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「彼氏がいるんだったら友達にならなきゃよかった」と「近くの人を笑顔に出来ない人が?」から考える、トラペジウムが描いたアイドル像とは

「完成、したね」
「今更だけどね」

X上で度々このシーンの議題が上がるので、元々トラペジウム合同の寄稿文B案として書きかけで下書きに放置されてた物を加筆して完成させました。


アイドルの輝きはア・プリオリではない

東ゆうは『可愛い女の子はアイドルになるべきだ』と心の底から思っている。綺麗な服を着て、可愛い髪型をして、たくさんの人を笑顔に出来る最高の職業なんだからなりたくない女の子なんて居ない訳がない。可愛い女の子はアイドルになるのが一番輝く方法だと。
 
しかし彼女は光るものはアイドルだけではないと理解している。「みんな口に出せない夢や願望を持っていて、それについて毎日考えたり、努力してみたり、勉強してないって言ってたのに百点取る人と一緒でさ」とシンジに対して語っているからだ。ただ彼女が最初に見た光る物がアイドルだったから、他の夢があってもアイドルをやってみたらきっと変わるはずだ、アイドルが一番になるはずだと無邪気に信じてしまっている。
 
そしてこの台詞から読み取れる事がもう一つある。有言実行より不言実行、黙って成し遂げるやつが一番かっこいい。これが東ゆうの美学だ。
 
この二つの認識のズレが合わさった事で他の3人との『対話』が生まれない事がこの物語のキーであり、全てを崩壊させていくポイントになっていく。

「私たちは元々友達だったんだから」と「彼氏がいるんだったら友達にならなきゃよかった」

東ゆうと亀井美嘉はこの作品の中で度々鏡のようにして描かれる事がある。
東と北なのにね。

東ゆうにとって亀井美嘉はただの同級生で忘れてしまうような人間だったが、亀井美嘉にとっては自分の人生を変えた一生忘れられない人間だ。

東ゆうは美人でカッコよくて誰からの指図も受けない自分の価値感で動くヒーローで、亀井美嘉は整形をしても自分に自信が持てなくて、ボランティアで誰かの役に立つ事で他者からの評価を得て自分の価値を生み出そうとしている。

東ゆうは一切恋愛をする気がないが、亀井美嘉は彼氏を一番大切な人と定義している。

東ゆうにとって3人との友人関係はある種ビジネスライクなものだと本人は思い込もうとしているが、亀井美嘉にとってこの3人との友人関係は彼氏と並ぶくらい大切なものである。

ここまで順風満帆だった東西南北(仮)の活動に最初にヒビを入れるのが「私たちは元々友達だったんだから」という亀井美嘉の台詞。亀井美嘉にとっては小学生時代の友達と偶然再会して今同じ事をやれているというのがとても大切なのだけれど、東ゆうは小学生時代の事を綺麗さっぱり忘れている。原作に「ワタシの事を友達だと言ってくれた人は、とっくの昔に遠くへ消えてしまいました」とあるのでこれに関しては亀井美嘉の思い込みではなく東ゆうが忘れているだけだと思いたい。
この後のシーンにも小学生当時の二人が友人として過ごしていた話が出てこないためアニメだけでは読み取るのが不可能ではあるが、急にキレだしたように見えるせいで美嘉ヘラ坂と呼ばれているのが少し可哀想ではある。
この時、東ゆうが考えているのはいかに古賀ADに『東西南北』を記憶させるかしかないので当然キャッチーな要素と分かりやすさを優先するし、亀井美嘉の気持ちなんて想像も出来ないから怒られている理由が分からない。
ここで理不尽に怒られた事を憶えていてやり返すのが東ゆう本当に性格悪い。

原作では「最悪。」の一言で済まされているシーンにこの言葉を追加した意図はなんだろうか。
もちろん亀井美嘉への意趣返しもあるが、東ゆうの真剣さ原作よりも強調しているシーンでもある。
最近は多少許される空気も出来上がってきてはいるもののアイドルと恋人というのはやはり水と油の存在であり、ファンからは許されにくいものだ。これは少人数のグループ活動においては致命的な事で、今後の活動にかなりの支障を来たす。
東ゆうからすればアイドルに彼氏が居るなんて論外なのに彼氏が居る事を隠してアイドルを続けてきたのは重大な裏切り行為として映る訳でそりゃあこれだけ怒ってもしょうがな……
いや、やっぱ言い過ぎだなこれ?

