音 で聞く和歌 百人一首
NHK「 光る君へ 」を観ていて、出演する俳優さんと平安貴族の方々が重なり、当時の様子がとても想像しやすくなりました。
私は百人一首が好きなので、今日はその事について書いてみたいと思います。
百人一首の中で、美しい響きがするということで、最近よく取り上げられている和歌があります。
それは、藤原公任の和歌です。
文人でもあり、藤原道長政権下で長く活躍し、藤原斉信、源俊賢、藤原行成、の4人で「寛弘の四納言」と言われていました。
滝の音は絶えて久しくなりぬれど
名こそ流れてなほ聞こえけれ
" 大覚寺にある滝は、枯れてしまい音は絶えてしまったけれど、今でもその名は耳にする。私もこのように枯れてもなお有名でありたいものだ。"
◇ 音 についての感想
なこそながれてなほきこえけれ、
この「な」のリフレインが美しく、滑らかに滝が流れて行く様子を表現しているように思います。
また、自身の「名」を残したい、という意味では「な」を連呼して念押ししているかのようにも聞こえます。
「な」が、畳み掛けられてくる一度聞いたら忘れられない和歌です。
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以下の百人一首は、私が選んだ
" .耳で聞く話歌 "です。あくまて私の感じたままですので……。
① 小式部内侍の和歌
小式部内侍は和泉式部( 「光る君へ」で演じられたのは、正直不動産のあの女優さん )の娘で母と共に、一条天皇の中宮、彰子に仕えていました。天才的な女流歌人であったにもかかわらず、あの和泉式部の娘ということで、出席していた歌会の場で、藤原公任の息子・定頼に「母親に歌を代わりに作ってもらっているのでは?」と、からかわれて、この歌を詠んだといいます。
大江山生野の道の遠ければ
まだふみも見ず天の橋立
" 大江山( 丹後 )に行く生野を通る道は遠い。だから、母からの文も見ていません。ゆえにこの歌は私が自分で詠みましたよ。"
上の句、「生野」は「行く」と掛けており、「ふみ」は「踏み」と「文」の掛詞。「踏み」は「橋」の縁語でもあります。
◇ 音 についての感想
下の句に注目すると、「ま」行の文字が5つもあります。もごもごと少し不満げに聞こえます。きっと定頼に怒っているのでは? と、私には思えてなりません。もちろん、音、だけの印象です。
前述の通り、掛詞など技巧を凝らし、すぐれた和歌なのですが、「ま」行は唯一唇の合わさる発音なので、余計に私には、話し言葉として聞こえてくるのかもしれません。
② 後京極摂政前太政大臣
こちらは、もっと後、平安後期~鎌倉前期の貴族、歌人です。
土御門天皇の摂政・太政大臣を努め、歌人としても後鳥羽院歌壇で活躍し、「新古今話歌集」の仮名序を執筆しました。
きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに
衣かたしきひとりかも寝む
" コオロギが鳴く秋の夜、霜の降りるとても寒い夜にむしろの上に、自分の衣だけを敷いて独り寝するのか…… " ( 奥さんに先立たれた後に詠まれています )
◇ 音 についての感想
上の句、下の句供に「か」行が多い。 そのせいか
いかにも厳しくきつい寒さの中で、寝心地が悪いということが伝わってきます。一方上の句の、「さ」行では、霜夜というくらいですから、当時の晩秋は霜も降りていた位の寒さ、さむしろ、の「さ」は、むしろの接頭語、また寒しの掛詞です。寒さが強調されています。
ころも かたしき
衣を 片方(自分の衣だけ)敷き
ーーーーーー
ひとり かもねむ
か(疑問) も(強意) ー→ む(推量)
二重の係り結び
この歌は、上記の他にも本歌取りがされており、様々な技巧が凝らしてあるのでとても強い思いが伺われます。因みに上司もきびしかったとのこと。
◇番外編
世の中よ道こそなけれ思ひ入る
山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
藤原俊成 = 藤原定家のおとうさん 👤
何処の場所でも悩み苦しんで生きることが、世の常だ!
という、今、現代に一番通じる和歌です ?
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