さあ、これからは自己表現していこう。とはいえ、どうやって?
さあ、これからは自己表現していこう。
と思っても、
とはいえ、どうやって?
私は毎年ウィッシュリストのようなものを書くときに、
写真を習いたい、
お花を習いたい、
と書いていました。
どちらも少なくとも10年は言っている気がします。
でもどちらも一度もクラスを取ったことはない。
でもカウンセリング系の講座はたくさん受けてきた。
仕事につながるから、という理由で…。
写真は撮っても撮ったっきり。
お花は好きだけど、
買ってきても自分流にアレンジすることもなく、
こまめにお手入れするわけでもなく、
すぐに枯らす。
絵の好きな人は子どもの時から、
色んなところにらくがきや絵を描き続けていたと思うけど、
そういうことはしていない。
絵が描ける人だったらよかったのに!とはずっと思っているけど。
写真もお花も、
好きだけど、
興味はあるけど、
自分のダサさを突き付けられるのが痛すぎる…。
半年前に、
自分を知るためのフォトグラフィーという、
自己発見と自己認識のための、
写真を撮るプロンプトが送られてくるオンラインコースを買った。
2か月くらいの間、
週3回、合計24回写真を撮るテーマが送られてくるのに、
1回だけやったきり。
2か月の間その後一度もやらず、
メールが溜まっていくだけだった。
その半年後に、
やっぱり写真やりたい、
と思い直し、
一回だけやった。
それからまた半年経ってしまった。
自己表現したいという強い気持ちと、
自分が何の手段も持っていないことに、
打ちのめされそうになる…。
今回、私のこの写真プログラム再開一発目となる第3回は、
テーマがExpressionist Gaze、表現主義的なまなざし、ということで、
参考音楽として、
SiaのThe Greatestという曲のミュージックビデオが貼られていた。
見始めてすぐに涙が止まらなくなった。
表現したいという気持ちを強く強く感じた。
こんなにも表現したかったのか私は。
そのあとで、
この曲と49人が踊るミュージックビデオが、
49人が犠牲となったアメリカ・オーランドのゲイクラブでの銃乱射事件への追悼だったと知り、
そこに込められている強い感情に、
私の感情が共鳴したのだなと思った。
私の約20年来の仲の良い友達が、
先日癌で旅立った。
どんな今日でも、
彼女が生きたかった明日なんだな、と思う。
写真も文章も、
自分のダサさと力のなさに、
がっかりする。
でも続けてみよう。
表現してみよう。
表現することに意味があるのだから。
今日を生きているのだから。
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