見出し画像

【小説】この雨が止むまでに

 迂闊だった……。出かける前に天気予報なんて確認してなかったし、僕が外に出たほんの20分の間に空が急変するとも思ってもみなかった。

「暑い……」
「そだね〜」

 日本の夏の悪しき点はやはり湿度にあると思う。空気を汗が蒸発できない程の飽和水蒸気量にすべく、せっせと涙を流す夏空先輩は、同じく軽々しく涙を流すメンヘラ上司と被って実に不愉快。自分の都合で他者に迷惑かけんな。

「なんで?」

 目の前の人間に、僕は主語と述語を欠いた疑問詞だけの問いを放る。省略された部分を補うと、『なんでお前は休日の雨の日に、学校の駐輪場に居るんだ』となる。
 こいつ――時定瑞穂は部活には所属していなかったはず。

 しかし隣に座す長髪の主は両手を方の辺りに広げ、首を傾げてニヤリと笑った。言外に『答えるつもりはない』と言っている。

「こんなに降るかねー?降水確率高々20パーセントの昼に」

 どうやら天気予報は見ていようがいまいがあまり関係なかったようだ。

「で?いつまでここに?」
「不本意ながら止むまでかな。こんな栓を捻りきったシャワーよろしく降ってる中を突っ切る気にはなれないね」
「じゃあ私もそうするー」
「まるで、別に私はいつでも帰れると言わんばかりの言い方だけど。普通にやむ無く雨宿りだろ」
「まーねー」

 時定瑞穂は同級生だ。ちなみにクラスメートという訳では無い。お世辞にも学内情勢に詳しいとは言えない僕だが、こいつのことを知ってるのはそれだけの理由があった。……主に2つ。

 ひとつは、彼女が異常なまでの美人であること。見た目だけでなく、内面もフレンドリーを全面に押し出したかのような性格。下駄箱から時代錯誤のラブレターがはみ出していたのを見たのは一度二度では無い。

 もうひとつは、僕の中学来の友達が三日前に彼女にこっぴどくフラれたからだ。僕の目から見ても、彼と時定は仲が良かった。違うクラスでありながら昼休みにはよく喋っていたようだし、一緒に駅まで下校したという話も当の本人から聞いている。にもかかわらず、時定は彼の独白を、無感情に切って捨てた。あまりに酷いその対応に彼は人間不信になりかけている。

「世間話しよーぜ?伊賀くーん?」
「意外だな、僕のことを知ってるのか」

 時定の情報を一方的に握っていると思っていた僕は少々怯む。

「――あいつから色々きいてるよーん」
「なるほど?」

 色々、とは?

「例えば中学の頃好きな女子にストーカーしてたこととか」
「っっあ!?!?」

「いい反応するねー。わざわざあいつから口止めされてたことを開陳した甲斐もあったってもんだ」

 後をつけて、跡を付けて、情報を盗んで、直接対話する勇気なんてなかった雑魚の悪あがきが、忘れたい思い出が、僕の脳裏に走馬灯のように駆け巡る。いや、あれは若気の至りというか…………。

「そんなことまであいつはべらべら喋ったのか」

「友達とかには言っちゃダメだとは言ってた気はするけど、本人ならいいでしょ?」

「ああ…………。あいつと友達でいるのも考え直した方がいいかもな」

 友達には言うな、じゃねーよ。まるまる僕のセリフだわ。

「ストーカーの話、聞きたいなー♡」

「御免だね。黒歴史を自らばら撒くなんて愚行はできない」

「じゃあ私がうっかりクラスメートにばらしちゃうかもなー?」

「ちょ、アホ、やめろ。時定瑞穂の影響力はバカにならない」

「黒歴史を自らばら撒く愚行、できないんでしょ?私に話さないと間接的に自らばら撒くことになると思うけど?」

「勘弁してくれ……」

「まあまあ。雨が止むまでの暇つぶしさ。……あ、そうだ。じゃあこうしよう。今から雨が止むまでの間に2人で喋ったことは、お互い全部忘れるようにしよう」

「……あ?」

「つまり、思考の破棄さ。これからの会話は壁打ちだよ。お互いが独白の引き立て役をしていると思ってくれていい」

「なるほど。しかしそれは脳改造で記憶消去しない限りは君が自分の意思で黙っていてくれることを信じろということになる」

「まあそうだね。でも忘れないように。具体的内容はともかく、私は伊賀くんがストーカー行為の実行犯だってこと自体はもう既に知ってるんだよ?結局喋ろうが喋らまいが私の良心に依存しているという事実にさして差異は出ないと思うな」

 尤もなロジックだ。時定にも非はあるものの、元の大因はこいつに過去を喋ったあのアホである。僕はせめてもの交渉を、薩摩と長州を渡す坂本竜馬のような心持ちで提示することとする。

