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人はなぜスポーツをするのか?
こんにちは!
徳島県でスポーツの楽しさを伝える活動や、
男子新体操クラブを立ち上げようとしているケイタです!
今回は題名の通り「人はなぜスポーツをするのか?」というボンヤリした問いについて書きたいと思います。
体操クラブをご指導させて頂いているので子供達や保護者の方から
「なんで体操を始めたんですか?」
と質問を頂くことがあります。
理由は簡単で、
僕の母と中学の担任がたまたま知り合いで、その担任が男子新体操部の顧問だったので入部させられただけです。笑
始めた理由に僕の意思は全くありません。
約3年前、飲みの席で友達から結婚式の友人代表スピーチを頼まれました。
その友達は「山下」という同級生で、中高6年間一緒に男子新体操をしていたチームメイトです。
彼は高校生の時、全国選抜大会の個人競技に出場して種目別で日本一になったことがあり、今は兵庫の女子大で講師としてスポーツの研究をしています。
その山下に飲みながら聞いた話ですがスポーツを研究する中で、
「人はなぜスポーツをするのか?」
という問いが頻繁に出てくるそうです。
確かに体を動かすと疲れるし怪我もする。
競い合うと辛く悔しい思いもする。
けれど人は遥か昔からスポーツをし続けています。
僕は、
「人それぞれだろ〜(笑)健康になるとか楽しいとか!」
ぐらいしか思わなかったのですが、家に帰って山下の結婚式のスピーチを考えていると"僕がなぜ男子新体操をしていたのか"の1つの答えが見つかりました。
前置きが長くなりましたが今回の記事は僕が山下の結婚式当日に喋ったスピーチとほとんど同じ内容になります。
お子さんがスポーツをしていて周りの子供より上達が遅かったり試合に出れなかったりして不安になっている保護者の方はこれを見ていただけると少しだけ安心していただけるんじゃないかと思います!
ほとんど自分語り回なので恥ずかしいですがとても暇な人はご一読ください!
はじまり。
山下とは幼稚園から同じ学校でしたが、友達ではありませんでした。
山下は小学生時代ずっと選手コースで器械体操をしていました。
僕は書道教室と小5で入ったミニバスケットクラブにイヤイヤ所属しており、レギュラーにもなれず、両親に練習に行くと嘘をついてブックオフでカービィの漫画をよく読んでいました。
中学に入ってからも山下は器械体操をしていました。
僕はミニバスケットの監督に「中学生になってもバスケします!」と交わした約束を破り化学部に入りました。
化学部では友達と楽しくタニシの卵の数を数える活動をしていたのですが、両親は僕に何かしらスポーツをさせたかったようで先程の流れで強制的に男子新体操部に入部することになりました。
男子新体操もイヤイヤ始めたのですが嫌でも週6で練習していると倒立や側転ができるようになり、調子に乗った僕は山下が器械体操をしているのを知っていたので壁倒立でどちらが長く続けられるか勝負を挑みました!
