人は平等には生まれてこない。それでも生きて行くのだ!半生を振り返る 第三章
第三章 「これではダメだ、何か対策を!」で始めたこと。
自分を変えるキッカケ => 自分を変えた行動!
友達を作る、独り暮らし、アルバイト変更、性格を変えるためにサークルへ
大学生活が1年経とうとした冬。
通学の苦しみに我慢の限界が来た。
往復6時間、その時間は、腹痛・下痢・不安症との格闘時間であり、体調があまりに悪い時は、各駅で降りるために、往復8時間以上はかかっていた。
週末のアルバイトは、あまりに仕事覚えが悪くクビ同然のごとく職場を去る。それが一か所でなく、いくつものアルバイト先で起こった。
選択したアルバイト内容が自分に合っていなかったのは言うまでもない。
大学では前期、後期と試験があり、そのためには学生同士でノートの貸し借りや試験対策をする。(自分1人で出来る生徒もいる)
中高時代と同じく、体調不良から授業に出ても集中できずノートが取れない、途中で退席する私にとって、テスト対策にはどうしても周りのサポートが必要であった。
その為に、席が隣になった人に、藁をもすがる気持ちで声をかけて仲良くなって、試験に備えていた。
コミ障や吃音であれば、そんなことは出来ないと思われるだろうが、それをもしのぐプレッシャーがのしかかっていたのだろう。
なんとかしないと1年目に留年してしまう危機だったのだ。
そこまでの危機感があり、ようやく汗だくになりながらも周りへ声をかけて知り合いを作れた。(逃げる道が他になかったことも影響している)
<友達を作る>
これは上記でも話したように、授業で試験対策の為にノートを借りるために必死に声をかけてきたおかげか、友達と言えるような関係の人が数人できるようになった。
声をかけた生徒らは全て地方から出てきたので、他に友達がいなかったことが効を奏した。
彼等は、独り暮らしをしていたので、次の授業まで時間がある時などは、休憩がてらに寄ることが多かった。
そんな姿を見てると、自分も独り暮らしをしてゆっくりした時間が欲しいと思うようになった。
本当は、大学に入学すれば、ゆっくりした時間が得られると思っていたが、それが叶わなかったので、独り暮らしするという選択肢が出てきた。
<独り暮らしを始める>
両親に、事情を話し、生活費は自分でなんとかするから独り暮らしをさせて欲しいと懇願した。自分で生活費を賄えるのならという条件で承諾を得た。
私が住めるのは、風呂なし、トイレ共同の四畳半。
昔ながらの学生アパートである。 全てが共同で使用する。
とにかく部屋代が安かったので、これなら自分でも支払えるというのが選んだ一番の理由である。 たしか、1万円程度だった。
大学生活が2年目に入る頃に四畳半のアパートに入った。
ここからがまた大変である。
たしかに、通学の苦痛は防げるが、その代わりにこれまで以上に生活費を自分で全て稼ぐ必要がでてきた。
ご存知のように、アルバイト先をクビ同然で辞めてきた私は、どんな仕事をすれば良いのかと悩みに悩んだ。
<アルバイトを探す> これが一番大変!!!
最終的に選らんだのは、住んでいるアパートの近くにあるゲームセンターの店員である。
特に難しいことはしないで済む。掃除や換金などで夕方5時から夜23時まで警備員のごとくゲームセンター内を管理してる感じである。
この仕事は覚えることも少なくてマッチした。
時給は安かったので、生活はギリギリではあった。
1人での作業ばかりだったので、叱られることもなく、ここは2年ほどは続けられた。
しかしだ、最終的には、2年目に解雇されている。
理由は「仕事ができない」からだった。
この仕事内容で仕事が出来ないとなるとどうすれば良いのか?
