見出し画像

10.僕が悪い

大人になっても、ずっと無意識に抱えてきた必要のない罪悪感があった。

母との関係の中で生まれてしまった罪悪感だ。

今まで投稿してきた記事でも、罪悪感という言葉を使ってきたが、いくつか出来事を書きたいと思う。


これも小学4年生の頃だったと思う。

母は体調不良で通院していた。

その時の主治医はS先生という人。
このS先生というのもシングルマザーで、私と同じくらいの子供が居たらしい。

この日も茶の間で母の愚痴を聞いていた。

その時住んでいた家の、どの場所で、どこに母と自分が座っていたのかも覚えている。

そして母の表情も。

私を見ずに、机の一点を見つめながら暗い表情で話す姿を今でも覚えている。

内容は、お母さんは大変なんだ、なんで家の事をもっと手伝ってくれないんだという話。

病院でS先生に次のように言われて来たとのこと。

なんでもっと子供達に家の事を手伝わせないんだ、うちの子だって同じくらいの歳だけど、いろいろやってくれるよ、手伝わせなさい、と言われたと。

そんなことを言われたものの、当時の私はおそらく他の家庭の子よりも、家の手伝いはしていた方だったと思う。

茶碗洗い、米とぎ、風呂掃除、洗濯、母がいない時には簡単な料理も。
そりゃそうだ。お母さんがそんな状態なのだから、しないわけにはいかないし、しなければならないという感情があった。
もちろん手伝いまくったわけでもないし、やらなかった時もあった。
でも、自分で言うのもおかしいが、今思えば周りと比べてみても、小学生にしてはやっていた方だったと思う。

そんな中、なんでもっと助けてくれないんだと言われても、小学生の子供にも限界がある。

ただ、この時の私はこう思った。

「僕が悪いんだ。僕がお母さんを苦しめているんだ。」

と。

もう1つ、これは中学生の頃の話。

この時も母の愚痴を聞いていた。
ちなみに、この時は違う家に引っ越していた。

小学生の頃からそんな環境に身を置いていた私は、そういう話を聞くことに疲れていたのだろう。
どういう言葉を使ったのかは忘れたが、そんな話をされるのは嫌だという事を伝えた。

その時に母から返ってきた言葉が衝撃的だった。

「こんなに頑張っても報われないなら死のうかな」

悲しそうな表情から一変して、急に怖い表情で一点を見つめながら言い放った母の一言に、私は恐怖した。

「そ、そんなこと言わないで」

私は息がつまりながらも、なんとか小声でそう返した。

「いや、いい、死ぬ」

母が自殺するかもしれない。
そんな恐怖と不安が私の中を埋め尽くした。

そして、この時こう思った。

「お母さんにそう思わせてしまうような事を言ってしまった僕が悪いんだ。なんて酷いことを言ってしまったんだ。」

と。

今になって思えば、脅しのような言葉である。

私の気持ちをわかれ。わかってくれないのなら死ぬ。

こんな言葉を聞いて怖くならない子供はいない。

親が子へ「死ぬ」という言葉を使う。
今になって冷静に考えると、どう考えても普通の親子関係ではない。
でも、そう感じて今まで生きてこなかった。
あの時は怖かったという感情すら感じれないでいた。
あんなこともあったと記憶は残っているが、自分の気持ちは抑圧して生きてきたのだと気付いた。

その後、私は不安な気持ちでいたが、母は自殺行為などはせずいつも通りだった。

別の日に愚痴を聞いた時の内容は、会社で酷い事をされたという話だったが、以前のようにならない事を意識して、母の話を丁寧に聞き、共感する言葉を返すようにしていた。

「何それ、ひどい人だね」

「そうでしょ?辛くて...」

「大変だけど、頑張っていこうね」

そんな会話がしばらく続いた。



そして、高校生の頃。

反抗期真っ只中。のはずだった。

ある時、また愚痴を聞いていた。
イライラした私は母に

「母ちゃんと話してるとイライラしてくるんだよ!」

そう言い放った。

だが、興奮ぎみだった私は、次の母の行動でイライラが罪悪感に変わった。

「そうなのね...」

母は涙声になり、トコトコとゆっくり台所へ向かった。
そして、部屋の隅にゆっくりとしゃがみこみ、号泣しはじめた。

「うっ、ううっ、うううぅぅぅ...」

「か、母ちゃん、ゴメン。ゴメン、ゴメン...」

ひたすら謝り続けた。

それでも泣き止まず、更に謝り続けた。

15分くらい経っただろうか。
母は何度か頷き、ゆっくり立ち上がった。

私はこの時思った。

「母ちゃんを悲しませてしまった。自分はなんてヒドい息子なんだろう。」

と。

本人は自覚していなかったと思うが、これは、私はお前に悲しませられた、わかれよ、という涙を使っての攻撃。

大人同士、また子供同士でもよくある話、よくある行動なのかもしれない。
この人めんどくさいで終わるたいした話ではなのかもしれない。

でも
それを親が自分の子供に頻繁にしたら、された子供の心はどうなっていくのか。
話が変わってくる。

そういう環境に私は居たのだと、今になって理解した。

このような事もあり、私は反抗期に、反抗という反抗をしなかった。

子供というのは、親に身の回りの世話をしてもらうと同時に、自分が辛いこと、悲しいこと、怖いこと、不安なこと、もちろん嬉しいことや楽しいことなども、親や養育者から話を聞いてもらい、わかってもらい、ありのままを受け止めてもらい、認めてもらい、安心・安全の中で子供らしく生活することによって安定した心が育っていく。