この後、電車の中で亀井美嘉がエゴサをしているシーンでは画面の大半が擁護意見で埋まっている。東ゆうのエゴサシーンも同様で口パクに対する批判だけが映される訳ではないし、見ている人や書き込んでいる人が全員ファンという訳ではない。
この映画は基本的にファンの存在を悪く描かないようにしている。これはおそらく原作者がアイドルをしていたからこそ、そこを露悪的に見せたくなかったという理由があるんじゃないかなと思う。

その弊害として東ゆうはインターネット生息オタクが発する批判を他のメンバーに言う役割を持たされてしまっている。
事務所所属後の東ゆうはSNSが伸びない、ファンレターが来ない事は自身の努力不足として受け入れているけれど、彼友以降はアイドルを続ける事への固執とアイドルとしての正しさを優先するあまり、ここまでの「皆にも楽しんで欲しい」「笑顔を忘れない」という自身がノートに書きこんだスタンスを忘れてまるでオタクがやるようにメンバーを叩くようになる。
亀井美嘉は彼氏が居る事を必要以上に糾弾されるし、レッスンが不十分なアイドル(華鳥蘭子)は「ちゃんとやれよ」と言われる、クイズ番組で見せ場貰ったのにミスったアイドル(大河くるみ)は一生ネットでオタクにおもしろおかしく擦られ続ける。ノベライズ版にだけある東西のクイズ番組後のバチバチもアニメで見たかったな……

余談だが2020年に掲示板に書き込まれた「アイドルの彼氏は定食屋に居るゴキブリだ。居ると意識したらもうその店には行けない」という文章がtwitterに転載され、以降アイドルの交際発覚時に度々バズるという事があった。
それを下敷きにして書いた彼友後の亀井美嘉を想像して書いたSSがこちらになります(宣伝)


「近くの人を笑顔に出来ない人が?」で揺らぐ足元

東西南北(仮)の決定的な崩壊シーンであり、トラペジウムで一番有名でインターネットのオモチャにされ続けているシーン。
この場面で一番大事なのがPVには映っていないこの後の亀井美嘉の台詞だと思っている。
何故東ゆうはこの言葉で二人の前から走って逃げだしたのか。
それは「近くの人を笑顔に出来ない人が?」という言葉が今の東ゆうはアイドルではないと全否定する言葉だからだ。

トラペジウムにおいてアイドルというのは『あたえるもの』として描かれている。
まず、東ゆうに目標を与えた。
東ゆうが起こした行動は水野サチに夢は叶うという希望を与えた。
ノベライズ版のみで書かれている話ではあるが、東ゆうに光を見た工藤真司はカメラマンの夢を叶える為に海外へ留学する。
多くの人に笑顔を、夢を、希望を与える存在がアイドル。

そして東ゆうはアイドルの為なら自身を犠牲にするのは当然だと思っているフシがある。
ファンを裏切ってはいけない、SNSに不満を書き込んでもいけない、下手なステージを見せてはいけない、自分自身を殺してその場で必要とされる言動や立ち振る舞いをするのは当然で与えられたキャラを全うすべきだ。
これくらいの辛い事は我慢しなくてはいけない、だってアイドルなんだから。
彼友以降、このスタンスを全員に求めてしまった。
与える側だった人間が強要したらそれはもう終わりに向かって進むしか無くて、亀井美嘉によって「奪う人間になった貴女はアイドルではない」と突き付けられる。
亀井美嘉という鏡でアイドル失格の今の自分の姿を見てしまった東ゆうは逃げ出すしかなかった。
そして普通の女の子に戻されてしまった少女は今までの自分の行いを反省するのです。

終わりに

普通の作品だったらこの後すぐに和解シーン持ってこないんでしょうけどトラペジウムは大人たちが「今までしてきた事に意味があったよ」と東ゆうに伝えてくれて、北極星はアイドルに憧れる前の貴女も光っていたよと伝えてくれて、最後は全員が貴女と過ごした時間で与えてくれたものが今の自分にとっての支えや夢になっているよと背中を押してくれるのがね、本当にいい作品ですよね。

国内上映が今月で完全に終わるの本当に辛いので配信とBlu-rayとコミカライズの情報待ってますお願いしますアニプレックス様、Clover Works
様、KADOKAWA様。

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