効率的クレームの入れ方と注意点
本当にどうでもいい持論とライフハック的なものです。
ホンマどうでもいいこと書いてあります。
マジで読む必要皆無です。
実践したりしないでくださいね。
狂人の思考ですので気を付けて、適当に書いてるので間違いだらけ妄想だらけですよ。実際の事実とは関係ありません。今は吉野家の牛丼食べています。
ちなみに他とはなにも関係もありません。
おちゃめ記事です。
皆さんも個人で大手会社との契約変更や問題などでサポートセンターに問い合わせしようとした際に、全然直接のサポート窓口が見つからない・たらいまわしにされて対応を碌に受けられないなどの経験はありませんか?
あれはサポート担当の負担を減らすことが目的です。しかし、もう一つ「相手に時間と労力を無駄に使わせて、諦めさせることにより契約の続行をさせる・クレームの足きりをする」という常套手段でもあります。
さらに、コールセンターに繋がったとしてもオペレーターという名の壁でブロックされます。
ここでオペレーターの方に悪態をついたり、罵ったりするのは絶対に止めてください。意味がありませんし、カルマを落とさないでください。クレーム対応のオペレーターは大体はただの雇われの方です。
彼ら彼女らに問題に対してどうこうする権限は組織上ほぼありません。そして、責任もありません。(組織の一員としてはありますが…)その人だけでは責任対応もほぼできないです。
よって、オペレーターに文句を言っても自身が疲弊するだけです。これであなたは術中に嵌りました。もう早く終わりにしたい気持ちでいっぱいでしょう。
『もういいです!』
これを狙っています。これ以上、組織の上の方に突き上げられないよう止めます。なんならこれがオペレーターの一番の仕事かもしれません。
ちなみに引き落とし先の変更ミスなどで料金未払いが起きた際の支払いの問い合わせは一瞬で対応されます。まあそういうことなんですよね。
対応が上手な組織ならばオペレーターとリーダー、そして責任者との連携が早く、相応の対応が受けられるでしょう。
「ずっと曖昧な言葉使われてオペレーターとのやりとりで同じこと言われるだけで本題に進まない、本当に困ってる時どうすればいいの?」とお考えでしょう。その様な際は、
責任者を呼んでください。
時折、責任者でないと話は進展しないことがあります。
クレームが正当であったとしてもそれに対しての対応は責任者が最終的に下します。それ以外は下せません。
(ちなみにこうなった場合、オペレーター側は意地で止めようとしてきます。大体そういうマニュアルです)
責任・権限一致の原則
義務・責任・権限は等しい関係であり、必然的に義務と責任が存在し、義務と責任を全うするために権限が与えられるべきというもの。
もし、あなたが相手の過失により金銭的に不利益を被って正当であるだろうというクレームを主張し、その不利益の補填や返金などの請求を行うならばなおさらです。
これは、電話やメールに限ったことではありません。外出時に実店舗でトラブルに合った際にもです。
目の前にいる店員やバイトの人を責めるのは止めてください。(その目の前の個人が勝手に凄まじいことをしていたならば別でしょうが……)
責任者とお話してください。その人が責任を負う対価として、他の立場の人間より多くの賃金を受け取っています。あなたの購入の際に商品やサービスに対して妥当と考えて、双方の合意の上で支払った分の金銭が向かう先はそこです。
妥当であると考えるサービスが受けられなかった原因は、監督の不足です。責任者といってもいろいろありますが、ほとんどはコイツです。
コンビニや飲食店で末端のバイトを怒鳴りつけるのは止めてください。末端個人の怠慢で不利益を被ったと感じるならば、まあそれは常識の範囲内で怒るのは好きにすれば自分は良いと思っていますが……
それ以外で、何かしらの具体的対応を求めるならば末端に言うだけ時間を無駄にします。
組織のシステム上でミスを防げなかったことに疑問を感じてください。人間はロボットではありません、ミスを犯します。別に悪いことではないと思ってます。
それを防止するのがシステムです。そしてそのシステムの設計や管理、運営をしていた人間のことを脳裏に浮かべてください。
どうですか?なんだか目の前のバイトの人に対してあまり感情的にならずに済むでしょう?