振り返ると、私達は親子関係が逆転している事が多かった。

私は、親の感情のゴミ箱になっていた。

そして、その中で植え付いてしまった「罪悪感」が、大人になっても邪魔をして生きづらい。

自分が悪くなくとも、被害妄想のように自分が悪いんだ、自分がダメな人間だからだと思い込み、病んでいくという心理なんだという事を自覚した。

このような内容を書くと、母が悪くて恨んでいるばかりのように思われるかもしれない。

しかしこれは世代間連鎖であり、母も同じように親から「罪悪感」を植え付けられて育ってしまったのだと認識している。

私がこのような考えで生きてきてしまったように、母もまたこのような考えで生きてきて苦しんでいたのだと。

そして、自分がされてきた事と同じような接し方を自分の子供にしてしまう。

これが世代間連鎖。

反抗期というものは、親は自分にとって血の繋がったかけがえのない大切な存在だが、それでも自分は親と違う人格を持った1人の人間であり、そういった意味で親と自分を切り離す為、親の元から旅立つ為、自立していく為、大人になる為に絶対に必要なものだ。

ここで言う自立というのは、経済的なものではなく、「心」の自立である。

それが出来なかった私は、大人になっても無意識に幼い頃からの母の考えや行動に支配されてしまい、離れられないでいた。

一緒に暮らしてしまっていたという事ではない。
精神的な自立ができなかったのだ。

言われて嫌な事、されて嫌なことも少しは反論できるが、それ以上は言えない。

もういい大人なのだから、自分の選択で生きればいい。でも、自分の気持ちを強く言い切れない。

これは、もし言ってしまったらまた悲しむのではないか、死ぬと言われるのではないか、怒り狂ってしまうのではないか、母がどうにかなってしまうのではないか、見捨てられるのではないかという、あの頃の恐怖や不安の感情のフラッシュバックだという事に気付いた。

無意識無自覚の。

母に対してだけではなく、友人、恋愛、他の人間関係においても同じような傾向があった。

もし自分に愛する人が出来て、結婚して、子供ができて、その子が反抗期を迎えたら、他人を傷つけるような事や、してはいけない事はしっかり教えた上で、たくさん反抗させてあげようと思う。

もしかしたら、反抗されて辛いかもしれない。

でも、親が反抗されて辛い気持ちなんかよりも、それが出来ずに大人になって生きていく子供の方が辛い事を知っているから、いくらでも耐えられると思うし、耐えなければいけないと思う。

そして、しっかりと自分の元から旅立たせたい。


子供の頃、このような出来事はたくさんあったが、通常の親子関係のようなやりとりもあったし、気持ちをわかってもらった時もあったし、愛されていたとも思う。

しかしその「愛」の形が歪んでしまっている事が多かったのだ。

もちろん、今まで投稿してきた内容に関してもそうだ。

最初は、自分の心の中を整理する為に、あれは親の心の問題だったとか、自分は悪くないと、必要のない考えや感情を切り離す為の段階のひとつとして、かなり恨んだ時もあった。
本当は辛かったんだ、苦しかったんだ、悲しかったんだなどという感情をしっかり感じて、だから自分はこのような生き方なんだという事を自分の中に落とし込んで自覚して、回復に向かう為の作業をしてきた。

今はだいぶ落ち着いてきたし、母に感謝の気持ちも持っている。

自分が欲しかった愛ではなかったし、形は違っていたかもしれないが、別の形ではしっかりと愛されていたのだと思えるようにもなってきた。

もしこういう事に気付かなければ、自分もそのような事をしてしまう人間や親になっていただろう。

むしろなっていた。

そういう考え方もできている。

だが、また前までのような考え方に支配された生き方をしてしまわないように、母とは距離を置くようにしている。

それでもまだまだ同じ事をしてしまうのだが...。

また、自分だけではなく、人は誰でも育った家庭環境や、親や養育者との関係が、性格や生き方に影響していると思っている。
もちろん良い影響、悪い影響、どちらもあると思うが、悪い影響について考えると、例えそれが大した出来事でなくとも、小さな心の傷になっていて、小さな生きづらさとなって、普段の生活の中に小さな問題として現れているのだろうと思う。

無意識無自覚の中で。

私はまだ子育てを経験した時はないのだが、子育ていうものは、本当に大変だと思うし、何が正解なのか、誰もわからないものだと思う。

目に見えて分かる身体的虐待は別として、そういった大変な中で、必死に我が子を愛そうとした行動が、心理的虐待となってしまい、悪い影響を与えてしまうのだと思う。

その影響の度合いがそれぞれ違うだけで、皆、アダルトチルドレンのようなものであり、私の場合は、もともと親も大きな問題を抱えており、その度合いが大きい分、私自身の問題も大きくなってしまったのだと思っている。

このような考え方もできているが、だからといって仕方がないだとか、親も大変だったんだという言葉で片付けるというわけではない。

そのようにしてしまったら、また抑圧により自分の感情の行き場をなくしてしまうから。

そういう考えは別のものとして切り離し、本当はされて嫌だった、辛かった、苦しかった、悲しかったなどの感情をしっかり感じ、その影響で今の自分はこのような状態になってしまっているという事を、今後も自分の中で認識し続け、間違った行動パターン・思考パターンから抜け出して行きたい。

最近になって姉から聞いた話だが、S先生は母が通院している途中に失踪してしまったらしい。

S先生も、母と同じような問題を抱えていたのかもしれない。

私と同じような経験をしたかもしれないS先生のお子さんも、その後の人生を無意識無自覚に苦しんではいないだろうかと思う時がある。

いいなと思ったら応援しよう!