もう頭が爆発しそうだった。
それでも生活するためにアルバイトを見つけなければならない。
結果としては、他のアルバイトに変更するのは良かったと言える。
なぜなら、ゲームセンターで稼げる月給が6万円ほどだったので、授業で必要な本などを買うともう極貧状態だったからだ。
次に選んだのがコンビニでのアルバイトである。
しかし! 難しいことは出来ないので、典型的なチェーン店は避けて、こじんまりとしていて、お客様が少なそうな店を選んだ。
本当は、レジ作業などとんでもなく苦手だと認識していたのだが、1人で出来る仕事で安定していて、賞味期限切れの食品を手に入れられるのがコンビニだったのだ。 私は深夜のコンビニでアルバイトを始めた。
ここは1年弱は続いた。
深夜のコンビニは私の体には向いてなかった、、、、、、。
体調不良が増すばかり。
授業へ出れない回数が増えた。
最終的には、店長から「申し訳ないが辞めて欲しい」と言われた。
まぁ、クビである。
1人でやる作業が多い分、やり忘れなどの作業が多く、それが蓄積し、クビだったようだ。レジの計算間違いも重なった。
ここまで来ると、やけくそである。
時給は安くて良いから、安定してシフトに入れて、食費を浮かせられるアルバイト先を探した。
見つけたのが、惣菜を販売している、これまた個人経営のコンビニである。
前回、コンビニでクビにはなってはいたが、今回は夕方の勤務であり、まわりの従業員が優しかったので学生生活が終わるまで続けられた。
ここのコンビニは大変感謝している。
惣菜を常に頂けたので食費が浮いて非常に助かった。
なによりクビにならなかった。(笑)
このコンビニでの思い出は大学生活の中でもトップ3に入る。
自分でもずっと働いても良い職場があるのだと気付けたからだ。
正社員への誘いもあったが、事務や経理も必要だということだったので、それはどう考えても不可能なので諦めた。
<性格を変えるためにサークルへ>
大学の入学式なると、たくさんのサークルが新入生を勧誘する。
私も多くのサークルから勧誘を受けた。
その中で、元山岳部だったので、キャンプを主にするサークルへ入ることために入団テストなるものに挑戦した。
12時間ほどかけて、とにかく歩き続けるという入団テストだ。
途中で帰りたくて仕方なかった。
12時間歩くことは全く問題ではなかった。
私は、元山岳部で、総合体育大会で優勝経験者なのでスタミナだけあった。
かなりの非力だがスタミナだけはあった。
問題はコミュニケーションである。 入団テストでは12時間の間に共同作業が課された。これが出来ない、全く出来ないのだ。(汗)
同じ年代の生徒達と会話ができなかった。
大学には友達ができたとは言えど、やはりコミュニケーションには難があり、自分のペースでないと上手くできない。
キャンプサークルへの入部は辞退した。
サークルに入るのは、自分の性格を変えたいという気持ちが非常に強かった。
コミュ障、吃音、不安症を持ちながらも、楽しい大学生活を送りかったのだ。
その為には、この性格を変える必要があった。
大学へ入学してから、実は何度もコンパに誘われていた。
結果は想像できるであろう。
コンパが終わった後の感想は、全ての女性陣から「◯○くんは、気持ち悪かった」という感想である。
全てのコンパは全敗だけでなく、けちょんけちょんに嫌われたのだ。
そんな時、私に天使が舞い降りた。
友達の1人が「俺たちでサークルを作ろう!」と言い出したのだ。
この話に乗った。
サークルは、イベントサークルである。
つまり、男女の生徒を集めて、様々なイベントを開催するサークル。
普通は、楽しくてカッコ良い人がスタッフである。
私がそうでないのは自分でも分かっていたが、性格を変えたい為にサークルを始めたのだ。
さて、このサークルでは、これまでにないほどに自分と向き合うことになった。
失敗と挫折を何度も味わった。
同時に、大きな成長と大きな成功を手に入れた。
この時の経験が今の私に大きな影響をもたらしている。
イベントサークルは常に、見ず知らずの人を勧誘する必要がある!
当時は携帯電話がない。
勧誘したら、自宅の電話番号を聞くのだ。
ここまでしてもらうコミュニケーション能力が必要なのだ。
私が出来るのか? 実は出来たのだ。
というか、心がズタズタになりながら、最後までやり遂げて、
自分の成功メソッドを見つけたのだ。
これにより、私の性格というか、これまでになかったプラスアルファが追加されていき、人間関係が大きく変化したのだ。
この経験談は、第4章で語ろうと思う。
続く
第4章では、サークルの為に路上で勧誘・電話勧誘・イベントでリーダー。
全ての経験がどん底まで自分を追いつめたが、最終的には周りの助けもあり、自分の性格を変えることに繋がった。
私はどうやって自分の性格を変えたのか?
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