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世界観を問う44問(のうち後半22問)に回答してみた。(ENTP)

SGです。以下の記事で紹介されている、世界観を問う44問の後半22問に回答していきます。

SGの前半22問の回答についてはこちらをご覧ください。

問23.<教育1>

スパルタ方式は実を結ぶ教育だと思いますか?

本人の幸せにつながるかは別として、実を結ぶ可能性は高いと思う。少なくとも、スパルタ教育が身につけさせたいものについて、一定程度身につくことが多いだろう。スパルタ教育を受けている最中はつらいだろうが、終わってしまえばその苦労があって今の自分があるというようなとらえ方で認知的整合性を図る人は多いだろうし、そうできる人には悪くないのかもしれない。

一方で現代の価値観にはそぐわない部分も多いし、外界の自由な環境を知ってしまうとスパルタ教育そのものが不人気となって実質的に今後は難しい状況になると思われる。そしてそれは個人の自由を尊重する意味で悪いことだとは思わない。

問24.<教育2>

飛びぬけた学力や才能を持った生徒がいた場合、学校側はその生徒に特別な措置を取るべきでしょうか?それとも足並みを揃えるのが大事と一律的な教育を受けさせるべきでしょうか?

取るべきである。少なくともその生徒が秀でていることについてどんどんチャレンジしていけるようにすべきだと思う。特別な才能があるように見えなくても、希望すればどんどん先の学習内容に進んでいくことができるようにすべきだと思う。もちろんそれで学習内容についていけなければ、レベルを下げればよいだけなのだから。

集団生活、社会生活のための教育という意味で、HR活動などは年齢別で良いと思うが、学力やスポーツまで学年別にすることはセルフエフィカシーを下げ、成長の妨げとなり、最終的に社会的損失につながると思う。

問25.<婚約>

人生におけるイベントとして、結婚はごく当たり前のことだと受け入れていますか?また、結婚における一夫一婦制は番いの形として理想的でしょうか?

結婚制度は、子供を育て財産分与していく形としては正しいと思うが、当たり前のことだとは思わない。また、一夫一婦制についても子供に財産を引き継いでいくという意味では良い方法だと思うが、番の形として理想的かどうかはわからない。

番としての理想には恋愛的な要素が含まれると思うが、基本的に恋愛と結婚は別物だろうと思う。これは、結婚後数年もすれば恋愛的情熱は冷めることからもわかる。恋愛は一時の情熱であり本能的である。そして従来は子育ては集団でするものであり、仮に長く同じカップルでなくてもコミュニティとして子育てはできた。その場合には恋愛のみで子供を作っても問題なかった。しかし現在は資本主義社会の中で子育ては基本的に個人のするものになり、財産も親から子へ受け継いでいく流れがあるので、その中では子育てのために一夫一婦制の結婚制度は適当なのではないかと思う。

問26.<知識と認知>

知識によって世界の捉え方は変わると思いますか?例えば植物や魚の名前、歴史的経緯、その作品が生まれるまでのバックボーン、作者の経歴など。

変わると思う。人間の世界の捉え方は、自我に依存する。自我とは、世界の中に自分にとって重要なものを定める関数であるといえる。人間は基本、自分にとって重要なものについて知識を持っている。

さて例えば、スパイとビジネスマンでは世界の捉え方は全然違う。日常のありふれた風景にもスパイは暗殺に適した場所とか盗聴器を仕掛ける場所をみつけるかもしれない。同じ風景を見たビジネスマンは、商談や接待の場所を見つけるとか、新たな商機をつかむような時流に気づくかもしれない。

よって自分の立場によって世界の捉え方は異なっている。これは自分の立場によって重視するものが違うからだ。つまり何を重視するかによって見えるものが変わっているくるということだ。知識についても同様で、重視するものほどより深い知識をもっているわけだからもちろん世界の捉え方は知識に依存するだろう。

問27.<学習>

自分が正しいと信じていた手法が通用しないと悟ったとき、柔軟に考えを変えることができますか?それとも訂正せず愚直に進むことの方が多いですか?

