見出し画像

民主主義って自明ではないですよ

こんにちは,SGです.かなり投稿間隔があいてしまいました.何度か書こうとしたんですが,途中で頓挫してお蔵入りしてしまったという感じです(汗).

さて最近,「みんなの意見を聞くことは大事」だとか,「人はみんな平等だから,ほかの人の意見を否定してはいけない」などといったことが常識のごとく語られている場面を目にしました.また,「民主主義は正義」といったことが真理だと思っていそうな方も見かけました.それで,モヤモヤしたことが今回のnoteの動機です.

今あげたような発言や考えは,一見耳障りもよいですし,正しいとされることかもしれません.しかし,世界の在り方を考える上では,これは本当に適当なのか疑ってかかる必要があると思います(ひねくれていてすみません).もし,このようなことが理屈抜きに正しいなどと思っているのなら,それは洗脳されているような状態でしょう.親に言われた,学校で習ったから正しいなどというのは非論理的で危険な立場です.言い換えれば,これらが正しいという価値基準が依拠している部分がなんであるかが問題です.

今回は,Simpleに考えてみましょう.まず,「発言の価値=平等」問題について.正しいと考えるほうはいくらでもありそうなので,誤りだと考える立場から述べてみましょう.まず,小学生の発言と80歳の酸いも甘いも味わい尽くしたご老人の発言について比較してみます.この二人が,「戦争はだめだ」と発言したとします.この発言の価値や重みは同じでしょうか?もちろん字面は全く同じです.ですが,その持つ深さや意味,文脈は大きく異なってくるでしょうし,その重大性も異なって受け取られるべきものではないでしょうか.

次に,民主主義の正しさについてです.民主主義では,最終的に投票によってすべてが決まります(もちろん少数意見の尊重は前提として).もし民衆の半分以上が地球の滅亡を望めば,地球が滅ぶというのが(過激ですが)その本質です.まあおそらくそんなことはないでしょう.しかし,誤ってナチスのような政権を生み出したのが民主主義であるということを忘れてはなりません.

何が言いたいかといえば,人々のレヴェルを直接反映するのが民主主義であるということです.人々が正しく判断できなければ,民主主義が正しく機能する限り,誤った結果を出力するからです.多く人々が十分な教養を持たず,過激な扇動者に踊らされれば,過激な扇動者の思惑通りに回ってしまう.そしてそれが民主的に正当化されてしまう.このことが民主主義の大いなる弱点です.

先ほどの発言の重みの話と統合すれば,愚かな人々が多ければ,一部の賢い人の意見を押しつぶして人類にとって害悪な方向に正統的に進んでしまうクソ主義だということです.愚かな人の発言を賢い人のそれと同等に扱うために生じる,人類に対する不利益.その可能性があるということを認識する必要があります.

ただ,だからといって民主主義を選択することが誤りであるかというとそういう事ではありません.先ほどの議論を踏まえると,賢い人たちだけで政治をやれば解決しそうだと思えるかもしれません.ただ,悲しいかな人間はここでも愚かです.どこかのタイミングで人類のためを装った賢い偽善者が,破滅的行動をとってしまう恐れは大きいです.独裁となってしまうリスクもあるということです.

と,まあここまで書いてきたわけですが...

当然こんなことは過去の賢人がとっくに考えているわけです.そのうえで民主主義を選択してきたということです.それはひとえに民主主義が一番ましな手段であるという認識があったからです.その人たちは,民主主義の欠点を見通しながらも,徹底的に相対的に考えることによって民主主義を主張してきたわけです.

しかるに,今の日本などはどうでしょうか.投票率は低い,選挙パフォーマンスに踊らされる,不安から過激だったり他者排斥的な言説に乗っかる... 民主主義を正しいものといいながら,その本質は無知と思考停止... 

こんなことでは正直,日本はオワコンだと思ってしまいます.文中に述べましたが,国民のレヴェルを反映してバカな結果がもたらされるからです.実際,野党よりましとはいえ,自民党政権が良い選択でないことは明らかです.最も賢人であるべき政治家が完全に俗人です.

話は少しずれますが,クレームを恐れて表現の自由を放棄する企業もあります.不安から他者たたきをする人間の言説と,普通の教養のある人間の言説の価値を同等に考える愚昧な行動ともとらえられるわけです.

今こそ,未来を考えて,皆が目を覚ますべき時ではないかと考えます.でももう無理なのかもしれない.しかし,その中で前を目指す試みは無駄にはならないでしょう.さしあたっては「疑ってかかる」,ことが大切だと思います.(このnoteの他記事も関連してくるので是非読んでください)

さて最後はラグビーの話題,日本代表がW杯以来の再集合です.今夜,ブリティッシュアンドアイリッシュライオンズ戦(この試合がどれほど貴重なものかは少し調べていただければわかります)が,来週にはアイルランド代表選が組まれています.個人的注目は,大卒1年目のシオサイア・フィフィタ選手です.引退した福岡さんに代わる存在となれるかというところです.外国人か...とか思った人へ.彼は高校も大学も日本です.日本人と外国出身者が混ざり合うことはラグビーの先進的なダイバーシティの体現でもあります.日本代表というのは今や,世界のブランド,皆が2番目に好きなチーム(自国の次に日本が好きという人が多い)です.つまり日本で代表になれるというのはおおきな価値を持つ目標になってきているということです.しかし外国出身者が代表になるには厳しい要件のクリアが必要です.つまり,そこを乗り越えてまで日本で戦いたいという魂の選手が日本代表に選ばれているということです.こういったことも踏まえて短絡的な悪口(ほぼヘイトスピーチのものもたまにある)はやめましょう.そしてそんな魅力にあふれワンチームで戦う日本代表を皆さんで応援しましょう.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?