石鹸のセンチメンタル
たまにはとっても個人的なことを書く。
家から1番近い訳でもないが、まあまあ近い大きめの公園を散歩で通った。
あまり人が入らなそうなトイレに入る。
手を洗うと、なにかクラクラして良い気分になる。懐かしい感覚。
これはなんだろう。何かが見える聞こえる。ぼんやりとした光。
ああ幼稚園だ。名古屋のあいわ幼稚園。年長の1年を過ごした場所。
ほのかに甘い匂いのする固体石鹸。なんの変哲もないものだけど、他のところで嗅いだことのない。
もう大学3年だ。あれから何年だったのだか。なのに匂いを嗅いだだけで蘇る思い出風景。なんだかはっきり立ち現れてくる。
人間の記憶ってすごいと思う。忘れてたことが体感で思い出せる。仲良かった友達の名前まで思い出した。どこで何をしてるんだろうか。
考えてみれば音もそうだな。懐かしい合唱曲、頭を聞くとつづきの歌詞は自然に歌える。まあ2番と1番は混ざってることあるけど。
とか思っていたら子どものはしゃぐ声、ベンチに座る。目を閉じる。やや暑い夏の昼下がり。
昔、はしゃいでいた頃を思い出す。あの頃は子どもの世界があったな。今とは全く違った世界観だったな、でも投げ込まれればあの頃に戻って普通にやれそう、そんな感覚。でもやっぱりあの頃の自分とはもはや別人なのだよ、とも思う。どこかはっきりしない溶けた感覚がやってくる。
昼寝は最高。
僕の頭に気が戻ってくる。暗くなり、いつのまにか子供は消えた。どれだけ寝てたのか。
少し心寂しいって感じ。この年になっても、暗いところに一人でいるとなんか胸がキュッとしまる。不安は拭えない。子供っぽいね。
バカだなと自分で思う。
モノって誰も見てない時もそこにあるのかな、そんなこと誰も証明できないよねって。そんなこと考えても無意味。
でもそんな自己否定に再否定。結構面白いかもね。
ひとり公園のトンネルみたいなとこに入って反響聞いてたら、またまた郷愁に捕まった。幼稚園の頃の鬼ごっこか隠れんぼでドキドキして入ってたの思い出したな。あれは東京の井荻聖母幼稚園の遊具だったかな。
とりとめのない駄文も長くなってきた。相対性理論じゃないけど時空って曲がる。というか別次元?
同じ空間にいるように見えて過ごす世界は別次元。大人と子ども。どっちが正しいとかそういうのはマジもんの無意味。でも時々は、世界の風景まったく違ってもいいじゃんか?
そうすれば無意味な戦争、金儲け、アホくさ。