私はある手法が本当に本当の意味で正しいと思うことはしない。すべての手法は状況依存的だ。ある手法が有効であるとき、それを有効たらしめている前提条件が必ず存在する。よって、前提条件が違って(変化して)同じ手法が通用しなくなったならば、旧態依然の方法に固執することはせず新たな手法を取り入れるだろう。ある手法を使っている間にもその手法が有効であるための前提条件を意識し続けることが大切で、柔軟な変革への布石となると思う。

問28.<革命>

世の中に革命を起こしたいと思いますか?或いは、誰かが革命を起こすことを期待していますか?それとも、今の世の中には満足していますか?

革命には大きな犠牲が伴う。人権を最大限尊重するとして、革命を起こすというのは不適切だと思う。人々の広範な合意に基づいたゆるやかな社会変革でなければ、最終的には革命を起こした側が権力となっても同じような問題が生まれてくるだろう。一方で、一部の人が富を占有し、戦争や差別の存在する現在の状況に完全に満足しているわけではない。一人一人が自由なゴールをもって少しづつでも良い方向へ向かっていくことで変革が起きていくのが適切ではないか。

問29.<快楽>

酒池肉林とも言うべき快楽の海に溺れたいと思うことはありますか?快楽とどう折り合いをつけていますか?
(本来、酒池肉林に肉欲の意味は含まれていないようですが、ここでは含めています)

正直ある。折り合いのつけ方は、、、そもそもそんな(金銭的含め)余裕がない。そして酒池肉林が一生続くならいいかもしれないが、どこかでそんな生活は破綻してその後が地獄になりそう。一生続くとしてもどこかで疲れて飽きそうというのもある。

問30.<読書>

読書に何を求めていますか?本を読んで得られるものとはなんでしょうか?また、本を読むことと実際に体験することとではどちらにリソースを割きますか?

知識(知恵)と満足感を求める。本は作者の世界の反映であると考えている。自分の自我の重要性から脱することができるのが本だと思う。そういう意味で普段の自分の生活を送るだけでは身につかない知識や知恵を得ることができる。また、活字を読むことによって満足感を感じるのでそのためもあると思う。

実際の体験との比較は難しい。本を読むことも実際の体験であるからだ。スポーツの動きの本を100冊読むくらいなら実際にやってみた方が良いと思うが、大昔の人の考えた思想に思いを巡らす"実際の体験"は本を読むことそのものだからだ。

問31.<誰も知らないわたし>

寂しさであっても承認欲や自己顕示欲であっても、もっと私を見てほしい、という気持ちはありますか?

それは見られるにこしたことはないと思う。見られなければどんどん堕落するし生きていて楽しくないし、見られて褒められたらやる気が出てくる。人間そんなに孤独でよいことはない。できることなら、めちゃくちゃ持ち上げて調子に乗せてほしいし、そのまま生きていけるならそれが理想。その分、こちらも他人をよく見てどんどん承認して、お互いに良い方向に導けたら最強なのではないかと思っている。社会全体の生産性を上げるにもそれが理想。

問32.<機械>

機械や兵器、ロボットにロマンを感じますか?機械の扱いは得意でしょうか?また、自分のことを機械の様な人間だと思ったりしますか?例えば、人間の応答より機械の電磁的なシグナルの方が信頼できると考えたりしますか?

ロマンは感じる。子供の頃はバスの運転手ではなくバスそのものになりたかったし(幼稚園の頃)、ロケットにも大きな興味があった。生身の体では実現できないことを実現することはすごいと思う。機械の扱いは苦手ではないが、手先が不器用なので人間側に細かいことを要求されるものだとうまく扱えない。機械のような人間でありたいと思うときもあったが、結局感情は捨て去れない。また、ことAI時代には機械のシグナルさえハッキングされうるので、どちらが信頼できると一概にいうことはできない。

問33.<意味・解釈>

一意に定められ、解釈の余地が生まれない表現は好きですか?もしくは、「どう受け取るかは鑑賞者の自由」と受け手側の想像力に委ねたり、起承転結がないような、意味を空中に放棄したような荒唐無稽な表現の方が好きですか?