私はそのような考えで生活しています。
もし不満が残っているなら、店長や社員の方とお話します。
そこが問題じゃないなと感じたならば、本社にお問い合わせします。そこには最高責任者がいるはずなので。
責任者とのやりとりの後、部下の方がどのような扱いを受けるかは私には関係ないです。
自身の改善を図ってよりよいシステムの構築や、監督をするのか。
はたまた、部下をひどく叱責してそれだけにするのかはそれがどういった問題かや責任者の手腕だと思っているので。
私の行動により目の前の末端の方が最終的にどうなるか、私が決定するわけではないと考えてます。
以上が私の危険かもしれない思想です。
もっと主張大きくして遊びましょう。
「法的にはともかく現実上で組織的立場が下(語弊を招くかもしれませんが被雇用者=労働者)の人間に負の感情をぶつけ合い続けて、労働者同士で石投げあって疲弊するのは不毛だし止めようぜ。団結して雇用者側にトイレットペーパー投げ込んで労働者の地位向上を目指した方が良くない?」
「労使対等の原則を守っちゃいない馬鹿らしい社会でさらに労働者が労働者の足引っ張るのは資本主義の敗北じゃない?地上で殴り合うんじゃなくて、雇用者や資本家みたいな雲の上にいるヤツがいるから上を向いて綺麗な花火を準備するほうがええやんか」
Woooo...改めて文字に起こすとテロリストみたいな思想ですね。完全に反資本主義者に見えます……これはヤバいヤツ。
別に共産主義派のコミーではないです。革命・急進とか革なんちゃら派とか中ほにゃらら派とかは全く好きじゃないですしね。
しかし、改革はなくとも改善は試みるべきではないでしょうか。
>「資本主義は最悪だ。これまで試みられた他の全ての経済システムを除けば」(引用元不明)
『民主主義は最悪の政治形態といわれてきた。他に試みられたあらゆる形態を除けば』(ウィンストン・チャーチル)
を弄った言葉ですよね。
ちゃんと資本主義派ですよ、私は。
まあ、離職後、最近復職したばかリの人間の考えの一つですので。別に経済学とか社会学とかそこらへん全く勉強してないのでよくわかりません。
読者の方から見れば、「社会のボトムズがなんかほざいてるよガハハ」だと感じると思うでしょう。
しかし今まで一応納税の義務は果たしているので、思想の自由と意見及び表現の自由に対する権利を有しているので私は公共の福祉を害さない限りここでなんだって書いて良いのです。
何一つ変わらなくとも、誰も気に止めずとも、私は気にしません。これが私にはできるのです。
憲法第19・21条で保障されています。この誰も聞いていないであろう狂人の戯言をもし止めたいなら憲法から変えてみると良いです。
どうでしょう?なかなかにヤバい思想だとちょっとは感じたのではないでしょうか?だけれども、私サイドの視点からしたら読者の皆さんの思想も大概グロテスクだと感じると思います。
他者の異なる思想は受け入れがたいものですし、非常にナンセンスに受け止められます。自らの価値観の否定に繋がります。それは人格の否定と捉えられるかもしれません。過去を否定された感情も抱くかもしれないですね。
過去やコミュニティ、リージョン、宗教を別としている = 「外部」の人間が持つ思想は本当に理解し難く、グロテスクで高慢で不条理でキチXイに映ります。
そして、それに対して「こんな馬鹿らしいものちょっとくらい踏みつけてもいいだろう」
もしかしたら、その「馬鹿らしいもの」がその人間が一番大切にしていることがあるかもしれません。
危険なのです。暗闇でちょっと傘を振り回したらしゃんでいた人間の眼に直撃するかもしれないのです。
「外部」を受け入れるということは相応の覚悟と注意が必要です。
互いに個を尊重し合うことが大事です。私も全く違う環境で育った人間との意見が衝突することはあります。そのときは相手の譲れないものと自分の譲れないものの妥協点を出して、解決を模索することを大切にしています。
同調によって相手を抑圧することは場合によってはガソリンを注ぐようなことになりかねません。