The day of Shooting star

 

星に願いを


 「星に願いを」という曲がある。
 この曲を聴くと、人はいつの時代も夜空の星にロマンを感じていることが分かる。未だ人知の及ばない宇宙の広大さに思いを馳せるからだろう。しかし私にとって今まで流れ星とは、日常では特に意識したことのない遠い存在だった。
 ところが、最近は彼氏とよく夜の砂浜へ出かけるので、必然と星空を眺める時間が増えたからかもしれない。記念すべき2024年の8月に人生で初の流れ星をたまたま目にすることになった。
 予定していたわけでも、見ようと思っていたわけでもなかったために、今回の体験は思った以上の喜びだった。
 初めの1回は視界の隅を一瞬光の線ができるように過っただけだったため、私の気のせいかと思い、一応彼にも言ってみたが、もうすでに消えてしまっていたため確かめられなかった。しかしその後もじっと見つめていると、彼が2つ立て続けに見つけ、本当に流れ星だ!となって2人でわっと盛り上がった。
 どうせなら2人で同じ流れ星を見たいなぁと思い、時間が許す限りその場に粘って同じ方向をさらに見ていると、今度は今までのものより、最も大きくて落ちる滞空時間の長い流れ星が流れた。
 よくみるキキララなどの流れ星のイラストにあるように、本当にテールをひいていくんだ、と当たり前のことを確認して驚く。帰りの車の中でもずっと、どんなふうに流れたか、どんな形だったかなどを2人で興奮して話し合っていた。

ペルセウス座流星群


 同時に2人が見たので、間違いないと言って彼も嬉しそうだったが、なぜ今日だけこんなに見えるのか分からなかったため、帰ってから調べてみた。 
 すると、この日は3大流星群の1つである「ペルセウス流星群」のピークが近かったということが分かった。お盆の時期にちょうど重なる流星群で、有名な流星群であるということだった。ピークより数日早かったものの、夜21時~22時から23時までに2人で合わせると4つも見ることが出来た。月がいつもより隠れていたのも良く見えた要因だったが、素人観測者が見るにしては万々歳の成果だったと思う。

星の見える夜に、又


 数日後の夜、その日以来2度目の海辺に来て探してみたものの、今度は1つも見つけられなかった。代わりに満月のように大きなお月様が雲や海の形を静かに照らしており、波はボートを繋ぐ桟橋の歩く場所までちゃぷちゃぷと水位が上がるほど満水に近づいていた。いつもより嵩を増した海水が時折、海岸のコンクリートに激しく打ち寄せていたのが印象的だった。
 静かな世界をみていると、ある歌を思い出した。歌い手のAdoの「世界の続き」である。この日の夜は、その歌のプロモーションビデオを思い出すような幻想的な明るい月夜だった。
というのは、「世界の続き」の歌詞の中に、
「信じられる 信じられる 
あの星明りを 海の広さを 
信じられる 信じられるかい 
朝を待つ この羽に吹く 追い風の 誘う 空を」
という詩がある。
 私はこの歌と歌詞が好きでたまに聴くのだが、この日の情景は歌とぴったり重なっていた。「どうして寄せる波に隠れてしまうの」という悲しいパートも、お盆の時期に重なるため、時期的に故人や生死について考えさせられた。
 歌い始めは「信じられる?」と問いかけるような響きだが、最後は、「信じてみる」という希望のある歌だ。可能性が情感豊かに語りかけられるような雰囲気と歌声がやっぱり素敵だなと思い、また聴きたくなってしまう。
 どんなときでも必ず朝は来る。夜明けはやって来る。夜の星明りやお月様に見守られながら、諦めず希望を持ち続けていれば、この空や海の向こうにはまだ見ぬ可能性と未来がある。明るい未来に思いを馳せたくなる。そんな気持ちにしてくれる素敵な歌だと思っている。
 今度また流れ星の見える夜に来ようと言って、その日は別れた。

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