
満たされたい為の空白感情。
こんにちは、ふぁみです。
今日はあるYoutubeにヒントを得て書いてみます。
満たされたい為の空白感情。
これは私が日常的に感じていること。
「自分を満たす」表現が気になってしまう。
満たすという言葉にコップと水を想像すると
空っぽと満たされた状態の繰り返しなんです。
物事には「維持傾向」と「変動傾向」があり
どちらかと言えば、変動傾向を好む人なのかなって
個人的には感じてしまうんです。
だから傾向・タイプ(嗜好も含む)によって
満たされている状態の感じ方が違うのに
広く一般的なニーズとされていること自体が
何となく腑に落ちないな〜と思うのです。
私は維持傾向を好む人なので維持されている状態が
心地よくって、逆を言えば変化の仕方が重いです。
星の仕組みを研究していると、
人の行動にはスパンと重さにパターンがあって
重心が軽い人はフットワークが軽くスパンが短い。
重心が重い人はフットワークが重くスパンが長い。
そういう空間認識にルーティンがあるので
個々の特性にあった仕事の選び方や進め方が
あるよね〜と大まかな仮説を立ててみてます。
ビジュアル的に例えるならフィギュアスケートの
ジャンプやスピンなど技を決めている滞空時間。
一時的な滞空時間や過ごし方を見てしまうと
断片的で人間を正しく理解することはできません。
機械など誰かの手で意識的に動かして作用する物
なら、規則正しい動きが期待できるわけですが
人間は基本的に本人の感情で動くし
自覚している思考範囲の狭さから自分本位であるのが、もはやデフォルトだと推定してもいい。
まぁ…急に何をしでかすか読めない生き物=人間🤭
参考になりそうな家族ですら、生まれてくる上の
スライダー的な役割なので別個のレールを持つから
完全には似て非なる人生レールを認識すべきです。
別個の存在である個人を誰かと同一化することで
さも、理解したのだと安易に着地してしまうから
人間関係って難しいな〜になるんです。
あくまで似た環境に居合わせた他人だと思って
扱ってあげることも有効だと私的には思います。
基本的に人間は環境によって
良くも悪くも、引き寄せる物事が決まっています。
私はそれを「場のエネルギー」と呼んでいますが
人間一人一人にも「個のエネルギー」があって
複雑に何層ものネットワークで編み上がっていく。
この世界は編み物や織物で出来てるんじゃない!?と
感じてしまう位。(中島みゆきさんの糸はスゴイ…笑)
だからこそ、中長期的な目線を持つことで
少しは冷静に外的環境を観察できる気がします。
人によってはそれすらも意識の外にあって
無意識に生きている場合も多いので
気付いた(意識した)人から、そのズレを感じます。
全く気付かないで、この世を終わる方もいるから
多くのことに気付けた人ほど苦しくなるかと思うし
いわゆる繊細さんって「事実に気付いた人」だから
より多くの体感的情報を握っている人だと感じて
だから、痛みのコレクションが多いのかなって。
地球自体のミッションの1つが痛みから学ぶこと。
あとは、地球特有の環境を味わい尽くすことかな。
地球だから味わえる特質した資源を体験すること。
例えばディズニーランドだから体験できる
アトラクションやキャラクターとの出会い。
その場所に応じた体験の種類を知って、味わう。
他の星にいたら体験できない希少価値に
私たちはもっと着目した方がよくて、
その方が効果的に時間制限を超えた扱い方かなと。
実はヘリオ星読みで自分を満たす角度というのが
ありまして、それは金星×地球です。
教科書的にはあるけど、その繋がりが無い方も
いるから今世で感じられない場合もある訳です。
私もその一人でだったら別の満たし方があると
ある時から仮定して、より広い意味で
自分を捉えることで腑に落ちた経験があります。
一般的な自分を満たすプロセスは
▷空っぽ、何かを注ぐ、溜まっていく様を味わう、
満たし終わったことを感じる、維持する。
▷維持した状態を手放す、少なくなっていく様を
味わう、空っぽになる、空であることに感謝する。
この繰り返しなのかなと書きながら思いました。
またはその大きなループを体感する工程が
ある種、人間の欲求なのかもしれませんね。
空っぽだから満たすプロセスを欲し
満たされているから空っぽになることを欲する。
どちらも、長い時間軸には必然ですね。
ではまた、ふぁみでした。
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