父の英語勉強法について
#幼少〜小学生
父は昔から英語をやけに勉強している。
なぜそこまで英語に執着すると言えば、
父の名前には英語の英が入っているから、らしい。
幼少の頃は英語の勉強をしているなんて、凄いなあと思っていた。
しかし残念ながら、父の勉強法はお世辞にも効率がいいとはいえない、
それは、父が未だに英語のリスニング・トーキングに関してカナリ低レベルだからだ。
一方で父の兄、つまりぼくの叔父は海外に出張していたこともあり、英語に堪能だった。
今思えば父はなぜ、叔父に英語の勉強法を教わっていないのか謎である。
ぼくが小学生の頃の父は、とにかく英語のテープを聞き、そして単語帳を読んでいた。
少年野球の応援に来た際も、英単語帳を読んでいた。
自作のもあれば、ピーナッツという単語帳だったことも有るし。
速読英単語と言うものだったこともある。
とにかく勉強していた。
あれだけ勉強していれば、辞書の1つくらい覚えてしまうレベルの勉強時間だったと思う。
ただ小学校高学年になると、一つのことに気づいた。
毎回同じレベルの新しい単語帳を買ってくるのだ。
小さかったぼくは、何故同じものを読むのか普通に聞いた。
ぼく「同じ単語がのってる単語帳をやっても意味ないんじゃない?」
父「そうかもしれないね、でもそうじゃないかもしれない。」
ぼく「どういうこと?」
父「世の中には無駄なんてないってこと」
ぼく「どういうこと?」
父「同じヤツも無駄じゃないってこと」
ぼく「いや、同じやつが有る事は無駄じゃないけど、同じやつをやるのは無駄じゃない?」
ぼく「ぼくが一年生の算数ドリルやっても時間の無駄でしょ?」
父「そうかな?」
ぼく「うん」
父「まあ君には、まだ早いのかもね。」
ぼく「」
当時のぼくには意味不明だったので、考えるのをやめた。
この頃から父が曖昧な回答をするたびに、ぼくは納得しないまま会話を終えていた。
今になると思う事は、きっと本当は覚える気なんてないと言うことだ。
現在のぼくは、父の勉強法の指針には重大な間違いが有ると思っている。それは基本的に「楽をしたい」という根性とそれと相反するにもかかわらず存在する「愚直に頑張る自分が好き」という思いだ。
それ故に恐ろしく効率が悪いのだ。なんなら、あえて同じ範囲のものを買い「簡単に覚えられる」単語帳を探していたのだ。
そんなもの有るわけもないのに。
今でも父の机には"development" -> "開発"と書かれたポストイットが見やすい場所に貼られている。
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