「こちらからも要求がある」
「言ってみー?」

「この独白が終わったら忘れるのは、ここで喋ったことに加えて、僕の過去それ自体に関しても対象にしてくれないか?」
「いいよぉー」

 拍子抜けだな。もっと渋られると思ったけど……。そんな心中を読まれたのか、時定はヘラヘラと続ける。

「だって、別に伊賀くんの過去を知っていたところで私の生活に何ら利益実害があるわけじゃないからねー。こんなものは完全に好奇心。刹那的な欲求さ」

 雨が駐輪場の屋根を強かに打つ。その音はさっきよりも確かに大きくなっていて、雨樋を流れる濁流が、堪えきれずところどころ溢れ出していた。

「それじゃゲームスタート!現在時刻14:35から雨が止むまでの間の記憶は保存されません!」
「おう」

「伊賀くんがストーキングしてた子ってどんな子だったの?」

 くっ……。思い出したくない部分を的確に攻撃してくるな。

「髪の長めな子だったな。メガネをかけていて、あまり騒がないタイプだったよ」

「へえ、そういう大人しめな子が趣味なのかー」

 ニタニタと性格の悪い笑みを晒す時定。くっそ、こいつ……。しかし動揺してはこいつの思う壷。ポーカーフェイスを貫き通してこう返す。まるでもうなんとも思っていない風を装え。

「当時の話だよ。あの頃は気が狂ったように好きだったけど、今思えばどうかしてたさ」

「で?で?どこが好きだったん?」

「……さっきも言った通り、そんなに周りと会話するような子じゃなかったんだ。ただ、一回咳が隣になったことがあってな――――」


 座席が隣とはいえ、接点なんてなくて、普段会話するようなことも無い。ただの一回、日直で一緒に帰りが遅くなったときがあった。時間にして17:00まだ世界が暗くなるには早い時間だ。『ねえ、良かったら、一緒に帰らない?』

「そのときはぼんやり好き、って感じだったんだけど、喋ってるうちにはっきりと、ね」
「え?普通にいい雰囲気やんけ」

「そのときはがんばって喋ったんだけど、どうも居心地が悪そうで。その後下校に誘われることも話しかけられることもなかったし」

「…………」

「だから思ったんだ。彼女が僕のことを好きじゃなくてもいいから、僕は陰ながら一方的な感情を持ち続けようって」

 我ながら気色悪いロジックだ。感情を動機に行動を起こしたら、それはもはや自分の心中だけの問題で居られないというのに。

「あのさー」

 耐えかねたかのように時定が割って入ってくる。

「大して仲良い訳でもない男子に対して『一緒に帰ろ』なんてどれだけハードル高いと思ってんの」

「?」

「大人しめな女子だったんなら尚更でしょ。少なかれ伊賀くんには特殊な感情抱いてたでしょーね」

「で、でもそれ以降、下校はおろか、普通に会話することだって……」

「阿呆かヘタレ」

 バッサリ切って捨てられた。

「伊賀くんからアクションが来るのを待ってた、に決まってんでしょ!自分がわざわざ勇気出して帰り道誘ったのにそれ以降音沙汰無しなんて、『私は何とも思われてないんだ』って考えたって不思議じゃないじゃん」

 阿呆☆ヘタレな僕は返す言葉がない。

「勿体無いなぁ……。自分から一歩踏み出せたら、あるいはストーカーなんてならずに済んだかもしれないのに」

「我ながらそう思うよ。あの頃の僕は人格が歪んでたな」

 雨が少し弱くなって来た。代わりに少し風が出て来たみたいだ。時定がスカートを抑える。最初に感じていた蒸し暑さはなんだか消えてしまっていて、居心地の悪い空気だけが残った。

「じゃあ次行こうか!」
「次?」
「ストーカーってどんなことしたん?後学のために教えてよ」

 正直に言うべきか迷った。が、ここまで言ってしまったらもうどのみち手遅れか。許しを請う相手も場所も時間もなかった僕が懺悔と自省を時定にぶつけるというのも悪くない。王様の耳はきっと、ロバの耳なのだ。

「……あとをつけるのはしょっちゅうだったな。流石に家までついて行くことは無かったけど、移動教室の時とか、たまには駅までとか。普段ほとんど喋らない子だったから、誰かと会話しているだけで、独占欲が疼いた」

「……」

「これは墓場まで持って行くつもりだったんだけど、まあ言おう。彼女の日記をつけていたんだ」

 日記とは、日々の出来事、その所感を連れずれなるままに記録するものだ。ただしそれは世間一般では往々にして自分自身のこと及び自身の所有物に対して行われるものであるのは言うまでもない。流石に想像以上のレベルの告白に怖気付いたのか、時定がおし黙る。

