ひとり暮らしの部屋は問う:2023年4月30日時点の意味づけ

2020年4月下旬、北海道。東京行きの飛行機に乗り込む。東京に着いたところで、入学式もなければ、授業もまだはじまらない。移動すること自体が恐れられ、移動する人が疎まれた時期だった。怖いほど空席の並ぶ飛行機。スーツケースを持つ私と母をにらむ視線。それが嫌とは思わなかった。むしろこちらが常識外れだ。心の中で何度も頭を下げながら、人目の当たらないひとり暮らしの部屋を目指した。

大量の家具を設置してくれる配送業者のお兄さんは、小声で挨拶したあとはてきぱきと作業をして、無言で去っていった。引っ越し作業を手伝ってくれた母は、私に激励の言葉を投げかけて、名残惜しそうに帰っていった。

大学生活はぬるりとはじまった。
ここは、ひとり暮らしの部屋。現時点では、東京における唯一の居場所。

―――――

それなりの動機をもって大学生になった私には、見てみたい世界が沢山あった。
ネットサーフィンで見つけた団体や活動にひたすらアクセスした。
予想通り、刺激的な出会いに恵まれた。日に日に関わる人たちは増えていった。起きている時間はノートパソコンを開き続け、画面に張り付いた。
これは、孤独感を癒すためだったのか、好奇心のためだったのか。

鳴り響くスラックの通知音、ディスコードのボイスチャット、チャットワークのタスク、ライン通話の越しの声、ミーティングの画面、オンデマンド授業の声、メッセンジャーの通知音、zoom会議開始の通知音。レポート課題の締め切り。

「まだですか?もう待てないのですが…」
「あと5分でミーティングがはじまります。」
「来週までに修正しておいてね。」
「見積出してくれますか?」
「ポートフォリオ無いの?」
「レポートの締め切りは本日23:59です。」

熱が出た。検査を受けられる場所は限られていた、病院を探す画面が霞んだ。体を引きずりながら検査を受けに行った。帰ってくるのに4時間もかかってしまった。やっと辿りついたひとり暮らしの部屋。

「やりなおして。今日の午後までには出してもらわないと困る。」
「もう待てないな。最後だよ。何怒らせてんの…最後回収するのはこっちなんだよ。」
「明日は本番ですね!がんばりましょう!」

熱が下がる気配はない。ベッドの上で資料づくりを進める。ラフ画を60パターンと、期末課題のレポートと…

ひとりで居たい、ひとりで居たい、ひとりで居させてほしい。
自分はどこへ行ってしまったんだろう。
ひとり暮らしの部屋の中、自分で肩をさすりながら、ベッドの端で泣いていた。

検査結果は陰性だった。

物理的にひとりであることと、ひとりであることを尊重されるというのは、全く異なることだ。孤独感は癒されたい。同時に、孤立性は守られなくてはならない。

決して、誰からも突き放されていたわけではない。画面越しの声たちは、私を迎え入れてくれた。しかし、私は言葉により深い関係性を築いた経験に乏しかった。こんなに手を差し伸べてくれているのに、私は開かれていかなかった。過剰な言葉は私に開封されないまま部屋に蓄積し、空間を侵食し、孤立性を奪っていった。

―――――

―思い返すのは、高校の教室。みながそれぞれ勉強に向かった一年間。
―思い返すのは、実家のリビング。各々思いのままに時間を過ごす日曜の午後。
いずれもとてもあたたかい、ひとりの場所だった。同一空間において、それぞれが固有の営みに興じてた状況は、確かに孤立性を守りつつ孤独性を癒してくれた。

私は長時間同じ空間に身体を浸し、なんとなく語らずとも認め合う関係性を築くことにより、孤立性を守ってきたのかもしれない。身体により、語りえない部分を癒し合っていたのかもしれない。
もはや身体に頼れなくなったとき、私は言葉を通じて孤立性が守られる関係性を築く必要に駆られた。

しかし、私にとって言葉を扱うというのは簡単なことではなかった。かろうじて、自分の思いを一方的に語ることに関しては経験があったが、対話という相互作用により語らされることは、恥をかくことであり、慎重に取り組まなければ誰かに人生の主導権を渡してしまうような恐怖感があった。今まで大切に守ってきた自分自身を乗っ取られる気すらした。しかし、対話の光景を眺める機会が多分にあったおかげで、ひそかに自分が開かれていく可能性に希望を抱いてもいた。

