高校の思い出と、旅で気づく違い
※この文章は特に推敲もせず前からつらつらと書いたものです。まとまってなかったり読みづらかったりすると思いますが、ご了承ください。
一人旅は嫌いではないのかもしれない。最近そう思い始めた。もともと自分が旅行好きだとは思っていなかったが、意外と好きなのかもしれない。そして自分が変わった人間なんだという事を再確認した。変わった人間というのは、旅行での過ごし方や楽しみを考えてみると、どうしても他の多くの人と違った楽しみ方をしているような感じがするということだ。別にそれが悪いこととは思ってるとかいうわけではなく、面白いので逆にシェアしてみたいと思ったのだ。
高校時代は山岳部に所属していた。山岳部といっても月に1回山に行くか行かないかで、かなり自由度の高い部活だった。なんせ、山に行かないときは、用具の準備片付けを別として、部活がないのだから。毎日部活をやるようなタフな行為には惹かれず、暇なときは読書でもしていたい私にとっては妥当な選択肢だったのだ。
山岳部に入ったもう少し積極的な理由はちょっとした非日常を楽しみたかったことだ。普段の学校生活とは少し離れた生活をできること、しかも友人たちと泊まって話すというのはこれ以上なく魅力的だった。どうしても学校といえの往復生活では、なんともいえない停滞感でストレスが溜まっていくし、少し離れてみたい気分もあった。それに加えて、高校では宿泊行事があまりなかったこともあるだろう。
私は宿泊行事が好きだった。もちろん、そういう人は多いと思うので、私が宿泊行事では何が楽しく感じていたかを思い起こす。小学校高学年以降は、中学卒業まで毎年何らかの宿泊を伴う行事があった。私が一番楽しみだったのは、やっぱりなんといっても夜なのだ。夜のおしゃべりほど楽しいことはなかった。普段と違う環境で、友人の普段と違った一面を知れる、そんな時間はどうしようもなく楽しい、かけがえのない時間だった。
そんな経験があったからこそ、山岳部を選択したのかもしれない。テント泊の時間は一番楽しかった。むしろそのために山に行っていた。
3年間、実際楽しい経験をした。深夜までおしゃべりに花を咲かせ続けて周囲のテントから怒号がとんできたのも今では良い思い出だ。山は夜も朝も早く、テントの布にはさしたる防音性能はない。そんな中で深夜まで下ネタで大爆笑していれば周囲の人にはいい迷惑だったと思う。あの時は朝3時半起きで20kg近い荷物を背負って歩くのに、なのに2時半くらいまで起きているようなアホなことをしていた。それで何とかなっていたしそれが楽しかったことを思い出す。
ところで、実は私は高所恐怖症だ。横浜マリンタワーごときで足がすくんで動けなくなるほどの。なのに山岳部に入ったのは我ながら正気ではない。よほど夜のテント泊が楽しかったのだ。実はそのときのおしゃべりは一部録音していて、その夜そのテントにいた自分を含めた3人以外には決して公開しないのだが、たまにそれを聞くとバカすぎてアホすぎて、超絶面白いのだ。あれを超えるお笑いなど、この世に存在しないと思えるほどの宝物だ。
そんな自分だったが、大学に入ってからは山に行かなくなった。大学1年の春からコロナ禍が始まったのも一つの理由だが、やはり高校時代のあのメンツが集合して山に行くことはあまり考えにくく、しかもお互いあの当時のノリができるとは思えない。あのテント泊レベルの面白さは、あの時あの瞬間だったから実現できたのかもしれない。
1人で山に行くかというと、これまたそうもいかない。私は、類まれなる方向音痴の才を持っている。どのくらい方向音痴かというと、真逆の方向に行ってしまうレベルだ。中1の頃英検を受けに行ったとき、駅からの道順を右→まっすぐ→右→左…のように事前に覚えておいたのだが、駅の出口を間違えたせいでまったく反対方向に進んでいったのだ。そんな自分だから、一人で山になんか行ったら100%遭難するだろう。
