楽しむことができる。

少林寺拳法がなくなってもまた新しい信念を再定義するんだと思う。

自分の信念に基づいた意義深い人生を送る人だから。

話は戻って、

このnoteでは、少林寺拳士としての自分が、修練や遊びを通して感じたことを発信して、自分なりの自他共楽について書きながら、読み手に付加価値を与えられるような記事を書いています。

記事の最後には、

少林寺拳士として楽しみながら、誰かに貢献できるスキルを身につけていくところに自分なりの自他共楽がある。 ←行動の目的を再確認したことについて書いている

次は、発信して身につけたスキルをどうやって活かすのか考えてみよう。 ←行動の目的を通して次回からしたいことについて書いている

といった、自分なりの締めの言葉について書いています。

今後ともよろしくお願いします!

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