
カスミルのとしょかん(萩原恭次郎『死刑宣告』)
皆様こんにちは。カスミルのとしょかんへようこそ。
ここでは、隔週で私のおすすめの本や作品をご紹介したり、時にはこっそり雑筆を残したりしていきます。忙しない日常の事は少しだけ忘れて、どうぞごゆっくりお楽しみくださいね。
本日は萩原恭次郎『死刑宣告』をご紹介したいと思います。ご紹介したいという意志はあります。兎にも角にもそこだけは汲んで頂ければ幸いです。絶大なる不安は残りますが……では。

以下引用は長隆舎書店から出ている萩原恭次郎『死刑宣告』を参照し、引用ページ数のみ丸括弧で記載します。詳しい書誌情報等は最後にまとめて載せています。
◯『死刑宣告』
詩集です。序文を少しだけ引用します。こんな感じ。
序
●
私の詩への警告●●
私の詩をデカダンの如く思ふ者、それ自身が一つの嘲笑はるべき近視眼だ!
私は私の詩集に「野獣性なる人間的なる愛の詩集」と名づけたく思ふ程の、いはゆるデカダンを擯斥する者である。必然にデカダンに追ひ込まんとする近代文明的所設の諸手段に、私は貫通する意志を持つ私が解体する如く見える日の自分を、意地の悪い憤怒と嘲笑とをかくしまぢえた日の、われ〳〵自身の「ブルジヨア的(労働者に対する資本家の意味に非ず)サチイズム」に警戒せよ!(1~2頁)
す、すごい……。初っ端からなんていうか、勢いを感じませんか?
こちらも序文の一節。
然して、われ〳〵の美は平静とクラシツクの美と宗教的整調と重厚と獣性と処女性とボロ布れと南京虫と貴婦人と自動車と入りまぢつてもまだ、私たちの欲する美とは云はれない!
われ〳〵の美は、欲情は、何処にさすらうか?
左りから書きつけて、右から書きつけて、上下から書きつけて、如何なる方面から読んでも、大小の活字を乱用しても、絵を挿入しても時間の許す限り、飽きるまで熱中しても、未だ未だ私達の美は求め得られないであらう。われ〳〵の美は、欲情は、何処にさすらうか?(6~7頁)
一廻転毎に、豊富に微細に鋭敏に、伸縮発熱の度激しき最大無限のまたかかる虚無にまで、到達せんとする廻転!廻転!この廻転の止む時に私の生命は死である。この廻転の軌道を外れた時に骸は横はる。
自由!自由!あらゆる奴隷よ去れ!汝自身のおこがましくも微弱なる良心までも!恥づべき過去に、とり憑かれたる記憶に過ぎない良心までも、何等の願望を齎さない所の—————(9~10頁)
そうして美を求め、自由を追求した所、詩がこうなります。
「無題」

「何物も無し!進むのみ!=小さき行進の曲=」

「首のない男」

「○●」

すごいですよね。勢いと熱量が。矢印が出てきて行の向きが変わったり、ひたすら記号が並べられたり。「首のない男」の「●」は黒煙を表しているのでしょうか。かと思えば「●」を伏せ字のような使い方をしているものも見られますし……。
詩というと、ひとつの言葉にどれだけの意味を込められるかが重視される印象がありますが、『死刑宣告』においてはどうもそうではなさそうな気がします。何なら意味からの解放すら感じるような心持ちがします。文字や記号の視覚性。
他に好きなのがこのページ。

軽快ですね、「復讐です!」からの「よろしい!初めッ!」ですよ、本当に何が何やら──
続いて、こちらもまた軽快かつどことなくコミカルな気がします。

お次は少し趣を異にするものを。

なんとなく萩原朔太郎の「ばくてりやの世界」を思い出しました。「ばくてりやがおよいでゐる。」ってやつです。『月に吠える』に載っています、併せてどうぞ。
そして最後。「露台より初夏街上を見る」

これ以上ようご紹介しないので、この辺で終わりに致します。こんな詩もあるんだなぁと思って頂けると幸いです。
ちなみに。スマホで見ると全て横書きになってしまっているようですが、一応以下のサイトで全文読めるようです。
https://ja.m.wikisource.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%AE%A3%E5%91%8A
では今回はこの辺で。
あっ。次回は来週になります。日付でお察しの方もいらっしゃるかもしれませんが、番外編です。お楽しみに。
「生きてるって素敵でしょ?」
踊れ!踊れ!踊れ!
◯おまけ
これ可愛い。

◯書誌情報
萩原恭次郎『死刑宣告』(長隆舎書店、1974年9月1日)