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男性社会で生きるのが辛い


男性社会で生きるのが、ものすごく辛い。

もう少し言うと、「男性社会を維持しようとする男性」「男性であるがゆえの権力を女性に対して振るう男性」と接するのが辛い。

ここ数年で何度も傷つき、やっと最近言語化できてきたことを、恐れながらも勇気を振り絞って書きます。



まず、イメージできないひとも多いと思うので、わたしが男性社会を助長・維持していると感じる、また、女性に対して差別的に権力を振るっていると感じる男性の特徴について説明する。


①人と対話をする気がない

そのような男性は自分の考えが正しいと思っていて、人の話を聞いて学ぶことが少ない。仮にあったとしてもごく一部の自分が尊敬する「男性」の言うことしか参考にしない。しかもその尊敬も、普通の「尊敬」とは違い、普段マウントを取り続けている自分が「このひとにはマウントを取れないと感じている」という意味での尊敬だ。

そして、仮に自分の考えていることが正しくないかもしれないと思っても、自分の権威性が揺らぐのを恐れて、自分が正しいんだと心のなかでいい聞かせて、自分の主張をやめない。


②「恐れ」から権力を振るっている

上記のことと強く関連するが、ベースは男性のなかでの権威争いと、そのなかで負けたくないという「恐れ」から来ている。


③男性と女性で明らかに対応が違う

男性のなかでの上下を強く意識しているため、女性はそこに含まれない、その男性ヒエラルキーの下にいるその戦いの土俵にすら立てない存在、という風に考えているのだと思われる。なので、女性を下に見ている。

自覚がない場合もあるかもしれないが男性に対する態度とは明らかに違う。男性のいうことは聞くこともあるが女性の言うことは基本的に聞かないパターン(※女性性が強い女性という意味で男性性の強い女のひとの言うことは聞く)か、

逆に女性の言うことはなんでも聞くパターンか(かわいいから聞いてあげる的な意味)。

(①に書いた通り自分が正しいと思って疑わないので、誰の言うことでも聞かないことも多いのが基本だけれど。)

そしてもっと恐ろしいのが、男性の前ではそのような女性に対する差別的な態度は絶対にとらないのだ。自分と女性しかいない環境でのみ、権力を振るう。だから、周りの男性は気づかないのだ。もちろん当の本人もそういう状況のほうが権力を振るいやすいことをわかったうえでやっているだろう。


④若い女性ほど権力が振るいやすい

上にも書いたように上下を強く認識し、(周りの人も年齢が上がれば上がるほど注意しなくなるため)年齢が上がれば上がるほど権力を振るいやすくなる。つまりおじさんであればあるほど、このような特性を持ちやすくなる。

そして、権力を振るう対象が若ければ若いほど権力を振るいやすい。さらには、性的な対象として見られる恐怖まで加わる。つまり、わたしのような「若い女性」はそれだけで木津就きながら生きなければならないのだ。


⑤話が通じない

そして、そういう男性は①にも書いたように対話ができないので(対話しない・放棄しているの可能性が高いと思うけれど)、いくら男性社会がどういうもので女性をいかに苦しめているかを説明したところで「聞こうとしない」か「はぐらかす」か「怒り出す」か「別の話題をする」の選択肢を必ずとる。

自分が間違っていることを受け入れたくないから。そうすると権力争いに負けてしまうから。



ここまで読んでいただいて、痛いほどに共感できる女性と、よく意味がわからない人(女性も含む)に分けられるのだと思うが、とにかくこのような男性と付き合っていかなければならないことがものすごく辛い。

しかしそれだけでなく、多くの他の男性、そして女性までもが気づいていないことがもっと辛い。

ここからは、男性社会がなくならない構造についての話をする。


セカンドレイプの構造

レイプの話を例に出すと(残念ながら)分かりやすいと思う。セカンドレイプとは、

セカンドレイプ:性犯罪被害者の被害が公になったたり、被害者にも責任があるという趣旨の発言を受けたりすること

この構造はレイプの話だけに限らず、男性社会の構造全体に言えること。

というのも、上に書いたような男性と接するのが辛いという話を、最近とても信頼している男性の友人に話したときに、あまり理解されないという経験をした。

その友人はとても共感的で対話的な方なので、とても残念だった。こんなにも男性であるという理由で、伝わらないのか、と衝撃を受けた。

つまり、気づいていないひとがあまりに多すぎて、その話をしても通じず、逆にその女性(それに耐えられない女性・それを大きな問題と感じる女性)の方に問題があるとされ、セカンドレイプのように責められて傷つくことになる、ということだ。

権力を振りかざさない男性であっても、自分が不利益を被らないから、他の男性が権力を振りかざしていることに気づいていないのだ。

例えば、男性社員にパワハラをされた女性社員がいたとして、そのことで相談したり処分を下す役割のひとが男性である場合、

上司だと「成長のため」などの理由付けがしやすいため、パワハラをした男性を許したり女性にも問題があったなどできる、というような会社で上の立場の人が男性であるがゆえの二次被害もあるだろう。