・器械体操と男子新体操の違い
【器械体操】鉄棒や吊り輪などの「器械」を使う体操競技。オリンピック種目でもあり、代表選手は内村航平など。
【男子新体操】床のみ。フィギュアスケートのようなダンスとアクロバットを交えた演技を行う。個人と団体競技がある。オリンピック種目ではなく日本にしかない。
結果は当然ながら山下の勝ち。
そこで山下と初めて体操の話をしました。
すると、
「ちょっと前に練習で肘を壊してもう器械体操はできんかもしれん。」
と言いました。
「新体操は床しかないけん続けられるかもしれんよ!」
と話すと1度練習に来てくれることになり、そのまま入部することになりました。
体操競技ではアクロバットのことを「タンブリング」というのですが、山下のタンブリングは桁違いで中1で後方伸身2回捻り宙返りをしていました。(僕はまだ側転とか)
すぐに山下はレギュラー入りして先輩たちに混ざって試合に出場しました。
そして試合が終わった後こんなことを言いました。
「男子新体操で日本一になりたい。」
当時、僕たちはまだ12歳でした。
ターニングポイント
日本一になりたいと聞いた時は、
「なに言ってるんだろ?家帰ってはよポケモンしたいなー。。」
ぐらいにしか思えず、僕は「日本一」の言葉の意味もあまり理解していなかったと思います。
日本一になるという目標を持った山下は、自分にも先輩にも先生にも僕にも鬼のように厳しくなりました。
自分が違うと思ったことは先輩や先生など関係なく意見し、練習内容もこれまでの何倍もキツくなりました。
あまりの厳しさに僕は、何度か仮病を使って家でポケモンをしたことがあります。
この時もまだ男子新体操は好きではありませんでした。
中学3年生の時に、僕たち2人にとって2つの転機がありました。
1つ目は3年間お世話になった高校の先輩達が「笑ってコラえて」に出演したことです。
先輩達が引退試合を終えるまでの様子がテレビで放送され、それを2人で見て感動したことを覚えています。
小松島高校男子新体操部はこの放送のあと部員が1人になり廃部寸前だったのですが、山下と僕が入部してなんとか廃部は食い止めなければと思いました。
2つ目の転機は、中学の引退試合です。
引退試合はなんと全国大会だったのですが、これは僕たちが強かったから行けたのではなく徳島県に男子新体操部が1校しかないので自動的に行けたというだけです。笑
場所は東京都の代々木体育館でした。
天井は今まで見たことがないくらい高く、照明は目眩がするほど明るく、試合の時は緊張で見上げるだけで立ちくらみがしました。
そんな場所で自分たちと同年代の選手が堂々と演技をしていました。
僕はこの時初めて体を音楽に乗せて表現する新体操の面白さを知りました。
(引退試合で山下とこの演技を見たのですが、今でも鮮明に思い出せます。)
僕たちの順位はビリに近い散々な結果でしたが、山下は涙ながらに
「高校では絶対に日本一になってやる。」
と言っていました。
挑み続ける。
高校に入ってからも山下の熱量は変わりませんでした。
平日は朝7時からひとりで朝練をし、部活が終わってからも22時までは自主練。
土日は9時半〜22時まで練習して休みの日はありません。
ライバル校がある都道府県に台風がくれば警報で休みになっているだろうからとその日は練習時間を増やしていました。(今思えば先生止めろよと思うのですが、、笑)
それでも高校1年のインターハイでは最下位でした。
(団体競技には6人必要で、この時は笑ってコラえてに出た先輩1人と山下と僕、後の3人は高校から始めた初心者でした。)
高校2年の時には練習についていけず辞めてしまう部員もいましたが、中学時代の後輩が入部してチームとしてだんだん実力がついていました。
この年のインターハイでも山下は、
「今年は入賞。来年は日本一!」
と意気込んでいました。
結果は団体で入賞とまではいきませんでしたが真ん中ぐらいの順位。
ただ山下が個人種目でトップ10入りし、春の全国選抜大会出場の切符を手に入れました。
"日本一になる"という言葉は何回も聞いていましたが「テレビの中」「雲の上」のお話という感じで現実的にその言葉の意味を考えていませんでした。
でも12歳の時からずっと日本一になりたいと言っていた山下が
本当に日本で両手の指に入るほどの選手になってしまいました。
そしてきたる春の全国選抜大会。
この演技で山下はずっとなりたかった日本一になることができました。
人それぞれ
飲みの席で山下が話していた"人はなぜスポーツをするのか"の答えは結局、人それぞれ違うという事で話は終わったのですが、
『山下のあの演技を見るために新体操をしていた』
思い返すと僕にとってはそれが答えでした。
新体操部に入りあの演技を見ていなければ、体操教室もsowersも大人のバク転教室も作れていなかったと思います。(たぶん今もポケモンしてたかタニシ博士でした。)
「不可能に思えてもやってみればできることは沢山ある」
ということを山下の演技で知ることができました。
きっと12歳の僕も知らないうちにできないことを自分で作っていたのでしょう。
何でもできるとは思いませんが生徒の子供達や大学生インストラクターや自分の子供には、やってもないのにできないと思わないで欲しいなと思います。
何の興味も持てなかった僕がキッカケ1つで小さいながらも自分でクラブ運営出来るぐらいにはなれたので、これからも子供達色んな活動を通して「やればできる」ということを少しでも伝えられればと思います!
では!
日本一のその後。