いじられることで「つながり」を生み出す
先日、オンライン読書会をしていた時に感じたこと
つながりとは、どんな時に感じるのか、という問いがあっただけれど
楽しい時に感じる
と僕は思った。
オンラインで話している時も、
オフラインで話している時も
ブログや文章を書いて誰かと対話している時も
自分が「楽しい」と感じた瞬間が一番つながりを感じる。
岡本太郎の書いた「自分の中に毒を持て」という本にも以下のことが書かれている。
だから愛する人の前でも自分が愛されていると思いながら、すぐにコンプレックスが働いて、いや、ひょっとすると愛されていると思うのはひとりよがりで、ほんとうは愛されていないのじゃないかと疑問を持ったりしてしまう。つまり、こんなふうに神経的にいつも揺れて動いているわけだ。
楽しいときにつながりを感じる、ということは、自分の捉え方次第でいくらでもつながりをつくることができる。
その捉え方の一つに「楽しさ」というものがある。
どういうときに楽しさを感じるのか、それは嬉しかったり、笑ったりするとき
それなら、積極的に好きなことをして、笑うときは思いっきり笑いたい。
ここで、笑いというテーマを掘り下げていって、いじられることについて考えてみる。
僕はコンプレックスが強いせいか、いじられることが苦手だ。
いじられることで、だめな自分なんだ、といじられている自分を受け入れられなくなってしまうからだ。
けれど、ドジなことをしても、そこでいじられて、笑いが生まれたのなら、僕の考える「つながり」を作ることができたのだから、僕としては嬉しい。
そう考えると、いじられることが嬉しくなる。
楽しいつながりの中に、自分なりの自他共楽な社会がある。