でも上にも書いた通り、権力をふりかざす男性は、男性の言うことしか聞かない(それすらも聞かない可能性も高い)ので、男性が気づき変えていかなければ、この状況は変わらないのではないかと思う。


女性自身が男性社会を助長してしまっている

そしてもっと悲しいことに、女性のなかにも気づかずに男性社会に迎合してしまっていたり(自分もある)、他の女性が苦しんでいるのに気づかず男性性を強要してしまっていたりするのだ。

女性も容易に男性社会に加担してしまえるということ、それくらいに男性社会が猛威を振るっているということだ。

わかりやすいことでいうと、年配の女性が年下の女性に対して「多少のセクハラは我慢できるようにならないと」みたいに言う、とかそういうこと。

しかも、目の前の女性が男性社会であることに気づき変えようとしているひとなのかは見分けることができない場合も多いので、よかれと思って相談しても自分が押さえつけられる可能性があるということ。


幼いからと許してしまう

また、そういう男性を交わしたり注意したりするのはものすごく難しいことだけれど、できれば個人的にやってほしくない(やりたくないこと)は、

〇〇さんは小学生だから

というように、「そのひとの精神が幼いからしょうがない」と許してしまうこと。小学生でもしてはいけないことだし、小学生でもいけないことだとわかっているひとはいると思うので、ある意味小学生に対しても失礼な表現でもある気がする。

でも残念ながらよく見る光景だ。

(もちろん、女性が対抗できないほどに男性の権力性が強い場合はそういうしかない、ということも往々にしてあると思うけれど。)


反論の余地はないのに

この文章は、個人的な趣味嗜好の話をしているわけではありません。また、日本という社会において女性が被る不利益について書いています。

うえにも書いた通り、この問題に男性が反論するということは、さらに女性を傷つけることになるのです。

本人は気づいていなくても、それが微(かす)かであっても、反論のなかに、差別的なニュアンスを含むことがあるからです。

わたしはジェンダーの研究者ではないので、無知なところもあるとは思います。だからと言ってそれを理由に差別的な反論も一緒くたにしてしまうことはとても危険です。

なので、このnoteに対して議論の余地がある部分はあるかもしれませんが、もし反論したくなることがあったとしても、少しだけ思いとどまって、そこに本当に差別的なニュアンスがないのか考えていただきたいです。

(若い女であるから反論できる、教えてあげなければならない存在だと思っていないか、男性であるだけですでに権力制を持っていることを本当に理解しているか…)



男性の権利を侵害しているわけではない

上のような反論の一環に、(わたしの文章対して)「男性差別だ!」と思う方が、もしかしたらいるかもしれない。当たり前だけれどそんなわけはない。

ここまでも書いた通り、男性同士での権力争いは男性自身をも苦しめていると思っているので、男性社会をやめることはむしろ男性をも解放することだと思っている。

もし男性であるがゆえの不利益が生じたり、男性の権利が侵害されることがあるのであれば、それはそれで声を上げていくべきだと思う。この話とはまた別の話、ということ。


このような構造から、男性社会であることはとても気づきにくく、そして気づいたとしても告発できず、告発したとしてもまたさらに傷つけられる可能性があるため、男性社会は変わらないということなのです。



最後にいくつか補足をしたいと思います。


フェミニズムという表現を使わなかったこと

わたしはここまで書いたことを伝えるのに、フェミニズムという言葉はあえて使わなかった。ちなみにフェミニズムとは、

フェミニズム:女性の社会・政治・法律上の権利拡張を主張する考え方。男女同権論。女権拡張論。

という意味だけれど、どうしても女性だけの問題のように聞こえてしまう言葉だと思ったから。むしろ男性側の問題で変わらなければいけないのは男性なのに。


わたしの周りの方々へ

わたしは基本的に周りにいるひとたちのことががわたしは大好きで、とても大切に思っていますが、そのことと自分が差別を受けていることを主張することはまた別の話だと思い、書いています。

(わたしは普段社会課題を解決するような仕事をしており、比較的共感的な男性に囲まれているけれど、それでも日本全体が男性社会であるがゆえに、そのことを認識せざるを得ない場面はあります。)

男性がその権力性を認識していることは極めて少ないので、嫌だと感じても言えないのはどこにいても同じなのだと思います。


この文章を書くということ

自分が持っている当然の人権を主張しているだけなのに、今わたしは男性からの反論に怯えながら書いています。そのことがとても辛いし、それこそがまさに男性社会であるということを物語っていると思います。

これを理由に一緒に仕事をしている・してきたひとたちから責められたり仕事を外させられたりしたらどうしよう、という恐れもあります。

しかし、今まで逢ってきたつらい経験を思い出し、なかなか変わらない社会に絶望しながらも、悲しいけれど気づいたわたしのような女性たちが、怯えながらでも発信しなければ変わらないから、書かなければいけない。

どうして不利益を被(こうむ)って傷ついてきた側がリスクを負って発信しなければいけないのかと、憤りを感じずにはいられないけれど、今の社会を変えなければ自分が生きるのが辛いから、こうやって書くしかないのです。



同じような辛い経験をしてきた女性たちへの共感と、社会が変わっていくきっかけになることを願って。

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そい|内藤千裕
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