ビジネスや政治の文書で用いる表現では、解釈の幅を持つようなものは不誠実だと思う。国会答弁など聞いていると非常にいら立つ。

一方私的な表現では、仮に解釈の余地が生まれないと思われるものでも、もしかしたら裏の意味があるのかもしれないと思う。どんなに解釈の余地が狭くても、自分の捉え方次第で新しい解釈はできると思うのであまり比較するものではないと思う。起承転結のない表現はそれはそれで面白い。話はそれるが、少なくともテスト問題など答えがある程度想定されるもので、小説の一部を切り取って読解問題を出すのはやめてほしい。それは自由な解釈を阻害する。

問34.<グローバリズム>

地球というスケールで物事を考えたりすることはありますか?

ある。抽象度の高い思考はより多くのものを包摂した有機的思考だ。地球スケールで世の中が良くなるということは、もちろん身近なところも含めて世の中が良くなるということだ。一部が良くなることで他方が悪くなるというような世界は本質的にバランスが崩れて破滅に向かう。ある程度のバランスを保てるような仕組みを一人ひとりが抽象度を上げて考えていかなければ地球は近い将来に滅亡してしまうと思う。

問35.<命の平等さ>

イヌの死骸とヘビの死骸とサカナの死骸とゴキブリの死骸とニワトリの死骸とヒトの死骸にあなたは区別をつけますか?

基本的には死体はただの物質であるので、自分との関係性の違いだと思う。ヒトだって生前自分と全く縁のなかったヒトなら何も思わないだろうし、ゴキブリだってもしかしたら何かしらで自分の命を救うようなイベントがあったゴキブリで大切に思っていたなら悲しいだろう。ただ一般的にはヒトの方が自分と愛着を築きやすかったりするだけだろう。

問36.<相性>

MBTIの様な人間を類型するツールが、例えばマッチングアプリにおいて相性のいい相手を効率よく探すために使われることに対しては肯定的ですか?否定的ですか?また、MBTIのタイプとは無関係に、人間と人間の関係性に相性というものは存在すると思いますか?

肯定はできない。子孫の多様性を下げる可能性が高いからだ。単に自分と性格的相性が良かったりするのは、特に育った環境が近しかったりするからである可能性が高いと思う。真の恋愛があるとすれば、それは普通なら全くかかわりあわないような生き方も考え方も違う人間がなぜか偶然惹かれあうことによって始まるものだと思うし、それによって生まれる子供が多様性を持つことで種としての繁栄が可能なのだと思う。経済的な意味で一夫一婦制は許容するとしても、相手選びまでそのような機械頼みでは危機感を感じる。また、そもそも恋愛は効率の対極を楽しむものなのに出だしから効率性重視を目指す者同士がマッチングするのは単なるテンプレート的恋愛ごっこの再生産にしかならないだろうと思う。

人間同士の関係性には相性があると思うが、友愛的相性や恋愛的相性やビジネス的相性などはいろいろ異なってくると思うし環境や状況にも依存的だと思う。

問37.<人間で非ざるもの・ヒューマニズム>

あなたは人間のフリをしていることがありますか?

私は生物学的に人間なので、私がどんな行為をしようと私が人間であることに変わりはない。また人間はこういう行為をしてはいけないなどの規範は社会によって異なるが、少なくとも日本社会でとってはいけない行為は(したくても)しないようにしている。

問38.<勝負>

勝負の際は貪欲に勝利を欲する方ですか?そうではなく、自ら望んで敗北を選んだりしますか?また、勝つか負けるか分からない勝負に挑むことはできますか?また、戦う相手は自分と自分以外のどちらの方が多いですか?

