これで気分は楽になる!自分軸の考えを社会軸に切り替える、おとなの生き方!
大人の生き方として、どんな生き方が理想だろうか?
多分、自分軸から社会軸で物事を考えて行動できる人になることだと思う。
自分をアピールする生き方に飽きてきたというか、もうそういった装いはしんどくなってきたのだ。
見返りを期待した善意は、自分も相手も失望させる、これまで生きてこれたことに感謝をし、純粋な善意で物事を考えると気持ちはすごく楽になる。ここ最近、そんな風に考えるようになった。
今年の初めから「信号は青ですよ」という運動をしている。
交差点で白杖を持った人を見かけたら、声をかけてほしいというお願いで、それ自体は弱視になった自分に対して世間にやって欲しいことなのだけど、本質は目の前のことに関心を持ちませんか?ということの呼びかけなのだ!
自分自身が助けが欲しい状態になって初めて気づいたのだけど、今まで困った人に対してだとか、なにか社会貢献すべきことに対して、いかに無関心であったかを知るようになった。
献血だってしたことなかったし、ドナーカードの存在も意識したこともなかった。
まさに、見えなくなって見えるようになったのだ!
運動と言っても、こんな風に記事を書いたり、Xで時々投稿したり、スタエフ始めたりだけで、今のところそれに大きな反響があるわけではない。
Xなど、SNSの投稿で共感を得るためのテクニックとして、昔の自分に語りかけるような内容にすれば良いというアドバイスがある。
未熟だった過去の自分に、それを克服した経験者として当時の自分が奮い立つような毅然とした言葉や、寄り添うような優しい言葉を投げかける。
しかし、これは共感を得るという、ゲームを戦っているわけで、純粋に誰かのためではなく、結局は自分のためなのだ。
だから「いいね」や『💌』の数が気になる。
ところが、この運動ではそれが気にならないと言えば嘘になるが、それよりも知らなかったことを知ることの方が気持ちを支配する。
例えば、盲導犬一頭を育成する過程や費用は当事者にならなければ知らなかったことだし、移植や、献血の実態などは、身近にあるのに知らかったことだらけで愕然とする。
白杖を持って街を歩いて感じたことは、今までにない自分、そして社会の発見であり、気づきをもたらす。純粋にそういったことを記したり、声にしたりすることに意味があるように思う。
そして、時々もらえるメッセージは、少しはお役に立てているのかなと思えて単純に嬉しい。
自己満足と言えばその通りなのだが、全てを利潤に結びつけるのは元々苦手なのだ。
まもなく還暦、残された時間はそれほど多くはない。苦手なことに時間を割くより好きなように時間を使い、それがほんの少しでも社会のお役に立てるのなら嬉しいことだ。
そんな風に、大人時間を過ごしたいと思う、今日この頃であるのです。