情報に踊らされない抽象思考
こんにちは,SGです.
唐突ですが僕の楽しみの一つは本屋に行くことです.最近は,コロナ禍ということもあってか,自分磨き(に関連する)本が良く売れているようです.所謂健康法的なものであったり,思考法や勉強法についてのものであったり, 次から次へと並びます.また,ラクして金を稼ぐといった俗な本も増えているように思います.
以前から,はやりの実用書を追いかけてきた身からすると,さすがに飽きてきた感はあります.たまに昔の本を見ると,今では難しすぎると文句の出るような本を大学生でも皆読んでいたようです.教養レヴェルの低下が言われるのも当然かな,と大学生の身で思います.もちろん,以前より本を出すことのコストが低下していることなどの理由はあると思います.しかし,明らかに質の低下した本が大量に出版されている現状があまり良いことには感じません.
それはさておき.
情報が増えているといえば一番はネット空間でしょう.玉石混交の情報があふれ,今この瞬間にも増え続けています.匿名での書き込みなど,評価に値しない情報含め圧倒的な情報量です.
つまり何が言いたいかといえば,ネットの情報も,本の情報も量が増えています.それにともなって平均レヴェルが低下の一途をたどっているということです.このような時代には情報に対して一層適切にかかわることが求められるといえるでしょう.
さて私たちの多くはとある先入観を(無意識のうちかもしれませんが)もっています.それは,文字情報を正しいものとして受け入れてしまうというものです.特に,文章を何の気なしに読んだとき,その瞬間はその情報が真であるとして取り込まれるのです.
こう書くと,「私は批判的な視点で読むようにしているぞ!」といわれる方もいると思います.もちろん批判的にとらえようとすることは大切です.しかし,実際にはどの程度批判的になれているでしょうか.本当に批判的に読むというのは,一つの意見に5個以上の反論を思いついて徹底的に否定的に見るというようなことです.また,批判的にとらえるということはその文章を論理的に理解したうえで初めて可能になることです.「論理的に理解する」という過程では,まずその内容をスッと頭の中に取り込みます.そのときには,私たちは一回その情報を正しいものとして入れてしまいがちです.つまり,最初にはその情報を無意識的に受け入れてしまうものなのです.
次に以前書いた「世界」の話と関連させます.私たちの中には,一人一人に固有の「世界」があります.そしてその「世界」に整合的な情報が取り込まれるのです.例えば,赤いモノを見つけようと意識して周りを見渡せば多くの赤いモノが見つかります.しかし,それらの赤いモノの大半は通常は意識にあがりません.このように,人間は自分の中での重要度が高いモノしか目に入らないという特徴があります.
これが情報,特に文字情報にもあてはまります.情報が氾濫する今,すべてをみることは不可能ですから,必然的に自分の気になる情報だけが目に入るようになります.そして自分の気になる情報にアクセスすれば,関連するものがオススメとなって出てきたりもするので,さらにそれが強化されることになります.
ここまでのことを踏まえれば,自分の気になる情報ばかりをどんどん見るようになり,しかもそれが真だと感じられるようになっていくことが容易に想像できます.
これだけでは,特に問題だとは感じないかもしれません.なぜなら,個人が見たいものを見ていることが悪いこととは単純に言うことができないからです.しかし,これは社会的に大きなリスクを抱えていると言わざるを得ません.自分の「世界」を第三者の利益のために無意識中に変えられてしまう=洗脳 の危険性があるのです.
思えば洗脳というのは古くから行われてきました.大衆に対して選択的な情報を与える情報統制もその例でしょう.戦時中の大本営発表はその典型で,まるで日本軍が勝っているかのように人々のマインドをコントロールしていました.
最近の情報氾濫社会では,このような情報統制とは逆に,情報があふれているということによる洗脳が行われるリスクがあるわけです.そしてその洗脳は,少なくとも表向きは国家からではなくとも, 各ビジネスから雑多に行われてくるともいえます.その際に重要となるのが人間の欲望です.
欲望の話といえば,ポリティカルコレクトネスの話題が最近盛り上がっていますが,これについて書くと脱線が激しくなりそうなので今回はやめておきます()
ともかく人間には様々な欲望があります.古くから煩悩とも呼ばれているものです.自分が得をしたい,幸せになりたいといった感情の存在は(仮に表に出さなかったとしても)皆が多かれ少なかれ持つものだと思います.これが利用されるのです.
一番単純な典型例がネットの詐欺でしょう.絶対もうかるなどという文句に踊らされるというものです.普通に考えればあり得ない話なのですが,一定程度効果があるのは,人の欲望に働きかけているからです.一度本当かもしれないと思い始めると,前述の論理でそれを真だという情報ばかりが大量に認識されることになり洗脳が完成するということです.このように詐欺に引っかかる人が生まれるのです.
これはまだ単純な例ですが,怖いのはもっと大規模にそしてわからないように洗脳が起こる場合です.例えば戦争ということがあります.