その勝負の位置づけによる。そこで負けた方が最終的な得が多ければ敗北を選ぶこともあるだろう。損して得取れのような考えだ。勝負は定義上勝つか負けるかわからないのでそういう勝負もあると思う。じゃんけんだって勝負だがしたことがない人はいないだろう。勝負事なら他人に対して自分の勝利を目指すのであって自分と戦うという発想がないので、自分以外としか戦わないだろう。

問39.<政治>

投票には行っていますか?行っていませんか?それぞれの理由は何でしょうか。また、行くべきだと思いますか?行かなくてもよいと思いますか?

投票権のある選挙は期日前投票も活用しつつすべて行くようにしている。民主主義において、主権者たる国民が政治に意見を反映させる最も重要な機会が選挙であるといっても過言ではなく、民主主義が正当に機能するためには投票が必須だと考えるからだ。私自身民主主義が絶対的に正しいとは思わないが、他の政治体制に比べてもっともマシという意味で良いものだと考えている。その民主主義を維持するためにはとにかく多くの人がしっかり投票する必要がある。

特に現在の日本ではどの党も利権団体等を含む固定票や岩盤支持層の投票数が多く影響している。有権者全体の民意を反映するためにもより多くの人が投票に行くべきだと考える。社会の根幹を維持するためなのだから納税のような義務にすべきとさえ思っているし、ネット投票を実現して投票を簡素化することも検討すべきだと思う。

問40.<死>

死ぬこと以上に恐れているものはありますか?また、観念的な死に囚われたりしますか?

ただ死ぬのではなく、拷問をされるなど半殺しの目にあうのは恐れているかもしれない。そうでなくても、災害や事故、病気を含めて死にそうで死ねずに苦しい状況が一番恐ろしい。

観念的な死というのは難しいが、自分が存在しない世界とか、宇宙の歴史の中での生命存在とか、実存とは何かといったことに頭を囚われていた期間は長い(特に中学時代)。今でもたまにそういうモードにはなる。

問41.<倫理>

人にやってはいけないことなどないと思いますか?

それぞれの社会や文化で規定される枠組みでは定まると思うが普遍的にあるかと言われればないと思う。ただし社会や文化も人間が形成する者であってどの社会や文化でも共通的にやってはいけないと定められているルールがあればそれはやってはいけないことなのではないかと思う。おそらくあるとすれば、「仲間を殺すこと」が普遍的な禁忌で、現代の社会のように人一般を殺すことを禁ずることは共通する禁忌ではないと思う。

問42.<繁殖・遺伝子の継承>

仮にあなたの代であなたの家系が途絶えることになったとき、そのことに後ろめたさはありますか?

私自身個人的には非常に強くある。やはり先祖から受け継いだ遺伝子は後世に残していくのが本能的にも生物としての自分の務めであると思う。もちろん、そうでない人はそうでない自由があるのは当然だし、自分の子供が子供を持つつもりがなくてもそれは否定しないが。

問43.<運命・越えられない壁>

運命に対して前向きですか?後ろ向きですか?それとも、運命などないと考えますか?越えられない壁などありませんか?

運命はある。しかし運命はないと考えたほうが有利だと思う。生まれる環境を選べない時点で、完全に運命から自由な人生は送れない。その意味では運命は定まっているといえば定まっている。ただ、もちろん自分である程度の方向性をつけることは可能だし、運命の影響はさほどないか、全くないと信じたほうが、努力する活力が生まれて結果的に良い人生にしていけると思う。

問44.<正解>

普遍的なただ一つだけの正解を求めていますか?それとも、そうではありませんか?

そんなものは存在しないので求めようがない。しかし、不確実な中で理論的に確かにみえるものを追及しようとする営みは重要だと思う。ただ、最終的には不完全性定理が働くので証明しようがない物事は残る。

















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