「『今日はこんな人とこんな風に喋った。授業中先生にこんなことを言われた。昼ごはんは弁当だった。サンドウィッチがどうやら好物みたいだ――』みたいにな。流石にキモい」

「まあ気持ちはわかるよ。一挙一動を見逃したくない、その人の自分がいいと思った出来事は何度でも反芻したい。日記というものはそういうものだからね」

「フォローどうも。ちなみにこの日記の件は、僕のストーキングが表面化した時にもバレてない案件だから、僕と一緒に墓場まで持って言ってくれ」

「おかしなことを言うね。雨がやんだら私の記憶からこの話も消えるんだ。お墓はひとりではいってね」

「失敬」


 閑話休題。これで話すことがなくなってしまったので否が応でも環境音に耳をそばだてることになる。雨脚が弱まって来た代わりに。音こそしないものの山の上が時折刹那的に白く光っているのが見える。

「こっちからも聞いていいか?」
「いいよ?けど、これもあとで全部忘れてね」
「ああ」

 ひときわ黒い雲に覆われて、視界の彩度が低下する。対照的に、時定の顔近くあった、蛍光灯が彼女を不気味に照らしあげる。

「アイツをフった理由、なんだ?」

 そう聞くと、時定は一瞬虚をつかれたような表情になった。しばしの硬直を経て、彼女は口を開いた。「ほかに好きな人が居たから、が端的な答えかな」

 なるほど、ありがちな回答だ。

「けど、アイツに対しては恋愛感情は無かったのか?側から見れば友達以上に中良さげに見えたんだが」

「まーじ??あはは、ないない」

「じゃあほんとにただの友人って認識だったのか……」

 価値観の相違、と言う単語が頭を過ぎる。犯罪歴持ちの僕が言うのもなんだが、彼女の距離は彼に対してとても近かった。四六時中連れ回して喋り倒して遊び倒して――。そんな印象だった。でもあれは時定の認識では『友達』としての距離感だったのだろう。

「これは自分でも褒められた話じゃないんだけど、実は私、彼を友人と呼んでいいのかもわからないんだよね。……あ、これは友達以上恋人未満とかそういうのじゃなくて、むしろ友達以下かもしれないなぁって意味の話ね?」

「………………………………は???」

 率直な感想を言うと訳がわからなかった。だから説明をするよう無言で促した。そうしたら、時定は、すこしのためらいを見せたあと、満面の意味を込めてこう言い放った。

「私は彼を利用しただけなんだよね。好きな人と関わるための橋として」

 轟いた雷のタイミングはとても完璧で、僕には時定に軽い恐怖を抱く。
理解をしようと、彼女の言葉を必死に咀嚼していると、いつのまにか目の前に時定が立っていた。手を少し伸ばせばしっかりと触れられる距離に。

「ねえ、伊賀くん。私、あなたのことが好きだよ?どんな手を使っても、君を知りたいと思えるくらいには」

「ぁ――――」

 急展開。
 声が出せない。例えるなら蛇に睨まれた蛙。例えないなら金縛り。下手な言葉を紡ごうものなら僕は彼女の手の中で握りつぶされてしまうような感覚に陥った。時定の右手が僕の頰に伸びる。耳をかすめた二本の指が快感と恐怖の狭間でゾクゾクと揺れる。

「いいと思ったことは反芻したいって言ったよね。これは日記行きかな?」


 経つこと60秒弱。気づいたら彼女は最初いた位置へ戻っていた。「なーんてね」

「じゃあ言いたいこといえたし、今日は帰るよ」

「えっあ、この雨の中をか?」

 彼女はそれには答えずカバンを漁る。やがて、そこには透明の花が咲いた。

「……傘、持ってたのかよ」
「私はいつでも帰れる、みたいなことを言ったと思うけど?」
「言ってねぇよ」

「じゃあね。進路調査用紙は忘れずに提出するんだよ」

 その言葉に僕は言葉を失った。僕が休日学校にわざわざ来た理由。提出したはずの進路調査用紙が、カバンの中に入ったままになっていたからだ。

 雨は相変わらず止まない。携帯を取り出して予報を見ると、19時までは降るみたいだ。仕方ない、濡れて帰ろう。これ以上今日は何も考えたくない。
 そこへ一件の通知が来た。それを見た僕は、改めて中学の頃好きだった女子に懺悔の念を抱くことになる。

 一方的に歪んだ感情の具現はなによりも不気味で気色悪いのだ。



差出人:時定瑞穂
件名:風邪引くなよー☆
本文:約束通り、全部記憶から消してねー。この雨が止むまでに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?