また、テント設営や飯炊きも難しい。どちらも他の部員にやってもらっていたからだ。唯一果たした役割といえば、お酒の入った先生方とお話をすることで、飯炊き等を担当している部員の仕事を先生の妨害()から守るという事だけだ。ある意味、他の部員から感謝されていたが、一人でサバイバルする能力には根本的に欠けているといえるだろう。
そんなこともあって、大した回数ではないが大学生になってからは何回か一人旅に行った。山には登れなくても、平地ならばGoogle mapがあればギリ何とかなるくらいの方向音痴なのだ。
楽しかった一人旅はいろいろあって今回はそのうちの1つ経験を書いてみる。青森への旅行だ。なぜ、青森を選んだかというと、苫米地に行ってみたかったからだ。
以前のnoteでも触れたと思うが、私は大学入学後に苫米地英人さんのファンになった。認知科学者である苫米地さんに対してファンという言い方が適切かはともかく、苫米地さんの本はほぼすべて読んだし、インターネット上で公開されているほぼすべての動画は見ている。苫米地さんのシールも買ってPCに貼ってあるし、苫米地さんのサイン入りのハインツのシャツも持っているし、苫米地さんの手帳も毎年買っている。ちなみにsimejiのスマホのキーボード入力画面も苫米地さんの写真だ。
ということがあって、特に苫米地さんと直接的な縁はないと思われるが、苫米地という地名に惹かれて青森を選んだ。夏休みにどこか行きたいなと思って行き先を探していたら、苫米地という地名を見つけてしまったのだ。これは行くしかない。思い立ったが吉日とばかりに宿を予約し、その3日後に出発していった。
さて、冒頭で私は変わった人間であるということを再確認した、と書いたが、これは別に変わった人間である自分に優越感を覚えているというような話ではない。むしろ、誰かと旅行をすると、自然に感覚の違いによりすれ違いが発生していってしまうし、自分一人で旅行をすると、自分自身の「いわゆる一般的な感覚」からのずれがしっかりとその旅行に表れてくるのだなと感じたという事だ。
青森県の八戸駅に着くと、私は小雨の降る中、昼食を食べに駅から2kmほど離れたマクドナルドを目指した。実は私は、エビカニタコや貝類が嫌いで、海鮮はあまり食べられないのだが、八戸にはもちろん海鮮のお店が多く、やっぱりマックでしょ、ということになったのだ。マックは私の大好物である。東京のマックも青森のマックも同じ味がするのかなと思いながら、いかにも田舎な雰囲気の幹線道路を歩いて行った。
マックは当然ながら東京で食べたのと変わらぬ美味しさで、店員さんの雰囲気も優しくて、来てよかったと思った。駅からの行き帰り1回ずつ、車によってズボンがびしょびしょになったことはおいておくとする。
その後、青い森鉄道に乗り念願の苫米地駅に行ったが、特に観光地ではないのでただ近くを歩いて終わった。お茶屋さんがあると調べていたのだが、週一のしかも数時間しか営業がないようなお店らしく、その時は営業していなかったのだ。馬淵川という川があって、橋の下の川すれすれの所に行って、誰もいないので、1人なぜかラジオ体操していた。あとは苫米地大明神があったので、とりあえずお祈りしておいた。
また、比較的大きな公園があったが、馬淵川は氾濫しやすいらしくその年の台風で公園がだいぶ水浸しになっていた。ある一帯に入った時、足がはまって靴がドロドロになってしまった。困っていると、そこは実は現状復帰のための工事中立ち入り禁止の場所だったらしく、工事のおじいちゃんから注意を受けてしまった。ただ、注意されたときの言葉がコテコテの青森弁だったためほとんど何を言われたかわからず、あそこから出ていけというような趣旨のことを言っているのだろうということだけがわかった。