―――――

言葉に押しつぶされている状態の私は、すぐに対話に挑もうと思えなかった。ひとまず、ノートパソコンを閉じた。イヤホンを外した。

そのかわり、雑記帳から自分の声を聞こうとした。
孤独感は募った。しかし、孤立性は生き返った。ひとり暮らしの部屋が、再び自分の居場所になっていく。

暮らしの中にある音を聞こうとした。
鍋の中でお湯が沸く。こぽこぽと音を立てている。冷蔵庫にある具材をなんでも煮て、味噌をとく。あたたかいお味噌汁は、私の不安定さに依らず、いつでもおいしかった。暮らしの中にある普遍性、お湯を沸かし、お味噌汁をつくり、食べておいしいと思う、という一連の行為は、私にとって日常的でありながら特別な営みになった。揺れ動く日々の中で、唯一揺らがない確固たるもの。

ああ今なら、多少自己が揺らがされても大丈夫だな、という気がした。

――――

春の気配に背中を押され、言葉を通じて孤立性が守られる関係性を築くことへ踏み出した。ちょうど、少しずつ部屋の外に出ることが許されはじめた時期だった。私は心身を動員し、意を決して対話を申し出た。家の外で思い当たる人たちと会い、言葉を交わした。少しずつ自分が開かれないとき、開かれそうになるときの差分を知っていった。対話により孤立性が守られる期待感が高まった。

一方、対話の危機も経験した。不慣れな私は、これまで見上げていた人たちが目の前に降りてきて、急に一人間として生々しい語りや素振りをすることを受け入れられなかった。その延長で身体を脅かしてくる人たちがいた。私はどう応答すれば良いかわからず、全く今の自分には理解し難い行動をとった。自分だけでなく、自分ときちんと対話しようとしてくれていたであろう多くの人を傷つけてしまったと思う。

対話は身体により、無残に断ち切られた。

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それでも、対話を試みることを諦めようとは思えなかった。
対話により孤立性が癒される兆しは確かにあるし、ひとり暮らしの部屋は、身体を一度放棄して対話に没頭することを支えてくれた。孤立性が危うくなっても、以前のようにその感覚がひとり暮らしの部屋に充満することはなかった。お湯の沸く音が、お味噌汁のあたたかさが、それを断固として認めなかった。

孤独感と孤立性のバランスに揺らがされながら、少しずつ言葉を扱う自分に慣れてきたとき、私は、対話の中で自分を覆う囲いの存在を知った。相手からのひとつひとつの問いかけが、私本来の輪郭を浮かび上がらせ、囲いに覆われていることを気づかせた。

対話するとき、恥ずかしいと縮こまり、乗っ取られるのではないかと身構えていたが、そんなものは無駄だった。
どこからともなく、確かに自分だが自分の知らないもの、がやってくる。
いずれ手中に収まりそうだが、今はまだ得体のしれないものと出会う感覚。
恥ずかしいと思えるほど詳しく理解していない、乗っ取られるという感覚が持てるほど、はじめから自分になじみのあるものでもない。

ただ、囲いの存在に気づいたという事実は、不思議で、とても嬉しいものだった。
囲いの構造を知ったなら、それを分解していく手立てはありそうだ。例え分解に難航したとしても、私には囲いの存在を共有している人たちがいる。この囲いの構造を色々な角度から観察して、協力しながら解体作業を進めていけばいい。

ひとり暮らしの部屋は、孤独感を癒し、孤立性を守る空間になりえた。

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対話を生みだす、言葉
語りえないことの多くをなきものにする、言葉

言葉にならなさを認め守る、身体
対話を断ち切る、身体

孤独感を癒し、孤立性を守るために、
言葉と身体とをどう組み合わせ、扱っていこうか。

ひとり暮らしの部屋は問う。


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この文章は、「#いまコロナ禍の大学生は語る」企画に参加しています。
この企画は、2020年4月から2023年3月の間に大学生生活を経験した人びとが、「私にとっての『コロナ時代』と『大学生時代』」というテーマで自由に文章を書くものです。
企画詳細はこちら:https://note.com/gate_blue/n/n5133f739e708
あるいは、https://docs.google.com/document/d/1KVj7pA6xdy3dbi0XrLqfuxvezWXPg72DGNrzBqwZmWI/edit
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