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そうだ富士山に行こう!自分のシンボルを探しに行く旅

シンボルとは象徴のこと。日本の象徴といえば富士山を思いつくのだが、年の瀬も迫ったクリスマスの日に、山梨県へ1泊旅行をしてきた。

間も無く還暦になるが、山梨県は初めての訪問である。無論、目的は富士山。頂きに白く雪の積もった冬の富士山を間近に感じるためだけの旅行なのだ。

関西から東京へ向かう途中で新幹線の中から眺める富士山の美しさには毎回魅了されていたが、もっと間近に我が国の象徴を感じてみたかったのである。

お膝元の山梨県富士吉田市で見る富士山の存在は予想以上に圧倒された。眺めるというよりは、そこに居るとか、在る、というか、その存在感はインパクトがある。

山中湖でみるそれは、世界中のどんな観光スポットよりも感動する美しさであった。

旅のテーマは、象徴について考えること


60歳という年齢は色々な意味で過渡期である。5年後には老人とカテゴリーに組み込まれるのは不満であるが、動ける年齢としては最終段階であることは間違いない。社会との関わり、立ち位置、役割や生き方、全てのフェーズが変わる時期なのだ。

ここからの人生を考えたとき、自分を象徴するものは一体なんだろうかと考えてしまう。それは過去に成し遂げたことや、作り出したといったものではなく、フェーズが変わっても拠り所となるようなものである。

自分には、これがある、これさえあればどうにだって応用は効くといったものがあれば不安になることもない。たとえ不安になったとしても”なんとかなるさ”と前を向けるような気がする。そんなものを見つけるきっかけが欲しかった!

能天気な言い方かもしれないが、60年も人生を生きた人間には誰にだって大なり小なりその人を象徴するものは持っていると思う。

さしずめ、僕の象徴はこの「能天気さ」かもしれない。紆余曲折あったが、なんとかなってきた。似たような失敗を繰り返したり、場当たり的な行動をとる思慮の浅さは大きな弱点だが、それも含めて自分である。

雄大な富士を目のあたりにすると人間の一生など細事に思える。この山のある国で多くの人が生まれ、営み、土に帰っていく、その繰り返しに過ぎない。

シンボルとは、見上げればそこにあるもの、自分の立ち位置を見失うことなく確認できるものでなければならない。

富士山を間近にして、なんだか勇気が湧いて来るのはそれが日本のシンボルだからなのだろう。

それにしても、日常生活の風景の中に、大型スクリーンに映し出される映画のオープニングロゴのような光景が存在するこの場所が羨ましい。何があっても見守られている感じがする、

この国のシンボルを心の中に焼き付けよう。そして自分のシンボルに素直に向き合い生きてゆこうという気持ちになれた。

じたばたせずに自分らしく、シンボルさえ心にあれば、いつだって原点に戻れる。

良いタイミングでの旅行だったと思う、さあ、来年は還暦、素直に生きてゆこう!


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