なんとか靴の泥を落として、八戸の宿に戻ったあとの夕食はコンビニおにぎり。
夕食を食べた後は宿の部屋でひたすらに「斉藤さん」通話をしていた。日曜の夜だったためか、アプリをやっている人が多くいろんな人とおしゃべりできた。旅行中に酒を飲みながらする斉藤さんは少し、山岳部時代のおしゃべりと近いところもあった。
翌日は蕪島から種差海岸のあたりをひたすらウォーキングしていた。種差海岸は芝生だったので、ラグビーしたら楽しそうだなと思ったが、ボールがすぐに海へと消えてしまいそうだから難しいか。楽しかったのは、多少山岳部の血が騒ぐのか、岩場が多かったことだ。海に張り出した岩場の、人から見えない、ちょっと危なそうなところに行って、日を浴びながら目をつぶって、波の音を聞くのが楽しいのだ。
朝飯もコンビニおにぎりだったので、昼に現地で取れた魚のハンバーガーを食べたのが少し旅行っぽかった気がする。夕飯はコンビニ、夜は「斉藤さん」の流れは共通だ。でも眠かったので早めに眠りに落ちた。
2泊3日の最終日には三沢の航空博物館と、根城に行った。航空博物館は、小さいお子様が多く気が引けたが、飛行機のシミュレーションゲーム等々満喫して、とてもアメリカンなハンバーガーをランチに食べた。これは米軍による通信傍受のエシュロンで有名な三沢基地の隣だからだろう。(エシュロン話は、自衛隊とカーネギーメロンのリエゾンとしても活動していた苫米地さんから学習済みだ。)基地の隣なので、自衛隊員も来ていて、体格のいいお兄さん方がピザをすごい枚数食べていた。
根城は南部氏の居城だったようなのだが、苫米地駅近くの例の公園にも南部氏の史跡があったのを思い出して縁を感じていた。やはり旅行に行くとなると、自然も多く歴史を知れる城は外せない。史跡の良いところは、この時の根城に限らないのだが、時代を超えられることだと思う。同じ場所で、何百年か遡れば、それを建設してそこに住んでいる人がいたのだ。と思うと、別に住んだこともない場所なのに、なんとなく懐かしくつながりを感じられる。
帰りは、酒にとても弱いのにビールを飲んで泥のように眠りながら新幹線で。気がついたら東京だった。
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大学に入ってから、友人と旅行する機会も色々とあった。そうするとやはり、起きる時間、歩くペース、行きたい場所、食べたいモノ、同じ場所に行っても注目するモノ、一つ一つが全然違うことに気がついた。山岳部の頃はある意味で、頂上に行って降りてくることが目的だし、そこまでは苦しい徒歩を頑張るのみだし、夜はおしゃべりをみんなで楽しむしで、そこまでの相違を感じることは無かった。
私の、旅行の夜はなるべく起きていたいし、目的地があれば多少距離があっても一目散に歩いていきたいし、行きたい場所は必ずしもメジャーな観光地ではないし、特に現地の産物を必ず食べたいとは思わないし、おしゃれなものに感動するわけではない、、、という感覚はは必ずしもメジャーではないのかもしれない。なぜか私にとってそれが普通だというだけなのだろう。
今回は、私の青森旅行の時の話を書いた。私にとっては、この旅行スタイルが変なものではないのだが、周りの人に言わせると少々変わっているらしい。そして、他の人と一緒に旅行に行くと、確かに感覚が違うことが多い。不思議なのは、他の人同士では比較的共通感覚があるということだ。つまり、これは私が「ずれている」という事なのかもしれないと思った。
思いついたとおりに自由に行動できる一人旅。一人だからこその身軽さで旅行する楽しみは、誰かと話すことがなくても、自分で全て決められる。ある意味自分だけの旅行を作り上げられることにある。
高校山岳部の時と違う楽しみもまた、私の少し変わった楽しみ方の形なのかもしれない。