武器を作っている会社は戦争が起きなければ,なかなかもうけがでません.なぜなら,武器の備蓄が増える一方でニーズが下がるからです.こんなときにうまく大衆の世論をあおって戦争を起こせたらどうでしょうか.現実にそれが起きていると断言はしませんが,少なくともそのようなリスクも考えられるということは事実でしょう.
上手く世論をあおるというのは欲望への働きかけです.例えば人間には自尊の欲求があります.自信を持てない人が,自分を権力(特に国家権力)に重ねることで肯定感を得ようとすることはままあることです.そのような人に他国が我が国をバカにしているとかいった情報を与えれば,その国に対する反感が大きくなるでしょう.またあまりそういう意見を持たない人に対しても,おすすめに出す記事をうまくコントロールするなどすればそういった方向性に向かわせることができるかもしれません.
一部からそういう空気になっていけば,容易に多くの人に広がっていくことになります.このようにして,気づかないうちに大衆の意見が操られていく可能性があるのです.
このようなリスクを避けるためには,一人一人が情報リテラシーをもってしっかりと思考していくことが肝心です.その際に大切なのがタイトルにもある抽象思考です.抽象というのは,具体の反対であってより多くを包摂する概念です.例えば,具体的なモノを指して「これは水筒です」ということができます.これについて抽象度を上げれば「これは容器です」ということになります.ここで容器という概念には水筒という概念が包摂されます.これが抽象的になる=抽象度を上げる ということです.
抽象思考とは抽象度を上げた思考をするということです.例えば情報に接する際に,この情報が出された背景にはどんな目的があるのだろうと考えることもその一つです.情報があるから読むという視点から,それに加えてその背後にある文脈を読もうとすることは明らかに抽象度が上がっています.なぜなら,より多くの思考・情報がそこにあり, より多くを包摂するからです.
また,自分の欲望をいったんわきに置く,といったことも抽象度を上げることになります.なぜなら,私自身(へのこだわり)というのは抽象度が低い状態だからです.私より日本人,日本人よりアジア人,アジア人より人類全体のほうが抽象度が高いです.先ほど言ったように洗脳は,個人の欲望に働きかけるという方法が一般的です.こうして抽象度を上げることでその手に乗らないで済むのです.それどころか,つねに皆の幸せを考えて行動することにつながっていきます.
文章を読むときに初めはその内容を真だと思ってしまうといいました.しかし,抽象思考をしていればその内容が真であれ偽であれさしたる情報でないことが明確になってしまうものばかりです.先程の詐欺の例なら, 「自分一人が儲かるなどということがあるのなら, その広告を出す人は勝手に儲けているだろう」と考えることができます. 他国の悪評の例でも, 事実を冷静に見極め批判すべきところは批判した上で, それによる悪感情の連鎖が未来の人類のためになるのか考えて適切に対応するということになります.
そしてなにより, 批判的思考をすることはもちろんですが,抽象思考になれればその前に記憶にも残らなくなっていくのです.つまり相手の洗脳を防ぐように,自分の「世界」が選択的に情報を選んでいくのです.先ほどの例では,選択的に洗脳するような情報を選んでしまう状態でしたが今度は逆にそれを防ぐようになっているということです.人間の認知の仕組みを逆手に取った作戦ということです.
このように,自分自身から解放されて抽象度を上げていく.そうした思考をより多くの人が身に着けていけばよりよい社会になっていくのではないでしょうか.今回述べたように,規模の大小はあれど社会のいたるところに抽象度の低い感情を操ることで多くの人の心理のコントロールをもくろむものがあふれています.現在の世の中では,一定程度の信頼性が置ける(とされている)本という媒体まで,質の低下が著しい(特に自分自身のことのみにフォーカス=抽象度の低い 短絡的で煽情的なタイトル・内容である)ということを意識する必要があります.
そういった認識を持ったうえで,単なる批判的思考だけでなく高い抽象度に基づく人生の指針(ゴール)をもつこそがよりよい生き方につながっていくのだと思います.
最後にラグビーニュースです.現在 The Rugby Championship が開催されています.オーストラリア代表ワラビーズが世界一位の南アフリカ代表スプリングボクスを先日倒すという快挙がありました.近年停滞気味だったオーストラリアラグビーの復活の契機になるでしょうか.特に,日本の近鉄でプレーする10番のクウェイドクーパーが33歳にして4年ぶりの代表復帰.そして,ラストプレーの劇的サヨナラペナルティゴールを決めて勝ったという展開は胸熱でした.われらがサントリーでプレーするサムケレビも12番先発で何度も好機を生み出しましたし,トヨタでプレーするマイケルフーパーもキャプテンとして身体を張り続けました.南ア側にも,NTTドコモのマカゾレマピンピやトヨタのウィリールルー,NTTコムのマルコムマークスなど日本でプレーする選手が多く感慨を覚えます.日本ラグビーのレベルが世界基準で遜色ないという状況を表しているのではないでしょうか.次のワールドカップに向けても期待が高まっています.
では,今回はこの辺で失礼します.例によって,苫米地英人さんに影響を受けた部分の多い記事なので,よければ苫米地さんの本も読んでみてください.またつぎの記事でお会いしましょう.